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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 広島県熊野町の民家 モノクロ

2014年10月22日 | 茅葺き民家
熊野町は広島市に隣接している。熊野町の茅葺き民家を探して走っていたら広島市に入っていた事もあるった。さすがに広島市には茅葺き民家はないだろうと引き返した。
広島に行った時は昼はお好み焼を食べる。
子供の頃からお好み焼きは食べていたが今も飽きる事がなく好きで食べている。
九州で働き始めて九州にはお好み焼き、たこ焼のソース文化が無かったのには驚いた。
大判焼きのような饅頭文化はあった。しかし、饅頭と大きな声で言えなかった。
この地方では饅頭は女性器の隠語だっのだ。

四季折々に熊野町に通った。ここまでは一般道で十分だ。
農免道や国道2号線を使い走った。

稲刈りのあと稲架に干してある風景を撮った。
竹のあるところはこの方法である。何段にも積みあげるのは山陰でみかける。
東北は棒を使っていろいろな干し方がある。
外人の旅行者が増えて東北の稲干し風景をカメラに収めていた。
日本人が見過ごしている風景を外人には新鮮に映るのかもしれない。



日本茅葺紀行 NO,168   山口県旭村、南天のある民家

2014年10月21日 | 日本茅葺紀行
山口県旭村は現在、萩市に編入された。
しかし、旭村は山間地である。そんな山間地の細い道をただひたすら走り茅葺き民家わ探す。
家の周りに南天で生垣にしている家があった。しかし、一角だけ南天が切り取られていた。
ここの奥さんと話をしていたら北九州や博多から華の材料を毎年田舎に買いに来る。
自分が入院している間にその連中が刈り盗って帰ったのであろう。

南天盗るなと立て札を立ててあった。
正月も近かったので南天は需要が多い。山間部の南天はコケが生えて時代が付いてお華の材料には重宝される。
梅の木によく着くウメノキゴケの付いているものは高く買い取ってくれる。
岡山の田舎にも大阪から華の材料を買いにくる。ホロをつけた車や大きなワンボックスの車に水の入った大きなバケツを積んでやってくる。訪れた茅葺き民家の家の人が教えてくれた。
表の顔は華の材料買いだが住人がいないと盗人もする。家に侵入して金品を盗む者もいるといっていた。老婆の一人暮らしでは怖い。

我が家の南天は植えて30年以上経つが山間地の南天のようにコケが付かない。朝夕の湿気が違うのであろうか、南天は切られてもすぐに根元から勢いのよい芽が出るので2年から3年で生垣も元通りになる。


懐かしい物 石仏と煙草畑

2014年10月20日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県美星町(現在は井原市)

ネガをスキャンしていたら石仏と煙草畑の写真がでてきた。
しかし、撮った記憶が薄れてすっかり忘れていた。
余りインパクトのある光景でなかったので忘れてしまったのだろう。
映画のワンシーンに使えそうだと思い撮影したのであろう。
太郎と愛子の幼い別れのシーンに出てきそうだ。
三橋美智也の「おさげと花と地蔵さん」の唄の表紙の写真にも使えそうだ。

どこにでもあったこんな風景も時代とともに少なくなった。

田舎道の脇に石仏、誰が何のために建てたのであろうか。
人を弔ったり災害や疫病の供養、村人の守り仏として建てられたのであろうか
撮った時は煙草畑は意識していないと思うが今となっては珍しい光景になった。
煙草は果樹園や野菜畑に転用されている。

広島県の世羅町の芝桜やチュリップ園や果樹園は昔のは煙草を作っていたと言っていた。


岡山の茅葺民家写真展 - 50  雪のある風景 その2

2014年10月19日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町星山(現在は真庭市)

星山は岡山で一番高い滝の神庭の滝の上にある集落です。
神庭の滝を見ながら登る道は驚くほど狭い道で普通車の交差は難しい。
対向車がこないのを前提に登らないといけない。しかし、遠回りだが広い道がある。しかし、雪の日にこの道を登ったら除雪していなかったが車のワダチがあるので登っていたら車が動かなくなった。アクセルを踏んでも空転するだけ、
車の腹が雪に乗り上げたのだ。乗用車は腹の底から地面まで17センチしかない。
ワダチは鮭トラックのものだろう。軽トラは30センチの積雪でも腹を擦らない。
しかたなく積んでいたスコップで周りの雪を取り除き旋回出来るスペースを確保した。
周りの雪を除くのに汗をかきかき30分かかった。

星山という1000メートルを超える山がある。。星山集落からも真っ白に雪を抱いた山が見える。
こんな山の上に20戸程の集落がある。なぜ残っているのであろうかと思った。
この道がかっての出雲街道であったとある資料に書かれている。勝山宿から次の美甘宿までは距離がある。夕暮れになったら星山で泊まる人もいたかもしれない。

雪の晴れた日に訪れた。一人住まいの女性が洗濯を干したり作業をしているのを撮らせてもらった。写真は一向に上手くならないが口だけは上手くなった。
私は現在、車椅子生活で歩けない。写真は足で撮るという人がいる。歩けない人間は諦めるのか、いやいや足が無くとも口がある。足で撮れなきゃあ口で撮れ。





茅葺き民家 新潟県高柳町の民家 モノクロ

2014年10月18日 | 茅葺き民家

今は柏崎市になった高柳町の荻ノ島に残る環状集落の茅葺き民家
茅葺き民家は秋がよい、日本の農村風景は秋が好きだ。
ここは豪雪地帯で冬には来れない。
タイヤチーンを持たない暖かい地方の者は旅行の予定は10月一杯にしないと危ない。
11月3日に新潟で撮影して3日後に行ったところの積雪が76センチを記録というのがあった。
ここま茅葺き民家がまとまって残っているが生活感があるのがよい。
壁に除雪に使う梯子があり何かものを干してある。
生きた民家が撮影できるのが良い。
今後はますます生きた茅葺き民家は減っていく残っている間に記録していきたいものだ。
外国人の観光客が1000万人を超えて京都や奈良の月並みな観光地では飽き足らなくなり日本の農村風景の残るところや生きた茅葺き民家を求めている。








日本茅葺紀行 NO,167   岩手県葛巻町の民家

2014年10月17日 | 日本茅葺紀行

岩手県葛巻町は北上山地にある。高度が400メートルあり観光地も温泉もなく鉄道も高速道路もない。何もない町である。
しかし、育牛と風車、太陽電池の売電で町の財政は黒字だそうだ。
町には何も無いが広い土地と自然とアイデアがある。
ここの町長のアイデアがユニークで有名人でもある。テレビで何度か見た。

最近「ないものねだりしない生き方」という本の宣伝をみた。
地方都市も自分の人生もないものねだりしない生き方をしたいものだ。
ない物ねだりするより自分に何が出来るか自分の持っているポテンシャルを発掘しようというものである。
地方も同じで地方の持っている資源や人的資源を発掘すれば活性化も図れるはずである。

ホルスタインを飼っている柵があった。その後ろに茅葺き民家が建っていた。
近くに行くと牛は何かくれると思ったか寄って来た。和牛は逃げて小屋に入りこむのが多いがホルスタインは人を警戒しないのが多い。


蒸気機関車 播但線寺前駅

2014年10月16日 | 蒸気機関車
撮影場所 兵庫県 播但線寺前駅

駅に停車している風景を撮った。鉄道ファンは駅で停車の風景は好まない。列車主体の走行写真でないといけない風潮がある。
私は駅の風景が人や駅、周囲の建物が写り込んでいて時代がわかり好きだ。
鉄道は人や人が使う荷物を運ぶためにあるので人が写るのは当然だと思っていた。
写真のなかから時代とともに消えた風景ばかりである。
蒸気機関車はもとよりこんな客車も姿を消した。
スハニ60と客車に書いてある。
スハニは鉄道ファンならば常識とばかりに専門用語を並べてたがるが素人には分かりにくい言葉ばかりだ。
スハニはスが積重荷重37.5トンから42.5トン、ハは普通車、二は荷物車
客車と荷物車の機能を持つ客車です。
これを撮ってから20年後には国鉄も客車も貨物もすべて解体された。
そんな事が予想できたであろうか
先読み出来た人ならば予想できたであろうが私は鉄道の興味も薄れ予測できなかった。
国鉄の累積赤字、モータリゼーションにる鉄道離れ、トラック輸送の台頭

写真の駅の乗客の服装も若い人はミニスカート、。年寄りは着物、駅周辺の建物も古く感じる、まさしく昭和の情景である。




岡山の茅葺民家写真展 - 49  雪のある風景 その1

2014年10月15日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町(現在は津山市)

今回から3回にわたり雪のある風景をお送りします。
台風一過、一気に秋らしくなってきた。北海道の石北峠では冠雪もみられた。
岡山も県北は冬場になると結構雪になる。
私の故郷の四国はほとんど雪も降らないので雪景色には憧れもあった。
雪と茅葺き民家の光景が撮りたくてよく通った。
雪の光景の写真がやけに残っている。
茅葺き本来の写真を撮るのなら雪のないシーズンの写真である。
雪はいらない物を隠すので余計な物が写らない利点があるが民家の本来の茅なども隠してしまう。

雪の中、民家を撮っていたら竹を担いだ男性が歩いて行った。
これはラッキーとシャッターを押した。声を掛けて止ってもらい撮影するのはよくない。
人間止ると足が揃って両足で着地する。歩く時は片方どちらかの足が浮いている。
足の止ってそろった写真は不自然でヤラセの公算が強いので自然の撮った方がよい。
この家は秋には干し柿がすだれのように並ぶ


茅葺き民家 広島県比和町の民家 モノクロ

2014年10月14日 | 茅葺き民家
比和町や隣の高野町は平成の合併で庄原市になった。
比婆郡(ひばぐん)の町のひとつだったが大合併で郡は消滅した。

1970年昭和45年に巨大猿のような未確認物体が比婆郡各地で確認された。比婆郡に由来して比婆ゴンと命名される。
マスコミや発見情報で一時静かな農村地がにぎわった。
広島県県民の森に行く途中に比婆ゴン出没地の標識まで立っていた。
私はこんな騒動には信憑性もなく写真も撮らなかった。

会社勤めしている時にこの近くの出身者がいた。彼はみんなから話題のない山村にこんなデマを流して世間から注目されるようしていると散々な評価をされていた。
あの時代はツチノコ騒ぎなどあり妖怪や怪獣がブームになった時代である。

比婆ゴン騒動というのがあったなと思いながら茅葺きの撮影に出かける。
このエリアまでは一般道で十分だ。
中国地方を南北に走る高速道も無かったので国道で東城まで登り中国自動車に沿って走る県道で庄原まで行った。
この道は中国自動車道の建設で資材を運ぶ道で高速道開通後も地域の道に活用されている。
こんな道は高速道の脇道として全国各地にある。信号もなく便利な道ある。

広島県の山間部の探索はなんの情報も持たず紅葉や新緑に合わせて適当に走るものだった。
比和町には数軒、高野町には15軒ほどの茅葺き民家があった。


日本茅葺紀行 NO,166  青森県五所川原市の民家

2014年10月13日 | 日本茅葺紀行

五所川原から金木町を走る津軽鉄道、冬はストーブ列車を連結する。
ストーブで餅やスルメを焼く光景の写真を投稿される。素朴な列車で鉄道ファンも多い。
津軽鉄道の沿線は走った事が無かったので訪れた。
鉄道脇の茅葺き民家を狙ったがすぐ脇の民家は発見できず。

広い敷地にしっかりした民家があった。
敷地の周囲は板塀で囲まれていた。
東北は塀をしている家は少ないがこの家はしっかりと塀をしていた。
津軽地方にはまだ茅葺き民家が残るが、ここまで車で行くのに二日かかる。
いつもは家内に1日1.100km運転してもらい1日目は福島まで二日目に青森に入る。
青森は往復で四日必要である。
観光バスの運転手でも1日の走行距離は700kmで制限しているので次の遠征からはのんびり旅行にしないといけない。