波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「『尋常性ざ瘡(そう)』と言うちょっと怖そうな病名は?」・・・「ニキビ」の正式名称

2018-09-21 23:11:35 | 病気について
☆アッピア夫です。

「ミッコ」さん、学園祭のブログへのコメントを有難うございます。
思春期の純粋で真っ直ぐなエネルギーは本当に美しく、そして羨ましいですね。
学園祭に行く度に「純粋だったあの頃に戻りたい」・・・といつも思わされます。

ところで、思春期につきものと言えば・・・「ニキビ」

「ニキビ」と言うと、思春期特有のちょっとした生理現象くらいに思っていたのですが、
実は「尋常性ざ瘡(そう)」と言う名前のれっきとした皮膚の病気だと言うことを最近知りました。

しかも明確な原因はまだ解明されておらず、ざっくりと「細菌と皮脂とホルモンによる相互作用」・・・
位のことしか分かっていないようです。

明確な原因が分からないため対症療法となり、悪化させないためには初期段階での治療が大事なようですが、
軽くみていた結果、息子はこの1年ほどずっと酷いニキビに悩まされることになりました。

1年前にニキビが酷くなって来たので、フラッと家から近い皮膚科に行き、薬を処方してもらいました。
ごく最近まで、薬がきれたら息子1人で病院に行って薬を処方して貰うことを続けていましたが、
ニキビは治まるどころか一層悪化していました。

良くならないまま数種類の薬をずっと処方され続け、挙げ句に高価な薬を追加で処方されました。
「良く利く薬でちょっと高いけど大丈夫?」と中学生に高価な薬の使用を勝手に了解させたことに憤慨し、
私が以前お世話になったことのある信頼できる皮膚科に連れて行きました。

そこでは「今は安くてもっと効果のある薬がありますよ」と、塗り薬と漢方薬を処方されました。
そして、その薬を使い続けて約1ヶ月・・・

お陰で、酷かった炎症もかなり治まり、随分改善されました。
対症療法と言うのは、病院によってこんなにも差があるのかと実感させられた出来事でした。

どんな病気でも「病院選びに手を抜いてはいけない」と言うことですね。
アッピアがいたら、「効果がなかったらすぐに対応しなきゃだめ!」と言われそうです。

昔から「ニキビは青春のシンボル」や「思われニキビ」などと言われていたためか、
軽く考えていましたが、「皮膚の病気」なのだからしっかりと治療しないといけないと言うことですね。

少なくとも「ニキビ痕」が残らないように・・・

因みに、「ニキビ」と言う言葉の語源は諸説あるようですが、受ける印象からどうしても病気と認識しにくい。
・・・かと言って、正式名称の「尋常性ざ瘡(そう)」じゃ何のことかさっぱり分からない。

いっそのこと、「思春期皮膚病」や「顔面ブツブツ病」など、しっかり病気だと認識出来る名称にすれば、
誰もがもっとニキビの治療やケアに意識が高くなると思うのですが・・・

「青春のシンボル」ではなく「青春の汚点」・・・「思われニキビ」ではなく「嫌われニキビ」・・・
ここまで言い換えたら確実に治療の意識は高まると思うけれど、あまりにも可愛げがないか・・・

2018年9月21日


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正式な病名は「胸椎部硬膜内髄外腫瘍」、そして腫瘍そのものは「神経鞘腫」

2018-05-03 23:14:48 | 病気について
ッピア夫です。

ゴールデンウイークも後半に突入しましたね。
今日は、ゴールデンウイーク唯一のイベントとして、「家入レオ」のコンサートに行って来ました。

まずは、これに行けることを第一目標に退院後のリハビリを頑張って来ました。
一気にハードルを上げることになりましたが、約2時間のライブを心底楽しむことが出来ました。

そして、何よりも悶々とした気分を一気に発散でき、気持ち的にすっかり元気になって帰って来ました。
大袈裟ですが「生きていることを実感して」・・・

話は変わり、今回は私の病気そのものについて書きたいと思います。

正式な病名は「胸椎部硬膜内髄外腫瘍」・・・
病気の名前って本当に分かりにくいのですが、分かりやすく言い換えると次のようになります。

「脊椎の胸部に出来た腫瘍が、脊髄を覆う硬膜の中で成長し、脊髄の外から神経を圧迫する病気」

入院中、医師が病理検査の結果「良性で再発の可能性も稀」だと伝えに来てくれました。
手術前に可能性が高いと言われていた「神経鞘腫(しょうしゅ)」と言う種類の腫瘍であることがはっきりしました。

「神経鞘腫」と言うのは、神経そのものが腫瘍化するもので、その原因はよく分かっていません。
相当長い時間をかけて成長することもあり、先天性の可能性もあるようです。

病気としてはやはり稀なもので、私の主治医も1年に1回手術をするかどうかとのことでした。
専門の医師でさえ1年に1回しか手術例がないのですから、それだけ珍しい病気なのでしょうね。

手術そのものは、「背中のど真ん中を10㎝ほど切開し、連続した3つの胸椎の突起部分を切除した上で、
その中を通る脊髄の硬膜を切開し、腫瘍を摘出」・・・簡単に言えばそう言うことになります。

簡単に言えばそうなのですが、具体的に説明すると皆が引きます。

まずは、これまで何度か背骨の模型を見せられたので、すっかり脳に画像がインプットされましたが、
背骨と言うのはかなり複雑な形状をしています。

まず、椎骨(ついこつ)と言う独立した骨が連なって出来ているのですが、胸部には全部で12個あります。

また、椎骨は円柱形の部分と突起した部分で形成されています。
恐竜の骨をイメージして頂くと分かりやすいかと思いますが、背骨には槍先のような突起がありますよね。
その突起の根元辺りに穴が空いていて、そこを脊髄が通っています。

脳からの指令を各部位に伝える大変重要な役割を持つ脊髄ですので、外部の衝撃から守るために、
わざわざそのような複雑な構造になっているのでしょうね。改めて身体の不思議を感じます・・・

余談ですが、動物はよく「脊椎動物」と「無脊椎動物」に分類されますが、脊椎動物の種の数はたったの5%未満。
何と残りの95%以上が「無脊椎動物」と一括りにされる中に・・・

身近な動物のほとんどが脊椎動物(哺乳類、魚類、鳥類、両生類、爬虫類)ですので、
改めて動物の多様性に驚かされます。

話は戻り、背骨の突起部分をどうやって切除するのかを医師に訊いたところ、「大工さんと一緒」とのこと。

つまり、手術用のノミやトンカチを使って骨を砕いて取り除いて行くようです。
手術しているところを想像したら恐ろしくなりますが・・・

私の手術痕の痛みはまだ癒えず、まだ椅子の背もたれに背中をくっつけられない状態ですが、
ある意味これだけ手荒な手術と言うことは、背中に大怪我を負ったのと同じことなんですよね。

先日、退院後初めての診察を受けて来ましたが、「これが怪我であれば、重傷と思ってください」と言われ、
「完治まで数ヶ月はかかる」こと、「足の痺れは後遺症として残る可能性がある」こと等を説明されました。

「仕事への復帰」は、後遺症など身体の状態を見ながら自己判断でとのことですが、
「決して急ぎ過ぎないように」とクギを刺されました。

リハビリでお世話になっている理学療法士にも「仕事への復帰」について相談したところ、
「足が動かなくなるまで無理をする人は、復帰しても必ず無理をするので、
あなたには回復途上での復帰は勧められない」と言われました。

前回、「きのっこのこ」さんから「そこまで頑張らなくても・・・」とのコメントをいただきましたが、
本当にその通りだと思います。

入院前のあのハチャメチャな状態はどう考えても「頑張りすぎ」「無理しすぎ」・・・
今つくづく思うのは、「病気において無理は禁物」と言うことです。

私が言っても全く説得力がありませんが・・・

2018年5月3日


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「手術後から退院までのこと」~息子の「一人暮らし力」にも貢献

2018-04-27 13:20:57 | 病気について
アッピア夫です。

ゴールデンウイークを前に良い気候が続きますが、私はまだ自宅療養中でひたすらリハビリの毎日です。
今回は、手術後から退院までのことを書きたいと思います。

2日後に移った大部屋では窓際で、毎日外の景色、特に桜を眺めながらの入院生活となりました。
入院生活は見事に桜の開花と共に始まり、咲き終わると同時に終わりました。

これは運がいいのか悪いのか、何とも言いがたい複雑な気持ちですが、
リハビリ室から見える満開の桜がすごく綺麗で、散り際の桜吹雪と共に壮観でした。

大部屋に移って落ち着いてから分かったことは、下半身がフル装備であること・・・
正式名称は分かりませんが「採尿装置」に「オムツ」、両足のふくらはぎから足首にかけては「血栓予防装置」

そして、ベッドの横に置かれているのは「車椅子」・・・

これは、もしかしたら医師が事前に言っていた「場合によっては車椅子生活」が現実になったのだろうか?
そう思って、足を動かしてみると一応動く・・・が左足はかなり重い。

左足を触ってみると、腰から足先までスポンジのようで足の感覚が鈍く、足全体が痺れている。
一応動くと言うことは「下半身麻痺」ではない・・・だけど、痺れがあるのでどうも歩けそうにはない。

自分の状態がよく把握できずに色々と考えていると、看護師から具体的な説明が・・・

現在の状態として「排泄・排尿障害」「下肢・歩行障害」があり、しばらくは「車椅子」での移動になるとのこと。

当然のことながら「オムツ」は病院に立て替えてもらっていて、自分で調達しなければならないため、
息子に最初にお願いしたのが「オムツ」を買って来てもらうこと・・・

敢えて訊いてはいないものの、いきなり「オムツ」を買わされた息子はどう思ったのでしょうね?
「この歳でまさかの父親の介護?」とまで思ったかどうかは分かりませんが・・・

その後、幸いなことに3日ほどで「オムツ」の必要はなくなり、
「採尿装置」は細菌感染のリスクがあるとのことで、「自力でやってみましょう」と外されました。

そして、何度か頑張ったものの残念ながら私の蛇口は開かず、「導尿」と言うものをやることに・・・
これは自分で膀胱までカテーテルを入れて名前の通り「尿を導く」のですが、
最初は「まさか・・・」と思ったものの、今ではすっかり慣れっこになりました。

看護師によると、「導尿」をやることになったある患者は「こんなことまでやってられるか!」と、
怒って退院してしまったとのこと。その人のその後が気になりますが・・・

早くも翌日からリハビリが始まり、毎日のリハビリのお陰で少しずつ歩けるようになると、
移動手段は「車椅子」から「歩行器」に替わり、一人で移動出来るようになりました。

リハビリを始めて10日もすると、「歩行器」も卒業して杖での歩行が可能となりました。
そして、ついに入院19日目で退院することが出来、自宅療養しながら仕事への復帰を目指すことになりました。

退院した日は少し肌寒い日だったのですが、久し振りに吸った外の空気は本当に美味しかった。

ところで、入院期間中の内4日間は、母親が来て息子の面倒を見てくれましたが、
母親も高齢で体調が万全ではなく、結局息子は約2週間を一人で生活することになりました。

退院日には「完璧に一人暮らしの自信がついた!」と、誇らしげに語っていましたが、
今は何かと便利なので、中学生でも期間限定であれば一人暮らしも可能なんですよね。

緊急入院した日は、あまりの状態に息子も私が還らないことも考えて不安だったようですが、
戻って来ることが分かると、ここぞとばかりに「一人暮らし」を満喫していたのでは・・・

事前に許可申請はありましたが、退院日前日には友達数人と我が家に寝泊まりして遊んでいました。
たまには羽目を外したいでしょうし、息子も頑張ってくれたことへのご褒美・・・ですね。

さて、これで今回のシリーズは終わりにしようと思っていたのですが、
病気そのものについて触れていないことに気づきましたので、次回はそのことについて書いて、
今回のシリーズを終えたいと思います。

2018年4月27日


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「病院に駆けつけてから『緊急手術』まで」~これまでの人生で一番長く感じた日

2018-04-20 15:40:45 | 病気について
アッピア夫です。

あの悪夢の日からちょうど1ヶ月となりました。長かったような短かったような・・・
少なくとも時間が経って、これまでの出来事をより冷静に振り返ることが出来るようになりました。

前回の続きとなりますが、病院に駆けつけてから「緊急手術」までのことを書きたいと思います。

タクシーを降り、息子の肩を借りながら片方の手で登山用のストックを杖代わりにして、
ヨタヨタと病院の玄関に入って来る姿は、相当異様な光景だったのでしょうね。

時代劇で武士が最期を遂げる時、刀を杖代わりに倒れ込む寸前のような感じでしょうか・・・

玄関にいた方々はさーっと私達をよけ、病院のロビーにいた方々のたくさんの視線を浴びたことを感じました。

案内カウンターにいた三人のスタッフが一斉に駆け寄り、首が折れそうな位傾いている息子に替わり、
二人が私の両肩を支えてくれて、もう一人の方がすぐに車イスを持って来てくれました。

事情を話すと、整形外科の外来のところまで連れて言ってくれて、後のことは全てやってくれました。

それにしても、こんな状態で病院に駆けつけても、自力で来たのでまずは外来に行くんですね。
後に、友人の看護師に状況を伝えたら「その場合は救急車でしょ!」と返されましたが・・・

取り敢えずはホッと一息ついて、診察を待つ間に時計を見るともうお昼の11時になっていました。
夜中の1時頃に目覚めてからもう10時間も経っていたとは・・・
10時間も経てばもう1日が終わったような気分ですが、その日はまだまだ終わりません。

その後、医師の診察を経て当然そのまま「緊急入院」となり、ベッドで部屋に運ばれて行きました。

息子は二日後に中学2年生の修了式を迎えるため、その日は有志の生徒でのクラスの打ち上げが行われていました。
「もう打ち上げに行っていいよ。今日は有難う。」「手術が決まったら連絡する。」と帰しましたが、
結局その日の夜に「緊急手術」を行うことが決まりました。

息子も楽しみにしていた打ち上げなのでもう呼び戻すことはせず、手術後目覚めた翌日に事後報告をすることに・・・

手術自体は、まず患部をよりはっきりとさせるために「造影剤MRI」を受けてからとなりましたが、
造影剤が身体に入った途端に、元々痛い肋骨にこれまで経験したことのないような激痛が走りました。

「イタい!! 肋骨に、肋骨に、あり得ない激痛が・・・!」 

MRIの手前でうつ伏せに寝ていましたが、飛び上がる位の勢いで四つん這いになって叫んでいました。

その後、肋骨の痛みも治まり、疲れ果ててほぼ眠った状態でのMRIも終わりようやく手術となりましたが、
当然のことながら、その後のことは麻酔で記憶がありません。

どれくらい眠っていたのか分かりませんが、手術後に目が覚めた翌日は、
色々なもので武装されながら、だだっ広い部屋に一人ポツンと寝かされていました。

しばらくして、主治医が透明な袋に入った摘出後の腫瘍を持って来てくれ、
昨夜11時位に手術が終わったこと、無事に腫瘍を摘出したことなどを説明してくれました。

「昨日は夜中まで本当に有難うございました。」

主治医は、腫瘍を見せながら「写真でも撮っとく?」といたずらっぽく笑っていましたが、
さすがに記念写真にする気にもなれず、「いえ、止めておきます。」と断りました。

「それにしても昨日は長い一日だったな~」と、主治医が行った後に頭の中でつぶやいていました。
昨日は、もしかしたらこれまでの人生の中で一番長く感じた一日だったかも知れません。

すぐにまた睡魔に襲われ、その日はこれまでの睡眠不足を取り戻すように昏々と眠り続けました。
やっと闘いが終わった安堵感もあったのでしょうね。

しかし、闘いが終わったのもつかの間・・・今度は今にも続く後遺症との闘いが始まることになります。

何か連載小説のようになりましたが、次回は後遺症も含めて術後の入院生活について書きたいと思います。

2018年4月20日


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「最近何かと話題の『過換気症候群』」~私の妹も思春期に発症・・・

2018-02-02 23:17:12 | 病気について
☆アッピア夫です。

昨日から東京・神奈川の中学受験が一斉に始まり、去年に引き続き入試のお手伝いに行きました。

受験生本人も親もただでさえキツい1週間ですが、今朝は雪が降り、
インフルエンザも例年以上に猛威を振るう中、精神的にもかなり大変な毎日が続きます。

まだ小学生なので、一つ一つの結果が受験生の気持ちを大きく左右します。
自分で精神面をコントロールするにはまだ幼く、どのような結果であれ、
親が平然としていることが子供を落ち着かせる一番のクスリなのではないかと思います。

ところで、一緒にお手伝いをしていたお母さんから、娘さんが学校で「過換気症候群」・・・
いわゆる「過呼吸」を繰り返して苦慮していると伺いました。

年末の紅白歌合戦でもグループの数人が「過換気症候群」と思われる状態となり話題となりましたが、
時々、学校では「過換気症候群の連鎖」でかなりの数の生徒が次々に倒れてニュースにもなります。

実は、私の妹が中学生の時にも同じような症状が続き、相当心配したことを思い出します。

最初は、授業中に突然気を失って椅子から倒れ込み、病院に運ばれたことでした。
「貧血でもなさそうだし、特に何か悪いところはなさそうだ」とのことで、
症状も収まっていていたので、その時はそのまま家族と一緒に帰宅。

その後、家でも何度か心臓発作のような状態を起こし、ベッドに倒れ込んでは、
ハアハア言いながら苦しそうに息をして、胸をもがくようにして苦しんでいました。

いつも近くの医者が駆けつけてくれて、しばらくすると症状が治まる・・・
そのような状態が1週間に一度程度ですが、多分1年近くも続いたように思います。

私は、妹が苦しんでいるのを見ていて、「このまま死ぬんじゃないか」と気が気でなかったのですが、
医者の診断は、「思春期に見られる成長ホルモンのバランスの崩れ等による発作」・・・
と言うようなものだったかと記憶しています。

今考えると、妹の場合も「過換気症候群」が原因だったのかも知れませんね。

私は、学生の頃、友達と遊んでいる最中に、突然孤独感を感じたり、
友達と話していて、ふと「自分が自分でない」ような感覚に陥ったりした記憶があります。

思春期には、子供から大人に変化する過程の中で、ホルモンや身体や精神のバランスによって、
外見の変化以上に様々な内面の変化が起こっているのだろうと思います。

話は変わり、私は、昨年11月に尿管結石を発症し、その後回復しましたが、
あれからもう3ヶ月になるにも関わらず、左の背中~脇腹~胸の下のあばら骨全般にかけて、
謎の痛みに毎日毎晩悩まされています。

現在、整形外科で診療とリハビリを続けていますが、まだ原因が特定出来ておらず、
痛み止めの薬を飲みながらの仕事と生活が続いています。

思春期も中年期も、身体のバランスが崩れると原因不明の症状に悩まされるのは同じ・・・
と言うことになるのでしょうか?

2018年2月2日


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