細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

日本の懐の深さ

2008-05-06 18:13:47 | 外交
胡錦濤国家主席が来日しました。

明日午前、福田総理との首脳会談。午後には小沢代表との会談も予定されています。小沢代表との会談には、記者ブリーフ役で私も同席します。民主党は、昨年の訪中で、中国共産党の大歓迎を受けました。今回、胡錦濤氏は、共産党第一書記としてではなく、国家主席として来日しています。国家主席が、外交権のない民主党代表とも会うというのは、彼らなりのメッセージと受け取っています。

主席は、日本のメディアに、今回の訪問を「暖かい春の旅」と表現したそうですが、今の日本国内の中国に対する眼差しは、「暖かい」とは言いがたいものです。

ここ数年、日中関係を注視してきた私としては、東シナ海のガス田、餃子、チベット(人権)で、何らかの進展があることを期待しています。福田総理がどういった発言をするのか、注目されます。個別の問題で口を閉ざすことが真の友好関係だとは私は考えていません。

一方で、中国政府が国家的威信をかけて臨む北京オリンピックに関しては、成功への協力を日本として惜しむべきではありません。気になるのは、北京オリンピックの混乱を望むかのような風潮が日本国内にあることです。


アジアで始めた開催された1964年の東京オリンピックを、北京オリンピックと比較して紐解いて見ると、興味深いものが見えてきます。

私は未だこの世に生を受けていませんでしたが、東京オリンピックは、戦後の日本人に誇りと自信を取り戻させる象徴的な出来事でした。明治生まれの祖父や、戦中生まれの両親が、オリンピックがあるたびに、誇らしげに東京オリンピックのことを話していたのを思い出します。

北京オリンピックで大騒ぎの火種となっている聖火ですが、東京オリンピックでは、東南アジア諸国を回りそこそこの歓迎を受け、大戦の和解に一役買ったようです。

日本がOECDに加盟し、先進国の仲間入りをしたのも1964年。その後、1975年から始まったサミット(当時はG6)の参加国にもなっています。現在、中国はOECDに加盟していませんし、サミットの正式参加国でもありませんが、国際的な存在感の高まりは、当時の日本を大きく凌いでいます。

仮に、東京オリンピックが失敗に終わっていたら、日本が国際社会の重要なプレイヤーになっていたかどうか、また、日本人の中に国際社会に貢献したいという思いが生じていたかどうか、疑わしいものがあります。

さて、話を北京オリンピックに戻します。チベット問題に端を発した聖火の混乱を見ると、中国政府にも原因があることは間違いありません。オリンピックを通じて、中国政府にも、そして中国人にも、人権問題や環境問題にしっかりと目を向けてもらいたいと強く思いますし、わが国としてもそれを求めていくべきです。

しかし、オリンピックの失敗(中国政府は大抵のことは「成功」と総括しますが・・・)は、決して世界にとって、特にアジア諸国にとって望ましい結果を生み出すものではありません。

第一に、中国政府および中国人の中に、国際社会に対する敵愾心を植えつける懸念があります。中国は、国連の常任理事国であり核保有国、そして地球温暖化のキープレイヤーです。中国には、何としても国際社会における責任あるプレイヤーになってもらわねばならないのです。

現共産党政権の威信の失墜も、深刻な問題です。戦中の武勇伝を持たない指導者層が失脚するようなことにでもなれば、中国国内が混乱することも考えられます。これは悪夢以外何ものでもありません。

ちなみに、1964年、日本と国交のなかった中国は東京オリンピックには参加していません。それどころか、オリンピックの最中に、場外で、初の核実験を行って世界を震え上がらせています。

私は、日本人の特長の一つに、「しなやかさ」「寛容さ」があると思っています。「江戸の敵を長崎で取る」かのような中国バッシングは、本来の日本の姿ではありません。

2008年の夏、隣国で行われる世界の祭典。試されているのは、中国政府だけではありません。あれから44年。国際社会に暖かく迎え入れられたわが国が、どれぐらい懐の深い国となったのか。我々も試されています。