WEBマスターの読書日記

「木戸さんがこんなマメだったなんて」と大方の予想を裏切って続いているブログ。本、映画、感じたことなどをメモしています。

『お菓子とビール』(著者:サマセット・モーム 訳:行方 昭夫)

2011-09-25 17:35:45 | 本と雑誌
お菓子とビール (岩波文庫) お菓子とビール (岩波文庫)
価格:¥ 819(税込)
発売日:2011-07-16

モームはずいぶん前に「劇場」を初めて読んで、あまりの痛快さに爆笑、読後その足でアネット・ベニング主演の映画のほうも借りて観た。なまなましい人間性をストーリィに活かす巧みさではピカイチの大作家が、自作で一番好きと名言している本作。その理由のひとつはきっと唯一愛した異性の女優がモデルだから。原題の<Cakes and Ale>は、人生に愉しみを与えるものという意味。


作家が作家を書く含蓄の深さ鋭さもさることながら、私が好きなのは、男女の恋愛観の違い(が逆転しているところ)。1930年の作品だから衝撃的なくらいだったのではないかしら。


地球上に何十億人いる異性のうち、知り合いになる可能性のある何百人かの間で、好きになりそうな何人か(人によっては何十人か?)の恋愛対象、そのなかのたったひとりが、人生で愛すると決めた人。普通、女性は、自分だけを特別と見る人を選ぶ(間違いない)。男性は会っているときの楽しさを求める(言い切るようだがこれも間違いない)。その違いがかろやかに逆転していて、ロウジーと名づけられたヒロインの自他ともに対する“Cakes and Ale”っぷりが素晴らしい。やっぱりこの人はすごい巨匠だと思う。


『孤独の発明』(著者:ポール・オースター 訳:柴田 元幸)

2011-09-23 19:35:19 | 本と雑誌
孤独の発明 (新潮文庫) 孤独の発明 (新潮文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:1996-03

3連休が続く今週、平日3日をオフにして遅めの夏休み。前半は佐賀と長崎に行き、台風十五号より一日早く東京に戻ってきた。日常生活を離れると、見たものを記憶に灼きつけようと、ピリッと気持ちが緊張する。それに三食とも外食続きというのが意外に疲れるのか、帰宅して家でお茶漬けなど作ると、我ながらおかしくなるくらいの満足感。旅行は短い滞在に限る。


ロジェ・グルニエの小説に、駅で電車を待つ男女のひとときを書いたとても素敵な短編があって、<J'aime la solitude.>というフレーズが出てくる。読んだとき思わず目が輝いてしまった。出会いのシーンで「わたしは1人でいるのが好き」「僕も」なんて会話がりっぱに成立する、さすが大人の国フランス。


人の向き合いかたには2種類あって、しじゅう誰かといないと不安なタイプと、1週間誰ともしゃべらなくても平気な孤独偏重。後者であるオースターの主人公は、初めて訪ねた外国の都市で道に迷い、あてもなく歩き回ることで、自分の思考回路のなか・・・自覚的な記憶と、そうでないプルースト的記憶が重なりあう迷路・・・を同心円状にめぐっている。読んでいるうちに何か大事なものをもらったような気分になる。いつの間にか、気持ちの疲れがとれていた。


『眠る盃』(著者:向田 邦子)

2011-09-22 15:42:06 | 本と雑誌
眠る盃 (講談社文庫) 眠る盃 (講談社文庫)
価格:¥ 490(税込)
発売日:1982-06-11

向田邦子さんが飛行機事故で亡くなって30年がたつ。それでも書かれたものはまったく古びた感じがしない。繰り返し読んでも手垢のつかない文章。それどころか、「ざっかけない」「夜さり」「出性」など、日常でもう出逢わなくなった言葉がところどころ、新鮮に目に飛び込んできて嬉しい。文学にも眼福というものがあるのだ。


ものごと、状況、感情などを表現するのにぴったりな言葉が思い出せず、頭のどこかにあるはずなのに、うろうろと悔しい思いをすることがある。若いうちは語彙が足りず、歳をとると記憶力の問題であろうか。プロの書き手ならばここで突き詰めて考えるべきと思うが、日本で活字になっている本では、失礼ながら適当すぎるものも多い。この方はこれだけの感性と構成力の作品を、1時間に原稿用紙10枚というスピードで書いていたという。私も全部通読した向田ファンがかならず思うことを思う、もっと長くお時間が残されていたらと。


『ダンス・ダンス・ダンス(上下)』(著者:村上 春樹)

2011-09-11 17:12:41 | 本と雑誌
ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫) ダンス・ダンス・ダンス (講談社文庫)
価格:¥ 680(税込)
発売日:2004-10-15

また村上春樹を読んでしまった。この人の本は、高校2、3年の頃に集中して読んだ。いったん読み始めると中毒性があって、「1Q84」で再開して今や昔手にとった本を文庫で買いなおしてリバイバル。一番好きな「国境の南、太陽の西」は再読する時期を大事にとっている。


「僕」という一人称、市営のスイミングプールで規則的にみっちり泳ぐこと、丁寧に作られたサンドイッチへの愛情、濃くて美味しいコーヒー、冷たいグラスに注がれるビール。静かで充足した一人暮らしの生活と、たしかに存在する、この世の暗いひずみみたいなものにつるり足を踏み入れてしまう怖さ。こういったものの素晴らしく洗練された構成に、一冊読み終わるとまた続けて読みたくなってしまうのだ。


高校生のころはほんとにハマっていて、たまに授業をさぼって午後、自宅から何駅か離れたプールに泳ぎに行き、帰りにジャズのかかる古い喫茶店で濃いコーヒーを飲み、羊男のいる世界に思いをめぐらせながら充ち足りた気分で電車に乗る。多感な思春期、私はそうして精神のバランスをとっていたのだろう。今思えば、渋谷や池袋に行っていた同級生と比べるとかなり地味だけど・・・(笑)


『魔女の目覚め(上下)』(著者:デボラ・ハークネス 訳:中西 和美)

2011-09-10 15:02:00 | 本と雑誌
魔女の目覚め 上 (ヴィレッジブックス) 魔女の目覚め  (ヴィレッジブックス)
価格:¥ 924(税込)
発売日:2011-07-20

O型のせいか蚊に刺されやすい。今週、WEB広告研究会の定例会がソフトバンク本社であって、会場は25階のフロアをぶち抜いたオーシャンビューの社員食堂、人の出入りが多いせいか2時間弱の間に3箇所も刺されてしまった。盛夏より、今くらいの時期のほうが多い気がする。かくと余計にひどくなるし痕に残るので、絆創膏をはったりしてひたすら耐える。少しくらいの血なら全然あげるから、かゆくしないで欲しいと切実に思う(笑)


血を吸うつながりで、ニューヨーク・タイムズでベストセラーになったヴァンパイアと魔女の本。著者は歴史学者で、どうりでフィクションなのに16~18世紀のヨーロッパの錬金術(科学発達のはしり)とか魔女狩りの挿話が真に迫っていておもしろい。世に科学や物理や宇宙天文学で解き明かされてきたことが、まだ、おぞましい神秘の力とみなされていた時代だ。


ジョルジュ・サンドの「フランス田園伝説集」に、現代なら隕石の落下として知られるものが、昔なら、落下地点の近くにいあわせた罪のない農婦が魔女とされて火刑になっただろうというエピソードが出てくる。異端という言葉には、その時々の人類の知識常識の限界、そこからはみ出てしまうものは存在自体を抹殺しなければという強迫観念じみたエキセントリックな響きがある。不思議なクリーチャーより、そちらの方がずっとこわい。