波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

「手術後から退院までのこと」~息子の「一人暮らし力」にも貢献

2018-04-27 13:20:57 | 病気について
アッピア夫です。

ゴールデンウイークを前に良い気候が続きますが、私はまだ自宅療養中でひたすらリハビリの毎日です。
今回は、手術後から退院までのことを書きたいと思います。

2日後に移った大部屋では窓際で、毎日外の景色、特に桜を眺めながらの入院生活となりました。
入院生活は見事に桜の開花と共に始まり、咲き終わると同時に終わりました。

これは運がいいのか悪いのか、何とも言いがたい複雑な気持ちですが、
リハビリ室から見える満開の桜がすごく綺麗で、散り際の桜吹雪と共に壮観でした。

大部屋に移って落ち着いてから分かったことは、下半身がフル装備であること・・・
正式名称は分かりませんが「採尿装置」に「オムツ」、両足のふくらはぎから足首にかけては「血栓予防装置」

そして、ベッドの横に置かれているのは「車椅子」・・・

これは、もしかしたら医師が事前に言っていた「場合によっては車椅子生活」が現実になったのだろうか?
そう思って、足を動かしてみると一応動く・・・が左足はかなり重い。

左足を触ってみると、腰から足先までスポンジのようで足の感覚が鈍く、足全体が痺れている。
一応動くと言うことは「下半身麻痺」ではない・・・だけど、痺れがあるのでどうも歩けそうにはない。

自分の状態がよく把握できずに色々と考えていると、看護師から具体的な説明が・・・

現在の状態として「排泄・排尿障害」「下肢・歩行障害」があり、しばらくは「車椅子」での移動になるとのこと。

当然のことながら「オムツ」は病院に立て替えてもらっていて、自分で調達しなければならないため、
息子に最初にお願いしたのが「オムツ」を買って来てもらうこと・・・

敢えて訊いてはいないものの、いきなり「オムツ」を買わされた息子はどう思ったのでしょうね?
「この歳でまさかの父親の介護?」とまで思ったかどうかは分かりませんが・・・

その後、幸いなことに3日ほどで「オムツ」の必要はなくなり、
「採尿装置」は細菌感染のリスクがあるとのことで、「自力でやってみましょう」と外されました。

そして、何度か頑張ったものの残念ながら私の蛇口は開かず、「導尿」と言うものをやることに・・・
これは自分で膀胱までカテーテルを入れて名前の通り「尿を導く」のですが、
最初は「まさか・・・」と思ったものの、今ではすっかり慣れっこになりました。

看護師によると、「導尿」をやることになったある患者は「こんなことまでやってられるか!」と、
怒って退院してしまったとのこと。その人のその後が気になりますが・・・

早くも翌日からリハビリが始まり、毎日のリハビリのお陰で少しずつ歩けるようになると、
移動手段は「車椅子」から「歩行器」に替わり、一人で移動出来るようになりました。

リハビリを始めて10日もすると、「歩行器」も卒業して杖での歩行が可能となりました。
そして、ついに入院19日目で退院することが出来、自宅療養しながら仕事への復帰を目指すことになりました。

退院した日は少し肌寒い日だったのですが、久し振りに吸った外の空気は本当に美味しかった。

ところで、入院期間中の内4日間は、母親が来て息子の面倒を見てくれましたが、
母親も高齢で体調が万全ではなく、結局息子は約2週間を一人で生活することになりました。

退院日には「完璧に一人暮らしの自信がついた!」と、誇らしげに語っていましたが、
今は何かと便利なので、中学生でも期間限定であれば一人暮らしも可能なんですよね。

緊急入院した日は、あまりの状態に息子も私が還らないことも考えて不安だったようですが、
戻って来ることが分かると、ここぞとばかりに「一人暮らし」を満喫していたのでは・・・

事前に許可申請はありましたが、退院日前日には友達数人と我が家に寝泊まりして遊んでいました。
たまには羽目を外したいでしょうし、息子も頑張ってくれたことへのご褒美・・・ですね。

さて、これで今回のシリーズは終わりにしようと思っていたのですが、
病気そのものについて触れていないことに気づきましたので、次回はそのことについて書いて、
今回のシリーズを終えたいと思います。

2018年4月27日


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「病院に駆けつけてから『緊急手術』まで」~これまでの人生で一番長く感じた日

2018-04-20 15:40:45 | 病気について
アッピア夫です。

あの悪夢の日からちょうど1ヶ月となりました。長かったような短かったような・・・
少なくとも時間が経って、これまでの出来事をより冷静に振り返ることが出来るようになりました。

前回の続きとなりますが、病院に駆けつけてから「緊急手術」までのことを書きたいと思います。

タクシーを降り、息子の肩を借りながら片方の手で登山用のストックを杖代わりにして、
ヨタヨタと病院の玄関に入って来る姿は、相当異様な光景だったのでしょうね。

時代劇で武士が最期を遂げる時、刀を杖代わりに倒れ込む寸前のような感じでしょうか・・・

玄関にいた方々はさーっと私達をよけ、病院のロビーにいた方々のたくさんの視線を浴びたことを感じました。

案内カウンターにいた三人のスタッフが一斉に駆け寄り、首が折れそうな位傾いている息子に替わり、
二人が私の両肩を支えてくれて、もう一人の方がすぐに車イスを持って来てくれました。

事情を話すと、整形外科の外来のところまで連れて言ってくれて、後のことは全てやってくれました。

それにしても、こんな状態で病院に駆けつけても、自力で来たのでまずは外来に行くんですね。
後に、友人の看護師に状況を伝えたら「その場合は救急車でしょ!」と返されましたが・・・

取り敢えずはホッと一息ついて、診察を待つ間に時計を見るともうお昼の11時になっていました。
夜中の1時頃に目覚めてからもう10時間も経っていたとは・・・
10時間も経てばもう1日が終わったような気分ですが、その日はまだまだ終わりません。

その後、医師の診察を経て当然そのまま「緊急入院」となり、ベッドで部屋に運ばれて行きました。

息子は二日後に中学2年生の修了式を迎えるため、その日は有志の生徒でのクラスの打ち上げが行われていました。
「もう打ち上げに行っていいよ。今日は有難う。」「手術が決まったら連絡する。」と帰しましたが、
結局その日の夜に「緊急手術」を行うことが決まりました。

息子も楽しみにしていた打ち上げなのでもう呼び戻すことはせず、手術後目覚めた翌日に事後報告をすることに・・・

手術自体は、まず患部をよりはっきりとさせるために「造影剤MRI」を受けてからとなりましたが、
造影剤が身体に入った途端に、元々痛い肋骨にこれまで経験したことのないような激痛が走りました。

「イタい!! 肋骨に、肋骨に、あり得ない激痛が・・・!」 

MRIの手前でうつ伏せに寝ていましたが、飛び上がる位の勢いで四つん這いになって叫んでいました。

その後、肋骨の痛みも治まり、疲れ果ててほぼ眠った状態でのMRIも終わりようやく手術となりましたが、
当然のことながら、その後のことは麻酔で記憶がありません。

どれくらい眠っていたのか分かりませんが、手術後に目が覚めた翌日は、
色々なもので武装されながら、だだっ広い部屋に一人ポツンと寝かされていました。

しばらくして、主治医が透明な袋に入った摘出後の腫瘍を持って来てくれ、
昨夜11時位に手術が終わったこと、無事に腫瘍を摘出したことなどを説明してくれました。

「昨日は夜中まで本当に有難うございました。」

主治医は、腫瘍を見せながら「写真でも撮っとく?」といたずらっぽく笑っていましたが、
さすがに記念写真にする気にもなれず、「いえ、止めておきます。」と断りました。

「それにしても昨日は長い一日だったな~」と、主治医が行った後に頭の中でつぶやいていました。
昨日は、もしかしたらこれまでの人生の中で一番長く感じた一日だったかも知れません。

すぐにまた睡魔に襲われ、その日はこれまでの睡眠不足を一気に取り戻すかのように昏々と眠り続けました。
やっと闘いが終わった安堵感もあったのでしょうね。

しかし、闘いが終わったのもつかの間・・・今度は今にも続く後遺症との闘いが始まることになります。

何か連載小説のようになりましたが、次回は後遺症も含めて術後の入院生活について書きたいと思います。

2018年4月20日


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「足が機能停止となり『緊急入院』そして『緊急手術』」~1ヶ月と1週間振りにブログ復活します

2018-04-14 22:09:39 | ごあいさつ
アッピア夫です。

前回の「脊髄腫瘍」発症の記事から、約1ヶ月と1週間振りにブログを復活しました。
実は、ちょうど1週間前の土曜日に退院したのですが、背中の手術跡が痛くてブログが書けず、
やっと今日更新できた次第です。

前回の記事に対して、たくさんの励ましのコメントをいただき、本当に有難うございました。
また、同じ病気で手術を受けられた方や、同じような症状の方のコメントは大変有難かったです。

前回の記事を書いた後は、このブログのタイトル通り正に「波瀾万丈」の1ヶ月となりました。

あの後も、背中から脇腹、肋骨にまたがる胸部全体の痛みは激しさを増すばかりで、
痛みで朝3時~4時頃に目が覚めていたのが、眠っていられる時間がどんどん短くなり、
ついに夜中の1時~1時半位に目が覚めるようになり、睡眠時間は2時間位しか取れないように・・・

目が覚めると相変わらず横になっても座っても激痛が襲ってくるため、
朝の用意をする時間までは立ちっぱなしで痛みが少しでも治まるのを待つことになるのですが、
じっと立っているのも辛く、憑かれたように家中のあらゆるところを片付けながら時間をつぶしました。

更に、仕事では激痛のため座っての仕事が困難となり、研修室にある講師用の少し高いデスクに、
空き箱を組み合わせて急ごしらえの立ちデスクを造り、PC作業は終日そちらでやることに・・・
それでも、人との面談だけは立ってやる訳にもいかず、痛みとの闘いでした。

夜中の1時頃から家で立ちっぱなしの上、会社でも終日ほぼ立ちっぱなしで仕事をするので、
当然のことながら夕方には疲れ果て頭が朦朧として来るのですが、足だけは全く疲れない・・・
つまり、その頃には足は疲れさえ感じない程の麻痺状態となっていました。

足が麻痺状態のためまともに歩くことも困難となり、登山用のストックを杖代わりにして、
ヨロヨロと何とか会社まで辿り着き、仕事が終わればまた家まで何とか辿り着く・・・
そんな状態を1週間ほど続けていました。

4月2日入院、4月4日手術と予定が決まったので、何としてでもそれまで持ちこたえなければ・・・
との思いだけで何とかこなしていたものの、そんなハチャメチャな生活が長く続く訳もなく、
ついに3月20日の夜中に目が覚めると足が機能停止状態に・・・

背中が激痛のため起き上がりたいのに、足が全く動かないため起き上がることも出来ず、
何とかリビングまで足を引きずって這って行き、朦朧とした状態でリビングの床に転がっていました。

その日は幸い息子は学校が休みだったため、明け方に起きて来た息子に
「足が全く動かなくなったため、入院準備を手伝って病院まで連れて行って欲しい」旨を伝える。

息子に簡単な朝食を用意してもらい、動かない足を引きずりながらカバンに入院用品を詰め、
着替えをして会社や病院に連絡を入れ・・・

そうこうしている内に、たまたまその日が2週間に一度のハウスクリーニングの日だったために、
外国人のクリーニングスタッフの方が来訪・・・

日本語が充分ではない上に、こちらの事情も全く判らないクリーニングスタッフの方は、
「後よろしくお願いします。事情があってこれから病院に行きます。」とだけ言われて、
床を這いながらあたふたと出かけて行く親子にさぞビックリしたことでしょうね。

そして、その日はそのまま入院し、その日の夜に緊急手術を受けることになります。

前回、「桜が咲く頃、私はもしかしたら病院のベッドの上にいるかも知れません」と書きましたが、
本当にその通りとなりました。

長く書いていると背中の手術跡が痛んできますので、入院後のことは改めて書きたいと思います。
色々と後遺症があり現在は自宅療養中ですが、まずは無事に退院したことをご報告します。

2018年4月14日


男二人を応援いただける方、応援クリックをお願いいたします。

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする