WEBマスターの読書日記

「木戸さんがこんなマメだったなんて」と大方の予想を裏切って続いているブログ。本、映画、感じたことなどをメモしています。

『太陽の棘』(著者:原田 マハ)

2017-02-25 20:38:16 | 本と雑誌

「キネマの神様」の原田マハによる、戦後間もない沖縄を舞台にした美術小説。サンフランシスコで何不自由なく育った若い精神科医の青年が、米軍の医師不足により突然、極東への赴任を命じられる。太平洋戦争の終結から4年、朝鮮戦争の勃発まであと1年というこの時期の沖縄は、緑のうつくしい大地が焦土と化し、家族も財産も失ってなお必死に生きようとする人々に、むごい暴行事件が頻発する悲劇の地だった。気の狂いそうな太陽が照りつける夏、医師は北の森でたくましく生きる画家の集団に出会って強い友情を育んでいく。読み進めるにつれ一篇の詩のような風景が立ち上がり、そこに爽やかな風が意思をもって吹き抜ける。巧みである。

私の通った大学は八王子の奥にあり、片道2時間という遠距離かつ周囲に山と畑だけという環境で、授業の間の空き時間をたいがい図書館か美術サークルの部室でつぶすことになった。油絵は独特の匂いに床や壁が汚れると自宅に持ち帰ることを親に断固拒否されたので、仕方なくパステルと水彩を選択。すぐに夢中になり、大学1年で最初に迎えた連休はどこにも出かけず夜のパリの街路樹を描いた。階段に点々と影を落とす濃く茂った木々、一面モノトーンの霧の中で、街灯の明かりを受けた葉だけが鮮やかなグリーンに輝いている。気に入っていたが、サークルの美術展に出したらどうしても買いたいという人がいて譲ってしまった。あの絵は今どうしているだろう。

水彩は会社に入ったあとも趣味で続けていたものの、だんだん忙しさにまぎれて描くより見るほう専門になった。この小説の主人公は、命がけで届けられた肖像画をアメリカに戻って60年間かたときも離さず、余暇は絵を描き続け、戦禍に蹂躙された島の痛みとそこで生まれた強烈な美しいアートを思い出し続ける。これを読んでから見に行った「この世界の片隅に」でダブル号泣してしまった。戦争を知らない世代でも、強く追体験するのはこのような優れた作品を通してこそ。


『カレーライスの唄』(著者:阿川 弘之)

2017-02-19 20:28:51 | 本と雑誌

最近、体温がやたら高い上に、前の日があたたかな一日だったため油断して、薄いニットにジャケットを羽織って出かけた土曜日。日が暮れ落ちるまでに体がすっかり冷えてしまい、歩きながら珍しくガチガチと歯が鳴るくらいの寒さ、予約してもらっていた鶏料理の専門店に駆け込んで一杯目から熱燗をお願いした。やがて運ばれてきた熱々のお銚子から、乾杯する間ももどかしくとろりとしたお酒を注いで口に含むと、体が優しく温もってきて、あぁ日本に生まれて良かったとしみじみした気持ちになる。青森のバーで凛とした飲み口の冷酒に目が覚めるような体験をしてから、お米のお酒の良さに開眼、ほのかに甘い雫が喉をするすると下っていく時の余韻がなんとも、ごはん好きにはたまらない。

文豪・阿川弘之氏の手による、お米の甘みと旨みがぎゅっと詰まったような大変味わいのある小説である。勤めていた出版社が倒産して失業しちゃった若い二人が、さまざまに試行錯誤しながら知恵を絞って、神保町に小さなカレー屋さんを開く。失敗あり失意あり、周囲の親切あり思わぬ幸運あり、その中に「ありがとう」と思わず言いたくなる話が幾つもはさんであって、心がほかほかと温まる。滋養深く食欲のわく小説といえば娘の阿川佐和子さんが書いた「スープ・オペラ」が秀逸で、私は毎年、夏場の前に食欲が落ちると読んでいたけれど、このお父さんのカレーの話もなかなかいける。昭和36年、終戦から日本が立ち直り、スパイスの効いた東京のカレーライスが一皿100円、まだ新幹線がなくて広島行には夜行の特急、ハムはパックじゃなく缶詰で・・・と、往時の街の風情も素敵。

カンカンに熱くしてもらった日本酒はとても喉ごしが良く、あっという間に一本目のお銚子が空になり、しばらく飲んでからフルボディでこくのある赤ワインに切り替えたが寒いせいか全く酔わなかった。カレー好きで週に一度は必ず食べるけれど、冬あったまるには黄金色のヒレ酒とかもいいな。それにはまずふぐを食べに行かなきゃ。ああそういえば、今年の冬は生牡蠣もジビエもまだ食べていないと、忙しいせいか本能が何かと食のベクトルに向かう。そのうち季節はもう春か。


『タイプライターの追憶』(著者:片岡 義男)

2017-02-12 19:06:46 | 本と雑誌

「ファッションショーをやることになったので、木戸さん、ご協力お願いします」と言われて、てっきり服や会場のクリエイティブチェックと思い「はい、いいですよ」と気軽に返事してしまった自分を、その後の激務の中で何度か悔やむことになったイベントが今週、無事に終わった。何のかの言ってチームワーク良く楽しかったなあと一息ついて、さしいれで頂いたホットチョコレートを飲み終わったとたん、チラチラ風花が舞っている寒さなのにどーっと尋常じゃない汗が吹き出す。年明けからずっと眠れない日が続いたし、肩や背中どころか肋骨のまわりまでガッチガチにこわばってるし、きっと免疫も弱ってるから、これは風邪で倒れるな・・・と思いきや、一晩寝たら、意外に体が軽くなった。なにこれ、急激な新陳代謝?

週末の読書は、佐藤秀明氏の写真をたっぷり使った、とても素敵な作品。カーテンを題材にした挿話がしびれるくらい美しい。片岡義男の小説に出てくるヒロインは、美人で聡明で、茶目っ気もあってセンスのいい女性ばかりであるが、これは後半に珍しく、あまりの激しい怒りにプツッと切れるシーンの描写があって記憶に残っていた。それでも、相手の男を罵倒してなじり倒したい感情を、40分と一杯の熱い紅茶で何とか自分の中に抑えて、冷静になってから、穏やかに連絡を取る。ぜったい私には無理。というかきっとたいていの人にも無理。どんなに大切で壊したくない関係でも、こんなことされたらストレートに憤激して電話をかけてしまう。などとすっかり作中の世界に入り込み、あっという間に読み終わってしまった。

久しぶりに土日をリラックスして過ごし、熟睡し、整体と美容院に行き、健康を取り戻した気分。ところで突然の発汗の話をしたら、友人から「それってやっぱり、ホットフラッシュじゃない?」と意地悪なコメントが。まだ更年期じゃありません! あと、怒って言いたいことを抑えておけなくなったらトシなんだそうだ。う、怒りの電話をするとか言ってないで、気をつけなきゃ。


『われらが背きし者』(著者:ジョン・ル・カレ 訳:上岡 伸雄/上杉 隼人)

2017-02-05 17:24:28 | 本と雑誌

行こうと思いつつ時間が取れずにいた繰上和美氏の写真展「ロンサム・デイ・ブルース」がとうとう終わってしまうので、なんとかスケジュールをやりくりして、キヤノン・ギャラリーにギリギリ終了間際で駆け込んだ。予想に違わず素晴らしく鮮烈な白と黒の世界。人々の表情のソリッドさ、乾いた渋谷の路上の一瞬を切り取って真夏の日差しが鋭角に立ち昇る猛々しさに、息も忘れて見入る。1月は仕事ばかりでピンと張り詰めた神経を緩められずにいたが、モノクロのフィルムに神々しく昇華された作品の数々が、現実とのつながりを一瞬断ち切ってくれて良い気分転換に。外に出ると、暮れてゆく品川の冬空がすがすがしい。

それにしても忙しく、昼も夜もずっと仕事のことを考えているせいで、体は休みたがっているのに頭が冴えてなかなか眠れない夜が続く。ある晩、これはもうドリエルでも飲もうと思ってバスルームの引き出しを開けたら、消費期限が3年前に切れていた。ふだんはベッドに入るなり眠ってしまうので、全く不要なのである。薬にも期限ってあるのねと感心しつつ、しょうがない、暖房をつけて読みかけの本を開く。007が大好きな割に、ほんとのMI6出身、イギリスのスパイ小説では最も名高いル・カレは初めてだったが、派手なドンパチも華やかなタキシードもないのに超面白い。ドライな表面からぐいぐいと深い余韻が繰り返しにじみ出てきて、それを追いかけているうちに気付いたら夜が明けていた。うわわ。

前に大ベストセラー「その女アレックス」を読んでいた時、繰り返しバッハのカンタータ140番を聴いていたせいで、春のように軽やかな明るい旋律と、ネズミが血にまみれたロープをかじる陰惨な光景が2つセットになってしまって記憶にとどまることになった。どちらかに触れると条件反射でもう一方も浮かんでくる。写真展と、この本も同様に、同じ時期に強い印象を受けてセットである。ちょいちょい出てくるモルト・ウイスキーがカッコよく、つい買ってしまったマッカランの芳醇な香りも合わせて。ロックで少し飲んだら寝不足の頭には効きすぎ、昨晩はすぐに眠れた。今週がんばれば、なんとかピークが過ぎる(はず)。