波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

葬送までの7日間~byアッピア夫

2014-11-29 23:07:27 | アッピアとの思い出
☆アッピア夫です。今回は、アッピアが永眠してから葬儀までのことを書こうと思います。

アッピアが永眠したのが11月18日、葬儀が11月24日でしたので、18日も含めて1週間あったことになります。昔は葬儀まで3日前後だったように思いますが、高齢化の影響で今は火葬場が混んでいるので、葬儀のタイミングが長くなるようです。当時はかなり時間があるなと思いましたが、今思うとちょうど良い時間でしたね。葬儀まで2~3日しかなければ、気持ちの整理をする間もなく葬儀を迎えることになりますが、お陰で充分な時間があったことに感謝しています。また、週末に葬儀が出来たことも助かりました。

<11月18日>
アッピアの永眠後、家族三人で病院の霊安室でお迎えの車を待っていました。当然のことながら、アッピアは眠りについていますので、私と息子が霊安室で待機していたことになります。霊安室は、二人とも初めて経験する場所でしたが、まるで教会にでも居るような静かで厳かな空間でした。1時間ほど居たでしょうか。場所柄大きな声で話すのも憚られ、二人で静かにアッピアの思い出話をしていましたが、今思い返しても、まるで家族三人でくつろいでいるような、不思議に落ち着いた時間でした。

その後、お迎えが到着し、助さん格さんを始め、病院でお世話になった方々が集まって見送ってくれました。その時に助さんから、『内緒にしていたもののブログをずっと見ていたこと』と、これから忙しくなるこちらのことを気遣っていただき『報告のコメントを書いても良いか』などの話がありました。最後に息子を抱きしめ、「お母さんとの約束を守って立派な大人になるんだよ」と泣きながら話す助さんの姿に、私も涙ボロボロでした。

一旦自宅に戻り遅めのお昼を摂った後、打合せのために葬儀場に行きました。息子はさすがに朝も早く、色々なことがあったので疲れたのでしょう、『自宅で留守番したい』とのことで、息子だけ残して行きました。そして、ちょうど打合せを始めようとしていたところに「一人になったら急に悲しくなってきた」と大泣きしながら息子から電話が入りました。『意外に落ち着いていて大したものだなあ』と思っていましたが、そこはさすがに小学生・・・大人と同じように気持ちの整理をするのはまだ難しいですよね。

<11月19日~11月22日>
葬儀まではご多分に漏れず目まぐるしい日が続きました。息子には「2~3日学校を休んでもいいんだよ」と言っていたのですが、「学校に行っている方が、気が紛れるから・・・」と翌日から学校に行きました。担任の先生もまさかもう学校に出てくるとは思ってなかったので、ビックリしたようですが・・・。息子なりに気持ちを整理しようと頑張っているんだなと感心していましたが、さすがに夜になると急に寂しさが襲って来るようで、19日と20日の夜は大泣きしました。何とか息子も気持ちの整理が出来るかと、この4日間は息子が学校から帰って来るのを待って、毎日葬儀場に眠るアッピアに会いに行きました。今から思うと、この4日間アッピアに会いに行ったことは、息子だけではなく私も含めて、気持ちを整理するために必要なことだったなと思っています。

息子は、安置室でアッピアに会うと、必ず「お母さんと二人だけにして」と言い出しました。その間、私は安置室の外に出て待っていましたが、何やら小声でボソボソとアッピアに話しているのが聞こえてきました。しばらくすると扉が開き、「お父さんも二人だけで話しなよ」と言って二人にしてくれました。息子が何を話していたのかは訊いていませんし、息子も私に訊くことはなかったものの、今思うに、この4日間のそれぞれのアッピアとのやりとりが、二人が別れの覚悟をするための大事な儀式となりました。

<11月23日>
この日はお通夜でしたが、たくさんの方に来ていただき、つくづく様々な人との関わりの中で生きているんだなと認識させられました。『アッピアのように早く旅立ってしまう人もいるし、長く関係を続けていく人もいるけれど、それが誰であれ永遠に変わらぬ関係を続けていくのは無理なこと・・・諸行無常。だから、今の関係を大事にしよう。』そういう当たり前のことを考えながら、お通夜に来ていただいた方々に頭を下げていたことを思い出します。

<11月24日>
アッピアの告別式の日ですが、この日のことは一年前のブログに書いた通りです。この日が終わるまでは本当に大変な毎日でしたが、親しい方々に見守られながらアッピアを送り出し、永遠の別れの儀式をすることは、家族がきっちり気持ちを整理して、新しい生活に向かっていくために本当に大事なことでしたね。また、その夜にブログに初投稿したことも、気持ちを整える助けになりました。息子は、告別式が始まる前にアッピアの祭壇を写真撮影したり、告別式でもほとんど泣かなかったので、すっかり気持ちの整理が出来ているなと思いましたが、さすがにアッピアが火葬に送られる時にはダメで、泣きながら私にしがみついて来たことを思い出します。

以上、葬儀までのことを思い出しながら書いてみました。月曜日から師走ですね。『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』・・・何となく切ないけれど、平家物語の始まりのこの言葉が大好きです。特に年末が近くなると、なぜかこの言葉が頭に浮かんで来ます。さて、一年前のことを振り返るのはこれ位にして、また色々なことを書いていきます。(今日は息子の投稿はありません。さすがにもう寝ていますので・・・)私も寝ます。おやすみなさい。

2014年11月29日 アッピア夫


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アッピアの最期を思い起こして~byアッピア夫&アッピア息子

2014-11-23 22:50:28 | アッピアとの思い出
☆アッピアの夫です。1年ぶりの更新にたくさんの方に訪れていただき、また温かいコメントをいただき本当に有難うございます。思いもよらない反響に驚くと同時に、アッピアがいかに皆様に愛されていたか、また今でも愛されているかと言うことを感じ、強く心を動かされました。

色々と考えた末、このブログを私がアッピアから引き継いで更新を続けて行くことが、アッピア本人、またアッピアがお世話になった皆様への恩返しになるのではと思い、これからは週に一度程度の無理のない範囲で更新をしていくことに決めました。(リコメは難しいと思いますが、しっかりと読ませていただいております。)

私が皆様のお役に立てるとすれば、やはりアッピアと生活を共にし、いかに病気と向き合ってきたのか、何を話し、何を感じ、何を考えてきたのか、アッピアが逝った後何を思うのか・・・そう言ったことを自然体で綴って行ければと思います。その中で息子とのドタバタライフなどもお伝えして行きます。

さて、今回はアッピアの最期において、お伝えしきれなかったことを書こうと思います。義弟の書いてくれたアッピアの病院での様子の通り、アッピアは視力を失っても本当に前向きに過ごしていました。視力を失ってから行動範囲が極端に狭くなっていましたので、私が病院に行くと廊下を散歩(?)に連れ出されました。当然、私が介助しながらそろりそろり手探りで10分程歩いては戻ってくる程度なのですが、それでも動ける喜びを感じているようでした。

亡くなる三日前の金曜日に病院に行くと、「もっと来られないの?もっと来て欲しいんだよね!」「解った。来週からもう少し時間を取るようにするよ。」と言う話をしました。当時はちょうど沿仕事が忙しい時で、週に1~2日何とか早く切り上げて夕方に病院に入っても、家では息子が一人で留守番をしているので、それ程長くは居られませんでした。次の土曜日に息子と病院に行くと、「昨日、私何か変なこと言った?」「いや、別に変なことは言ってないよ」「何か変なことを言ったような気がするんだよね」という会話をしました。やはり記憶力が落ちている様子でした。週末は苦しい治療もないし、なかなか会えない息子とも会えることが嬉しいのでしょう・・・とても死期が近づいているとは思えない程、楽しそうに話をしていたことを思い出します。その日の多分最後に交わしたのが、前にも書いた「ブログの代筆と更新してくれる?」の会話です。アッピアは視力がないためそう言っていたのですが、私は今でもその言葉が忘れられず、言外に「私がいなくなってもだよ!」という意味が含まれていたようにも思えます。それが今回、更新を引き継ぐことを決めた一つの理由でもあります。

その次の日曜日はアッピアが亡くなる前日ですが、ずっと眠ったままで会話は全く出来ませんでした。夜に眠っていないので薬で眠っていることを看護師から聴き、「もしかしたら厳しいのかな」と感じつつ、アッピアが眠っている横で、息子と二人ずっとクロスワードパズルをやっていました。アッピアとは何の話も出来ませんでしたが、本当に久し振りの家族三人での穏やかなひとときでした。その日の夕方にドクターに呼ばれ、急変する可能性を告げられました。そして、次の月曜日の朝3時位に病院から電話が入り駆けつけた時にはもう息を引き取った直後でした。

結局、最期に「有難う」も言うことも出来ずアッピアは旅立ちましたが、良く一人旅に出ていたこともあり、今でも『一人旅に出たっきりまだ帰って来ない』ような感じですし、多分本人もそういう感覚かも知れません。今頃お墓で「あれ!こんなところに旅行に来たんだっけ?」と言っているかも知れませんね。最期に言えなかった言葉をこの場所を借りて・・・「今までどうも有難う!ブログ引き継ぐことを決めたよ!」


★アッピアの息子です。今日は、亡くなる2日前の土曜日、アッピアと話していたことをお伝えしようと思います。10月25日のmusic stationで、嵐が、『P・A・R・A・D・O・X』という新曲を歌っていました。当時、アッピアは嵐に夢中でした。土曜日に、アッピアに新曲のことを教えたら、アッピアは『帰ったら聴きたい!』と言っていました。しかし、その願いは叶わぬものとなりました。僕は、命日にアッピアケータイにその曲を落とし、アッピアの仏壇の前で流しました。アッピアは、天の下で楽しく曲を聴いている事でしょう。こらからも嵐を応援します。

2014年11月23日 アッピア夫&アッピア息子

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アッピアの命日に寄せて~byアッピア夫&アッピア息子

2014-11-18 22:05:21 | アッピアの命日・法要
☆アッピアの夫です。1年ぶりに帰って来ました。長らくご無沙汰いたしました。

今日がアッピアの命日ですので、さすがにこの日に更新をしないと皆様から見放されるのでないかと思い、更新いたしました。因みに「波乱万丈!男二人のドタバタライフ」は残念ながらまだ実現できておりません。もう少し落ち着いたら・・・と思っているのですが、「落ち着いたらドタバタとは違うやろ!」と一人つっこみを入れております。

早いもので、あれから1年が経ちました。私と息子の1年前のブログには、本当にたくさんの温かい励ましのコメントをいただき、どうも有難うございました。また、更新がないにも関わらず、今でもたくさんの方に訪れていただき、またコメントもいただけることに、言いようのない幸せを感じております。皆様からのコメントは何度も何度も読ませていただき、強く心を打たれました。「アッピア魂」「アッピア精神」・・・皆様に名付けていただいたアッピアの残してくれたものを大事にしていかなければと、私自身も時々訪れては気持ちを新たにしております。

ご報告ですが、11月2日に私の故郷である和歌山にあるお墓にアッピアを納骨すると共に、一周忌法要を行って来ました。私が生まれ育ったのが、和歌山県は高野山の麓にある田舎町で、家のすぐ近くに小高い山そのものが公園になっているところがあります。子供のころは暗くなるまで毎日のように遊んでいたところで、その一番高いところに実父の墓があり、アッピアもそこに眠りにつきました。実は、その墓地のすぐ隣に新しい小学校が出来ていて、今までは学校の名前を気にしたこともなかったのですが、納骨の際に見に行ってみると、何とずいぶん前に別の場所から姿を消していた自分の母校でした。自分の母校が思いもよらぬ場所に復活していたことに感激すると共に、何か深い縁のようなものを感じました。

アッピアは、私の父が他界した後何度かこの場所を訪れています。「私、こんな田舎で眠るのは嫌だな。もっと賑やかな所がいいな!」というようなことを言っていたのを思い出しますが、今はその田舎の緑豊かな静かな場所、そして昼間は子供たちの元気な声が聞こえる場所でゆっくりしながら、「田舎もまんざら悪くはないな!」と言ってくれているような気がします。

納骨の際に少し不思議なことがあったのですが、お坊さんが読経して骨を納めたとたんに、突然息子の具合が悪くなり、お墓の前に横たわるような状態になりました。お坊さんが帰る頃には少し回復しかけていたのですが、まだ顔面は蒼白でした。「まあゆっくり歩いて山を下りようか」とお墓を離れかけていたところに、先に出たお坊さんの車が戻って来ました。「何か忘れ物でもしたかな?」と思っていると、車を降りたお坊さんは「僕ちょっとおいで」と息子をもう一度お墓の前に連れて行き、念仏を唱えながら、息子の背中をポンポンと叩いていました。ほんの数分のことでしたが、「もう大丈夫ですよ」と言いながらお坊さんは帰って行きました。その後すぐに、息子は何事もなかったかのように元気になりました。もしかしたら、あれは縁も所縁もない場所に置いて行かれるアッピアの寂しさ紛れのいたずらだったのでしょうか。

不思議ついでにもう一つ。アッピアが旅立った後の正月のことですが、例年のごとく私の実家がある大阪で過ごしました。元旦に目を覚ました私が初夢でアッピアの夢を見たことを息子に話すと、「俺も見た」と息子が言い、具体的な内容まで話してくれました。私自身は夢の内容をはっきりと覚えていなかったため同じ内容の夢かどうかまでは判りませんが、二人とも初夢がアッピアだったことは間違いないようです。単なる偶然かも知れませんが、アッピアも毎年大阪で正月を迎えることを楽しみにしていたので、一緒に正月を迎えに来たのかも知れませんね。

心理学に「シンクロニシティ」と言う概念があります。「意味ある偶然の一致」や「エネルギーの共鳴現象」とも言われるもので、その人のことを考えていると偶然目の前に現れるとか、まるで導かれるように大切な失くし物が出てくるというようなことですが、そういった概念が本当にあるのかどうかは判りませんし、偶然の出来事に意味を持たせるのはあまり好きではないのですが、このような出来事を通して「姿は見えないけど、アッピアは傍にいるんだな!」と私達家族が思えたらそれでいいのかな、と思っています。

私も父親と母親の二役にもすっかり慣れ、息子の塾の弁当作りなどもそれなりに楽しんでいます。「お父さんって意外と料理がうまいね」と息子に言われ悦に入っていたりすると、「それだったらもっと手伝ってくれたら良かったのに!」と言うアッピアの声が聞こえるような気がします。息子も塾が始まって以来、予定のない日がないと言う位忙しい毎日ですが、学校や塾や習い事の合間には、誰にも邪魔されないつかの間の自由な時間を満喫しているようです。

最近、息子と良く言っているのが、「やっぱりお線香の香りって落ち着くね!」です。息子が学校で嫌なことがあってブツブツ言っていたり、不安に思うことがあったりすると、「じゃあお母さんにお線香でもあげて来な!」・・・この儀式で息子はすっかり落ち着きます。私もお線香をあげることで気持ちが和らぎます。アッピアはしっかり二人の気持ちの支えとなっていますのでご安心ください。

今日の命日は、アッピアの大好物だったモンブランを買って帰り息子と二人で食べました。特に特別なことはない一日ではありますが、「またこれから1年頑張ろう!」そういう気持ちになることがいいのでしょうね。

一周忌も終わって一区切りついたこともあり、また時間を見つけて時々更新しに来ようと思います。アッピアが残してくれたこの温かい交流の場をずっと守っていくためにも・・・
皆様も、これからも時々こちらを訪れていただき、末長く交流していけたら嬉しいです。これから寒さが深まって行きます。お身体を大事にしながら、それぞれの冬を楽しみましょう。我々も去年は冬を楽しむどころではなかったので、今年はしっかり楽しみたいと思います。


★アッピアの息子です。皆様お久しぶりです。

最近、仕事と家事の両立で弱みの現れたお父さんにつけこんでいます。
『お父さん、パソコン使わせて。』とぼくが言います。すると、返事が返って来ません。
次に、僕が『マッサージするから』といいます。そうすると、お父さんは喜んでパソコンの座を僕に譲ります。そんな感じで、毎日過ごしております。

ところで、今年の夏休みに、アッピアのケータイを譲り受けました。音楽、写真など、自由に使えるケータイは、今や僕の命と言っても過言…ですが、アッピアから貰ったケータイはとても性能が良いと感じています。

また登場するかも知れませんが、小学生の世間話に付き合って下さい。

2014年11月18日 アッピア夫&アッピア息子


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