波乱万丈 乳がん転移ライフ!

39歳で乳がん ステージⅢ告知。術後1年経たずに肝臓、骨に転移。そこから始まる長い転移ライフ!

病気に甘えて・・・?/腹部エコー検査付

2012-02-27 18:17:37 | 診察
先週木曜日は、前の週にインフルでお休みしたので、一週間延期のハーセプチン通院。
加えて、採血も腹部エコーもある、けれどあまり緊張感はなし。

朝から冷たい雨で、行きたくないなあ。エコーの予約が遅いから、ブログの記事書いてから病院行こう。
(8年前シリーズ最終回だ、気合い入れてこ!)

病院に着き、採血 → ハーセプチン と順調に終わり、お腹が空いてくる時間だけど、
腹部エコーがあるから食事できずに、精神科へ。

精神科医「どうですか、体調は?」

私  「はい、マイスリー(眠剤)も全く飲んでいないですし、パキシル(抗鬱剤)も30mgから
20mgにして、特に問題なさそうです。よく眠れるし食欲もあります。」

精神科医「それはよかった。・・・・・検査の結果は出たのかな・・・。」

私 「この後エコーです・・・。(何だか診察すぐ終わりそうでソンした気分ありなので、こちら
   から話題を振る。)今、体調も安定していて余裕があるのか、日常のささいなことにイライラ
したり・・・(例えばどんなこと?○×△・・・。)まあそれはいいんですが、なんかこう、
このままでいいのかな、と。つまり、病気を理由に、勉強やスキルアップを先送りというかやらない、
というか、やっても意味無い、なぜなら先はそう長くないから努力しても無駄、と考えてしまいます。
   病気でなかったら、子供も小学生になって手が離れてきたし、仕事を真剣に探してもう復職していた
   かもしれません。なのに今、身体は比較的元気なのに、何をしていいかこのままでいいのか、
   がんという病気に甘えているのか、自分に甘いのか、周囲の目に甘えているのか、いろいろ考えて
   しまうんですよ。でも病気のおかげでラクできているのは事実だし・・・。」

精神科医「アッピアさんはさあ、元々ラクしたいなあ、というタイプではないでしょ?
    どちらかというと、目標立てて努力して、前向きにいろいろ取り組んでいくタイプ
    でしょう?なら病気であってもなくても、勉強や何かの目標立ててやるべきだと
    思うよ。仕事は主治医の先生に体力的にどうか相談した方がいいんだろうけど。」

「・・・やるべき」ですか?
「・・・やった方がいい」や「・・・やてみれば」ではなく「やるべき!?」

あー、言わなきゃ良かったかな。
「がん全身転移で治療中、かわいそう私、だからラクしてもスキルアップの努力とかしなくてもいいよね。」
という独自の前提が崩れてしまう・・・。

でも自分の中でモヤモヤしているのも事実。緊張感のない毎日はストレスも無くてそれはそれで
心地良いのだけれど、“充実感”が不足しているのですよ。
私、20年位前は、人生の中で“充実感”こそ“自分の満足感”だった気がする。
つまり今の生活に満足していないのか?それはあまりにも贅沢過ぎると言うか、感謝の念が足りないというか。
また大鍋に入れてグツグツ煮てじっくり考えてみよう。・・・て結局何もしないでお気楽生活がケイゾクか・・・!

私「うーーーーん、そうですね、まあ結論は出ないですけどね・・・。」

でごまかした。そうそう、結論もらいたかったわけではないし。次回の診察で
「何か目標に向かってやっているかな?」なんて聞かれるのも困るし。

お次は腹部エコー。この検査すごく久し振り過ぎて、前回何年前にやったか覚えていない。
胸と違って、服をまくりあげるだけでいいのでラクチンです。

若めの女性技師が目を凝らしてグリグリする。どうも同じ個所をしつこくグリグリ。
やっぱり嫌な感じ。胃のあたりというか(肝臓調べているのはわかるんだけど)、
手術(2010年肝臓部分切除)跡の辺りを入念に調べている。ダブルチェックでベテラン風男性技師が
再度グリグリ。やはり同じ場所を入念に顔をしかめながら調べている。やっぱ嫌な感じ。早く結果聞きたいよ。

「この後診察ですか?」
そうですけど、何かあるなら今言ってね。言うわけないよね。

主治医診察

主治医「採血の結果は・・・、あ、さっきのエコーの結果ですけど(私の優先事項分かっていらっしゃる)、
    肝臓はキレイでしたよ。問題ないですね。」

よかったあ。ではあの念の入れようは?

主治医「手術した部分に何かないか一生懸命探していたんでしょう。」

ほう、なるほど。切除した部分は再生しているので分かりにくかったわけだ。
まずは良かったあ!

採血結果は、貧血が一気に改善、鉄剤終わり。肝機能値も改善、というか先月高めだったのも変動範囲内。
血清Her-2蛋白が上がっていたけど、これも変動値と見ていいだろう、とのこと。
肝心の腫瘍マーカーCEAは2.1で前回と全く同値。
しこりの状態も変わらず。小さくなったまま大人しくしてくれています。
完全に無くなる風はないみたいだけれど、悪さしなければよし。

その他の症状は、爪が剥がれただの、頻便だの、身体中が痒い・ガサガサだの、お馴染のもの。
このまま、ハーセプチンとタイケルブの高額分子標的薬ダブル攻撃が続いていけるといいなあ、
と願いつつ、薬代点滴代併せて19万円也。皆様の税金及び保険料有難く使わせて頂きました。

  



保険料使っても元気で治療できているならいいぜい、と思って頂けた方、
応援クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8年前乳がん発覚時のこと【10最終回】・・・再発転移発覚

2012-02-23 08:33:54 | 8年前乳がん発覚時のこと
2004年10月に入り、涼しくなり、治療のための通院、子供との生活、友人とのランチなど、
バランスの取れた過ごし方が少しはできてきていた。

11月には一通りの検査を受けた。採血、腹部エコー、胸部レントゲン。
まあ、大丈夫でしょう、とあまり緊張せず診察室へ・・入って椅子に座るなり、中堅女医が
パソコンの画面を変えた。なんか嫌な感じ。エコー、レントゲンの結果は問題ないとのこと。
採血の結果は・・・ここでパソコンの画面を先ほどの画面に戻した。やはり。腫瘍マーカー
CEAの数値が赤色になっている。良く見ると、基準値を超えていた。さらによく見ると、ここ
数か月で少しづつ上がっていたではないか。

ついに、ついにこの時が来たのか。そういうことなのか。
私「再発・・・てことですよね。」
中堅女医「うーん、マーカー値だけでは何とも言えないねえ。検査してみないと・・・。」
いつかは来ると思っていたが、今日来るとは想定していなかったので、心の準備が全くできていなかった。
でも大丈夫、こういうことは判っていたから。うんうん、落ち着こう。

だが、パソコン画面の赤い数値を眺めているうちに、なんかクラクラしてきた。
うっ、気持ち悪い、ズルっ、椅子から落ちてしまった。
私「す、すいません、トイレ行きたいです。」
先生、「え、うんち?」 私「いやあ、なんか気持ち悪くて・・・。」
車椅子でトイレへ。うんちではない。とりあえず頭低くしてじーっとしていた。脳貧血かな。
やっぱりショックだったのかな。まだわからないのに。私ってダメだ。
診察室に戻って、少し落ち着いた。必然的に詳しい検査のオーダーが入った。
CT、脳MRI、骨シンチ。年明けにはPET/CTも。

実は細かいところはよく覚えていないのだが、結果は、CTはグレーのようだった。
グレー、って何がどう怪しいのかわからないが、そんなあいまいな結果のまま、お正月を迎えた気がする。
私「検査の結果ははっきりしないのですが、年末は大阪に帰ります。」と義母に伝えたことは覚えている。
かといって憂鬱なお正月を過ごしたというわけでもなく、恐らく検査疲れでもうどうでもよくなっていた
のかもしれない。
何しろ、1年前は、突然の乳がん告知、年明け手術でドタバタだったから、今年こそはゆっくり
帰省して、孫の顔を義両親にも見せたい、と思っていたのだ。
義母は、私の事をとても心配していたが、私はもう転移覚悟で、あまり深く考えていなかった。

そして年が明けて2005年。
骨シンチでひとつクロが出た。
ベテラン女医 「骨のここ、一箇所だけホントに一箇所だけ(胸椎3)黒くなっているのね。
ここを薬で治療して行きましょう。・・・・」
え・・・つまり骨に転移したっていうことよね。そんな明るくさらりと。

脳はシロ、転移なし。

1月下旬のPET/CTでとどめがさされるのか。
・・・手帳を見ると、具合が悪かったのか、結果が心配だったのか、主治医受診日の前に病院に行き、
別の医師を受診している。そこで覚えているのは、しつこくPET/CTの結果を聞いていたことだ。
医師「・・・、主治医の先生から聞いてもらわないと。・・・まだはっきりとはわかりませんが、
   肝臓に集積が見られますね。」

か・ん・ぞ・う・・・。来たか。肝臓。早くも重要臓器。

翌週のベテラン女医受診日に、改めて、肝臓転移を告げられた。ダンナも同席していた。
ここ数カ月の検査検査で、既に再発転移の心づもりはある程度できていたのか、ショックはあまり
なく、「やっぱり」という感想。

治療については、意外な提案があった。
肝臓をさらにMRIで詳しく調べ、可能ならラジオ波で焼くという治療をやってみましょう」
ということだった。
抗がん剤は、ハーセプチンとウィークリータキソール、アレディアに決まった。
最初は入院で行う。

再発転移確定。術後1年。普通に考えれば早いのだろうが、私の場合は想定の範囲内。
当然家族は相当ショックを受けていた。でも両親や義父母は「がんは転移したら治らない」
ということはよくわかっていなかったかもしれない。いやそう考えたくなかったということだろう。

私は・・・。転移かも、と思った時は衝撃が走ったが、検査を繰り返して転移が確定した頃には、
だいぶ落ち着いていて、正直ホッとした部分もあった。
つまり私が恐れていたのは、“いつどういう形で転移するのか”であって、再発転移することは
ほぼわかっていたので、今回ケリがついて、治療方針も告げられて、ある意味気持ちが休まった
のかもしれない。

もう転移してしまったのだから恐れることはない。
「ひょっとしたら治るかもしれない」とかすかな希望を抱く必要もない。
周りから「治ると信じればきっと大丈夫よ。」と気休めにもならないことを言われることもなくなる。
「ほーら、もう転移したのだから、私治らないんだよ。」
と開き直れる。ホントにどういう性格じゃ。

転移して安心する、ってかなり変。だけど、不思議な事に、よーし、抗がん剤ガンガンやって
まだまだ頑張るぜい、というような戦闘モードになっていたのも事実。

恐らく私の場合は、最初の乳がん告知の時に、再発転移も含めてすべての不安・恐怖を
感じてしまったので、再発告知の時は衝撃が少なくて済んだのかもしれない。

まあ、とにかく乳がん生活第2ラウンドが早くもスタートするのだ。

つづく・・・。

今回で、「8年前シリーズ」は終わりです。次回から、「転移後シリーズ」を引き続き書いていきますので、
どうぞお付き合いください。





転移後どうなったかも気になるから読んでやろうか、と思って頂いた方、クリックお願い致します。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ


コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雑談とシューズ紹介

2012-02-19 15:33:35 | 日記
今日は、息子と父は、ボーイスカウトに繰り出しています。
私は、息子のインフルエンザA型がうつり、4日連続のおこもり。
熱は最高で37.7だったので、検査しないままだったらただの風邪と思うところでした。
おかげで、先週の予定は全部キャンセルで、あちこちにご迷惑おかけしてしまいました。
木曜日の通院も今週に延期です。
体調的には、おおむね回復しました。

エアロビもできなかったので、身体がなまってしまった。
早く再開したいな。
だって、ほら、シューズ新しく買ったのですよ。
ネットであちこち探していたんだけど、デザイン、色、サイズとなかなか
「コレ!」というものがなくて、やっと見つけました。
フィットネスシューズ、インドア・エアロビ・ステップ対応モデル(ニューバランス)

 
色がシルバーピンクと白のツートンなの。

今週デビューできるかな。
トレーニング用ソックスもピンクの線が入っていて、もちろんコーディネートしたよ。
やっぱり格好は大事だだね、気分が盛り上がるしさ。
問題は頭。ケア帽子はやはり変なので、暑いけど、フルウィッグで行ってみるかな。

話は全然変わりますが、金曜日の「アバター」テレビで放映していましたね。
2年前、劇場で見て、すっかり3Dの虜になったのですよ。
2年ぶりに観て、やっぱり面白かった。「タイタニック」も3D化するようで。
ジェームズ・キャメロンは天才やな!

そして今心待ちにしている、3D化される名作がありまして。前売り買ったら記事にしてみます。

では、また、今日は最後まで雑談でした~。





1日1回、クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8年前乳がん発覚時のこと【9】・・・つかのまの幸せな日常

2012-02-16 14:32:11 | 8年前乳がん発覚時のこと
2004年1月7日、左乳がん全摘後、術後抗がん剤→放射線治療→ホルモン療法と進んだ。
ここで、私の術後治療について少し説明。
退院前の主治医(ベテラン女医)の説明では、術後治療に、
CEF6クール → タキソール4クール → 放射線治療 → ホルモン治療
の予定だったが、CEF6クール終了時点で、なぜかタキソールはやらずに放射線治療になった。4
今の私なら、理由を納得するまで聞くのだが、当時は何もわからないまま、
抗がん剤が少なくなったから楽でいいかな~、ぐらいに考えていた。

ウルトラハイリスクの病理結果の私が、理由もなしに抗がん剤治療が減る要素はないはずなのだ。
しかし、実は未だに術後のタキソールがなくなった理由はわからない。しばらく後に一度ベテラン女医の
子弟の中堅女医に聞いたことがあるが、歯切れが悪くてよくわからなかった。
ただ、タキソールをやろうがやるまいが、再発間違いなしの私にはどうでもいいことだった。
ただし今の標準治療である、術後にハーセプチンなら話は別。これは絶対やった方がいいと思うが、
当時はハーセプチンは再発後にしか使えなかった。
というわけで、今の主治医にも理由は聞いていないままだ。

CEFも終わりに近づいた5月初旬、子供の1歳の誕生日を迎えた。じいちゃんばあちゃんと
弟夫婦も来て、にぎやかに過ごした。治療真っ最中でも、こうした幸せの時間がとてもうれしく、
もちろん来年だって再来年だって、こんな幸せの時間を奪われてたまるか、と思った。
でも、でもダメかもしれない。奪われているかもしれない。楽観と不安が交錯する中、1歳の、
まだ歩き始めたばかりの無邪気な子供を見つめるばかりだった。

術後抗がん剤CEFが終わり、6月下旬から放射線治療が始まった。全摘でも、リンパ節転移多の
人は、胸壁や鎖骨周りに再発予防として放射線をやることが当時は一般的らしい。(今はよくわかりませせん。)
このころ猛暑で、通院から帰ってきてバテバテだった。ついでに巨人軍の長嶋さん(ミスターの方ね)
が脳梗塞で倒れて私の通う病院に運ばれたとのことで、テレビカメラの人達が来ていた。
ちなみに、病棟には政治家部屋というのもあるらしくて、一度覗いてみたい!

ところで、術後一旦大阪に帰った義母だったが、6月にまた私のサポートのために来てもらった
頻繁な通院と1歳児の育児はやはり私にとっても相当な負担で、実母も私のサポートに疲れ気味
だったので、応援してもらうことにしたのだ。今でも元気な義母(71、乳がん経験あり)と
実母(81、病気知らず)だが、物理的なサポートは、今でも本当に有難い有難い有難い!
何度でも言ってしまう。

退院後の不安感や落ち着かない感も、各種治療と子供の世話でそれなりに忙しく、週1~2回も
応援に来てくれる母のおかげで、少しずつ落ち着いてきた。

当時の手帳を見と、胃の調子が悪かったのか、近所の内科に行ってドグマチールという胃腸薬を
もらっている。この薬は面白い薬で、胃腸薬として飲んだ患者が、気分も良くなり元気になる
ということが判ってから、抗精神薬としても使われている。副作用はもっと面白くて、
おっぱいからお乳が出てきてしまうこと。プロラクチンというホルモンのせいだが、男の人もなるのか?

で、この薬を飲み始めてしばらくたったころ、乳首をギューッとすると、黄味がかった白い液体が
出てきて息子が面白がった。
なぜこの薬の話題をしたかというと、飲み始めてからすぐに身体のだるさが減り、なんとなく
元気になってきたのだ。8月に入り、折しも世の中は夏休みモード突入。私も、身体が軽くなってきた
ことでフットワークも良くなり、子供を連れて乳幼児が集まる遊び場サロンに行ったり、
スーパーに併設している小さな遊戯施設(アンパンマンの乗り物の類)で遊んだりして、
当たり前の子供との生活を楽しみ始めた。

8月中旬からは、アテネオリンピックも始まって、なんかウキウキ気分。夜中の女子マラソンを
ダンナと義母と私3人で見ているときに、うるさくて目が覚めたのか子供がフラフラ起きてきて
リビングに顔を出し、結局みんなで野口みずきの金メダル獲得を応援したっけ。

私はまた、次のオリンピックは見られるのかなあ、中国の開会式ってどんなんだろう、なんて当時思った。
しかし北京オリンピックが過ぎ、ロンドンオリンピックも楽勝で見られそうである。

義母がひとつプレゼントをしてくれた。子供を家で見ているから、ダンナと私2人で旅行でも行って
くれば、とのこと。旅行好きの気持ちがムクムク起き出し、私は場所や宿探しに精を出す。
夏なので長野の高原あたりがいい、と思い、安曇野の創作料理が美味しい宿に決定。
1泊2日の旅をゆっくり楽しんだ。その時の食事のおいしさは今も忘れられない。

こうして、倦怠感が抜け体調が良くなってきたのをきっかけにして、あちこち外へ遊びに行く
ようになると、素直に“遊ぶのって楽しい”と思えるようになった。楽しいことを積み重ねると
ますます楽しいことがしたくなり、気がついたら術後のみじめな不安はかなり和らいでいた。

9月に入ると、子供とリトミックの体験教室に行ったり、子供向けのコンサートに行ってみたり、
普通のおかあさんをしていた。たまには学生時代の友人とランチもした。旧友にはほとんど、
病気の事は打ち明けた。
この頃には通院は月1回、リュープリンの注射のみ。病気の事を忘れることはもちろんないが、
ことさらに考え込んだりこだわったりはしなくなった。

術後半年間の辛い時期を何とか乗り越え、ようやく日常生活、子供との楽しい穏やかな生活を
取り戻した感じがあった。こんな生活が長く続いて欲しい。いや、きっとあっという間に数年経って
子供もすぐ大きくなり、病気も過去のものになるのではないかな。そんな甘い願望が芽生えた。
しかしそれは甘いというものだ。リンパ節24個転移の元気ながんは、そんなに大人しくしてくれる
はずはなかった。
つまり、もう再発の足音は静かに忍び寄っていたのだ・・・。

つづく・・・。





1日1回、クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ開設1周年!

2012-02-13 16:59:25 | ごあいさつ
ブログ開設1周年2月11日に、やはりブログ更新はできませんでした。
息子がインフルエンザA型にかかってしまい、週末は予定がだいぶ狂ってしまいました。
予防接種をしたのにもかかわらず、39度の高熱が丸3日続いて、食事も満足にとれず辛そうでした。
土曜日が祝日だったのが運のツキで、翌日曜日に休日診療所に行ったものの、熱も下降気味とのことで
リレンザをもらえず、結局熱は下がらず、今日かかりつけ医に行ってようやくリレンザを服用し、
今は元気にしています。休日診療の医師がなぜリレンザを処方しなかったのか、かかりつけ医は怒っていました。

そういうわけで、楽しみにしていた患者会の会合や、がん友とのランチ会は吹っ飛び、
家でひたすらおこもりデス。息子は、明日のバレンタインデーに学校休まないといけないので、
とても残念がっている・・・てもらえる自信あんのか!?

余談はこのぐいらいにして、ブログ開設1年が経ちました!
皆様、この1年、アッピアブログにお付き合いくださり、ありがとうございました。

ところで、以前記事にも書きましたが、「アッピア」は、古代ローマ時代のアッピア街道からとりました。
イタリア好きの私は、この雰囲気のあるアッピア街道に行きたくて、過去3回挑戦してやっと
夢叶ったのです。ですので、「アッピア」はすぐに決まりました。

1年前、ブログを始めたころは、肋骨転移の痛みと、増え続ける左胸壁周辺のしこりに悩んで
いました。ブログを勧めてくれたのは、ご存知看護師助(すけ)さん。でも助さんは、自分の患者の
ブログ等は見ないようにしているとのことで、私のブログも見ていないのです。
(だから、助さんネタも自由に書ける?)

当時の悩み・愚痴を書き始めて、とにかく自分の胸の内を吐露したかったのです。
今までの長い治療経緯を知ってほしかった。だから治療歴などは割と細かく書いたつもりです。
誰か数人でも目に留まってくれればいいと思いました。特に私と同じ転移乳がんの人の目に
留まって欲しかった。だから、ブログのタイトルに「転移」という文字を入れることには
こだわりました。

ブログを書く一番の理由は、同病の人たちに自分の転移生活の事を伝えて、少しでも元気に
なってもらいたかった、ということでなく、ひたすら自分の気持ちの整理のためでした。
どこまでもジコチューなアッピアです。

だから、どこで見つけてきてくれたのか、アクセス数がついて初コメントを頂いた時は、
感激して不思議な気持ちでした。不特定多数の人が見ているんだ、と初めて実感が湧きました。
今では、こんなにたくさんの方たちにアクセス頂いているとは想像も尽きませんでした。

ブログは、コメント欄を通じていろいろな人と繋がることができることも知りました。
不安や愚痴を恥ずかしながら書いてしまっても、必ず受け止めてくれる人がいる。
同じ悩みや不安を抱えている人もたくさんいて、多くの共感のメッセージもいただきました。
なんか、仲間が増えた嬉しさを感じました。それに、コメントをくれる人達の気持ちの
暖かさがいつも伝わってきて、私もジンときてしまうのです。

私は、毎回こういう内容で書こう、と中身をや文の構成を考えてから書くタイプではありません。
書きながら考えながら書いています。つまり、書いているうちに考えが整理されたり、意外な発見が
あったりして、楽しくなる作業なのです。だから、予定より長めの記事になることが多いです。
いつも長めの文にお付き合いいただき感謝です!

それと、特に診察の様子や会話などは、臨場感を大切にしています。感じたこと考えたことを
上手い表現で文にすることは苦手なので、細かい描写によって、つまりその時見聞き感じたことを、
あまり考えずにそのまま書き綴っています。もしその場(診察室とか)にいるような感じを、少しでも
持ってもらえたなら、とても嬉しいです。モットーは「正直に」、良い時も悪い時も。

今続けている【8年前シリーズ】はもうすぐ終わり、続いて【転移後シリーズ(仮題)】を書く予定です。
内容は何も考えておらず、当時の手帳をひたすら眺めながら思い出しながら、(涙を流しながら?)、
振り返る予定です。

2年目のブログがどんな風になるのか予想もつきません。この1年がどうなるか予想がつかないから。
病状や治療の効果がどうなるかは、運命を天に託すしかないのですが、自分自身はいつも穏やかに楽しく、
そしてワクワク感も忘れずに過ごしていきたいです。

できればまた、家族旅行や一人旅(!!!)の写真で埋め尽くしたい。
新しいことや興味あることにもどんどんチャレンジしたい。
元気が出ない時は、どうすれば気持ちよく過ごせるかいろいろ工夫したい。
笑いのツボも研究したい!!!

ではでは、2年目スタートします。どうぞよろしくお付き合いくださいませ。




よし、では2年目もひとつ付き合ってやろう、と思って頂いた方、クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ




コメント (24)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ZUMBA

2012-02-10 18:34:49 | 日記
さて、最近の体調など。
手の爪でチョット難儀しています。新しく根元から生えてきた爪が、また膿んで割れてしまい、
また生え替わるのかな。これを繰り返していたら、私の爪がきれいに全て生え替わるのはいつになることやら。
慣れたとはいえ、QOL落としています。

あとは、全身ドライスキンでザラザラ、パサパサ、痒痒です。
他は・・・無いかなあ。
つまり、体調は概ね良好です。

眠剤のマイスリーも、昨年6月から欠かさず飲んでいましたが、2週間前から飲んでいません。
問題なく寝られています。調子に乗って、抗鬱剤パキシルも減薬に挑戦しています。
こちらは精神科医と相談の上慎重に進めています。既に30mg → 25mgになり、
そろそろ20mgに移行の予定。あせらずゆっくりといきますよ。
精神科医曰く、パキシルの減薬はオススメではないが、とのこと。
どちらかというと、私の好奇心から減薬している感じ。
自己責任だから、体調や気分の変化には気をつけないと。元の黙阿弥はバカらしいから。

というわけで、元気なアッピアは、今日もフィットネスクラブに行ってきました。
エアロのインストラクターは、息子の体操と水泳の先生で、よーく知っています。
ケア帽子被って変なかっこうだから、後ろの方で目立たないようにやっていたけど、
見つかっちゃったので、挨拶・雑談。

今日は、「骨盤エクササイズ」なるプログラムにもトライ。これ、なかなか良かった。
インストラクターのおばちゃん(失礼!)のトークも面白いし、ヒップアップ、お腹引き締め、
骨盤のゆがみ調整など、良いことづくめ。でも明日あたり、腰回りや腿が筋肉痛の予感アリ。

先々週初トライしたプログラムは「ZUMBA」。ラテンのリズムに乗って、エアロビとラテンダンスを
組み合わせたような感じ。インストラクターもノリノリで、動きも早く、途中手と足の動きがバラバラになり、
私はついていけませんでした。が、終わる頃には汗もかき、楽しかったです。人気のプログラムだけあって、
スタジオは、お姉ちゃんからおばあちゃんまで50人ほどひしめき合っていました。また参加しよっと。

私、姿勢を治したいのです。昨年、骨の痛みで背中起こして寝たり、寝返りができなかったり、
たくさんのしこりで腕が上がらなかったり、とても運動やストレッチできる状態ではなかったのです。
だから、状態の良い今、身体をほぐして、悪くなった姿勢を少しでも矯正して、体力・筋力
つけたいのです。正直、またいつ悪くなったり痛みが出るかわからないから、元気な今、
しっかり運動しておきたいです。身体を動かす楽しみも味わっておきたいし。

でも、しつこく言いますが、昨年のあの状態から、よくここまで復活したものだと、感慨深いのです。
ダンナも、医療麻薬を使い出した時はいよいよかって、絶望的な気持ちになったって。
アレ、同じ記事を以前書いたような。やはりしつこいな、ワタシ。

明日、2月11日は、ブログ開設1周年目の日です。またまた感慨深いです。
そのことは明日にでも・・・更新できるのか、アッピア、連日の更新は全然できていないぞ。





1日1回、クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ


コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がんペプチドワクチン・・・新しい可能性

2012-02-07 14:17:14 | 日記
昨日のNHKあさイチを見た方も多いと思いますが、そう、がんペプチドワクチンのこと。
こういう免疫療法があるのは知っていました。確か九州の方(久留米大ですね)で臨床試験か治療を
やっているとか、その程度は。
でも昨日、ペプチドワクチンの解説をじっくり見て、初めてどういうものか分かりました。
(あくまでも素人として、ですよ)

癌細胞にくっついているペプチドというたんぱく質を標的に攻撃していくというもの。
分子標的薬のハーセプチンも、癌細胞にくっついているHer-2たんぱくというがん細胞の増殖を早める
遺伝子を攻撃するので、似ているかなあと思ったけれど、攻撃のやり方が違う。

ペプチドワクチンは、ワクチンというだけあって、ペプチドを体内に入れて免疫細胞のキラーT細胞を
増強させて、癌細胞を攻撃させる。
ハーセプチンは、標的であるHer-2遺伝子を直接攻撃する。
似て非なるもの。(似てないか・・・?)

共通項で患者に嬉しいことは、正常細胞を攻撃しないので、副作用がとても少ないこと。
しかもワクチンは注射のみ。

番組では、効いた例として、30代の膵臓がん肝転移の女性と40代の小細胞肺がんの男性が紹介されて
いたが、もう抗がん剤も使えない末期状態から、普通に子育てや外出や趣味をするぐらいまで
本当に元気になられていて、3年とか経過しているとのこと。これには正直驚いた。

免疫細胞療法も、いよいよここまで来たのか。乳がんはまだ臨床実験段階で、治験までいっていないが、
手ごたえは十分ありそうな感じ。
私のような、抗がん剤を使い尽くしてさ迷っている感の転移患者にとっては、早く早く実用化して、
保険適用できるようになってほしい。

薬の開発、医療技術の進歩は本当に目覚ましい。
こうしている間にも、世界中でいろいろな可能性が試されている。
そういう意味でも時間との闘い、なのかもしれない。
私たちの生きる時間が延びれば、それだけ多くの可能性を手に入れられるチャンスが広がる。

私としては、TDM-1、ヘルズマブ(?)に続いてがんペプチドワクチン、
これらを全部試してみないと、死ぬに死に切れませんわ。

なので、毎日楽しく過ごして、これらの薬が世に出るまでがんばって生きましょ!





1日1回、クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8年前乳がん発覚時のこと【8】・・・試行錯誤の民間療法

2012-02-05 18:01:05 | 8年前乳がん発覚時のこと
前回、たくさんの温かいコメントありがとうございました。私と同じように、授乳中や妊娠中
に乳がんが発覚した方が多く、やはり早期発見ができなくて・・・というパターン。
こういう人をひとりでも減らしていくにはどうしたらよいのでしょう、と考えてしまいました。
看護師や助産師の方も認識が不足しているのかしら?

それでは、シリーズ続けます。

2004年1月に全摘手術後、がんである孤独感に悶々としていたが、現実の日常は1歳にもならない子供の
子育てに忙しかった。でも、やはり何かしないと落ち着かない。再発しないための何か、自分でできる何か。
本屋やネットで探したり、同じ病室だった人が試していたものを取り寄せたり。
病院の治療ではない、自分でできる療法、いわゆる代替療法(民間療法ともいう)をたくさんやれば、
どれか効くのではないか、再発の予防につながるのではないか、そのためには、情報を集めて、
片っ端から試してみるしかない。そう考えてしまった、相変わらず極端な発想しかできないアッピアである。

この時ほぼ同時進行ではじめた民間療法を書き出してみる。そして続いたかどうか、その後の顛末も。

■食事療法:新品のジューサーとミキサーを買い、無農薬ニンジンを入手するため野菜の宅配
      サービスも始めた。肉・魚はなるべく控え、調味料も自然のものをとこだわり、
      もちろん玄米も食べ始めた。
      最初は、ジュースも物珍しく、フルーツを入れるとそれなりに美味しかったので
      続けていたが、しだいに毎日は面倒になっていく。
      食事も、授乳がなくなり好きなものが食べられると思った矢先に、がんの食事療法
      だなんて、無理があった。元々肉好きなので、それもキツかった。
      おまけにそのころ子供の離乳食作りもあり、自分の食事療法も負担感でストレスになり、
      案の定半年も続かなかった。ただ、新鮮な野菜は美味しかったので、無農薬野菜の宅配は    
      2年以上続けた。

■サプリメント:自然療法のクリニックに通い、そこの医師に相談して、フコイダンを購入。
        ひと月分約36000円かかった。毎月購入しているので、少し安くならないか
        薬剤師に交渉したが、冷たく「がんの方はみなさん○○円ぐらいは購入されています。」
        と言われ、すごく腹が立った記憶がある。
        フコイダンの錠剤を言われた通りの量を飲むと、途端に胃がもたれ気持ち悪くなり、
        これも次第に飲めなくなった。
        その他にも、ホメオクトパシー?(ホメオパシーとは微妙に違う)のよくわからない
        サプリも飲んでいた。

■自律神経免疫療法:○○○東洋クリニックに通い、鍼灸と漢方の処方を受けた。抗がん剤で弱りきった
          免疫を少しでも上げなければと考えたのだ。
          そこの老医師は「大丈夫だよ、きっと治るよ。」と言いながら、毎回同じような   
          施術をして、たくさんの漢方を処方し(保険は効かない)、自分でもわけがわからず、
          ある日私が「この薬、病院でもらえるし今お金がないので要りません・・。」と言ったら、
          看護師も医師も冷たーい視線で見るのだ。いたたまれなくなって二度とそのクリニック
          には行かなくなった。

■サイモントン療法:サイモントン博士の考案した、一種の心理療法。
          指導役(?)の女性と1対1の面談方式で進めて行く。
          今の自分の状態を嘆くのではなく、自分に楽しく、幸せなリラックスした状態を
          与えてあげる、がんがあってもなくても、自分は健康で幸せになることができる・・・。
          そんなような思想だった。
          毎回課題が出され、ノートに書いていく。
          6回で終了(1回1万円)、これは終了まで受けた。でも買わされた、がんを退治
          していくイメージのCDは一回も聴かずじまい。
          当時私の精神状態が不安定だったので、効果はどうだったかなあ。 
          もう少し落ち着いてから受けていれば、また違った成果があっかも、と思う。
          でも興味深い体験ではあった。


■丸山ワクチン:一日おきにお腹に注射するのだが、いちいち病院に行くのは面倒なので、
        自分で注射できるよう近所の医者を探しまわってやり方を教えてもらった。
        1歳の子供がいるので、部屋にカギをかけて、自己注射していた。
        ある日、提供元の日本医科大のスタッフに「抗がん剤の副作用は軽いみたいです。」
        と言ったら「ではワクチンが効いているようですね。」とすかさず何かに書き込んで
        いたのを見た。体調を聞かれたからそう答えただけで、丸山ワクチンが効いているとは
        一言も言っていないし、効いている感もまったくないんだけどなあ。
        こうやって都合のよいデータが作られていくのね、と一気に冷めた。
        でもダラダラと1年半ぐらい続けた。

以上が、術後半年間ぐらいで、私が試行錯誤した民間療法の主だったものである。
ナントカクリニックやナントカ療法に毎週のように通い、もちろん抗がん剤もやり、抗がん剤後は
放射線も入ってきて、なんだか週に半分以上はどこかに通院していた。子供の面倒があるので、
義母が大阪に帰った後は、実母に泊まり込みで来てもらうこともあった。なんだか毎日何しているか
わからなかった。そうして忙しくして、身体のために良いことをしていると信じ込んで不安を紛らわせて
いたのだろう。少し異常だとは思いながらも、母もダンナも、何も言えなかったらしい。

梅雨の時期になると、抗がん剤の副作用なのか暑さなのかわからないが、身体がだるくスッキリせず、
どの療法も効いている感がまったくなく、長い短いの違いはあるものの、結局全部止めてしまった。
特に食事療法はストレスが大きく、「食いたいもの食わして死なせてくれーーー。」的な叫びとともに
すぐ打ち止めにしてしまった。高価なフコイダンもほとんど飲まずにビンごと捨てた。(ヤフオクにでも
出せばよかった?売れないよな。)
ひとつひとつ止めるにしたがい、体調が良くなっていったのは気のせいか?

こうして、苦しかった術後半年間の、戸惑いと悩みと試行錯誤の期間は少しづつ過ぎて行き、
もう少しまともな日常を取り戻していくことになる、のか?

つづく・・・・。 



民間療法(代替療法)については、賛否両論あるし、各人の価値観もあると思います。
いずれにしましても、今回も共感反感含めて気軽なコメントお待ちしていまーす。
書き続けるモチベーションアップしますので。


1日1回、クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セレブ・デ・トマト

2012-02-02 22:30:41 | 日記
先日、乳がん全摘術後で退院直後の友人と退院祝いと称してランチした。
乳がん発覚の前からの友人だったから、がん友とは言わないよね。

周りの友人が新たに乳がんになることはすごくショックだ。乳がんの友達を得るのは、
仲間が増えた感じでチョット嬉しいのだが、それとは違うものなあ。

私で何か力になれることがあるかもしれない、と柄にもなく思い、何度かランチした・・・・
て、結局おしゃべりに花が咲きまくり、乳がんあれこれ、子供の話、趣味のこと、話題の世間話・・・・
そして次はどこのお店にする?ほとんど食べ歩き友と化している・・・。

お互い乳がんであることを知る前は、いっしょにランチという機会もなかったが、こんな縁でもいろいろ
話すと、今まで知らなかったこととか意外な面とか判って、とても楽しいひと時なのだ。
お互い乳がんを発症したことは最悪の事態だけど、こうして親しくなれるのも、キャンサーギフトなのかな。
いや、キャンサーお得感でした。

ということで、先日のランチは、「セレブ・デ・トマト」・・・トマト料理専門店。
自由が丘、代官山、二子玉川にお店があります。(オサレな街ばかりよね、セレブの街?)



前菜。パンもトマト仕込みよね。サラダのドレッシングも甘みのあるトマトが効いていて美味しい。


私が注文した、スープ。トマト丸ごと入っているの。キャベツとの相性抜群!


相方のメイン。どれもハズレなしだって。お酒のおつまみにもなる感じ?


私のメイン。ハンバーグのソースがポイント。これがホントのトマトソースだよ。コクと甘みがサイコー。
ファミレスのトマトソースとは全く別物よ。


すごく甘みのあるトマトジュース。素材が違うとジュースも違うんだなあ。もっと欲しい。


デザートは、トマトのシフォンケーキ。見た目キャロットだけど、トマトだったよ、これがほんのり甘くて
GOODです。もちろんコーヒー付き。

美味しかった、大満足!オススメです。また行きたいな。

そして、今日は病院早く終わらせて(診察キャンセルして)、神保町のインドカレーの「マンダラ」で
念願のバターマサラ(これもトマト風味)食べてきました。
はあー、幸せ・・・。

ではでは、この幸せ感のまま、今日はおやすみです****




1日1回、クリックお願いします。励みになります。
にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする