熟年新米弁理士のひとり言

平成18年に59歳で弁理士試験に合格した企業内弁理士です。弁理士試験、企業での知的財産業務について、気軽にお話します。

松本清張

2009-06-22 19:56:31 | Weblog
松本清張の「1952年日航機撃墜事件」を読みました。

この本は、1952年に三原山に墜落した日航機「もく星号」事件の真相に迫る意欲的な作品です。

当時、私は5歳でしたので、リアルタイムでこの事件を記憶してはいませんが、その後の週刊誌、テレビの特集等で事件の概略は理解していました。
当時から、事故(事件)の詳細が霧に包まれていて不思議な事件だったと記憶しています。

この事故について、松本清張は、公開されている資料から独自の推論を組み立てて、「米軍機による日航機撃墜事件」という大胆な結論を導き出しています。

日航機「もく星号」が三原山に墜落した日は、悪天候であったため、当初、米軍は日本政府に対して、「日航機は駿河湾に不時着して、全員無事で救助中である」という誤報を流しました。
日本政府とメディアの関心が、駿河湾に集中しているときに、米軍は、三原山に墜落した「もく星号」の銃撃の痕跡がある翼の一部を持ち去りました。

この事故には、もう一つの謎が隠されていました。
乗客の中に、女性ダイヤ・デザイナーがいましたが、この女性が持っていたダイヤが墜落現場から持ち去られていました。
このダイヤは、米軍関係者が日本銀行の地下金庫等から持ち去ったもので、真相が明らかになると、米軍にとって大変なスキャンダルになるものでした。

これらの事情を闇に葬るために、日本政府に誤報を流し、日本政府からの交信テープの提出要求も拒み続けました。

1952年は、米軍の実質的な占領状態にあり、日本政府が米軍に真相解明を要求することは困難だったと思われます。
もっとも、現在でも、日米安保条約に基づく地位協定により、特に、沖縄では準占領状態は継続しているといえます。

この作品で、私が感心したのは、松本清張の緻密で論理的な分析力です。
読んでいて説得力があると感じたのは、そのためでしょうね。

最近の読み物で物足りなさを感じるのは、松本清張のような精力的な取材に基づく緻密で論理的な分析を行った作品が少ないためでしょうね。

第2、第3の松本清張が現れるのを期待しましょう。
いつの日か感動できる作品に出会えることを願って。



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