細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

須山浅間神社 世界文化遺産登録後初の例大祭

2013-11-23 17:52:46 | 地元
静岡県裾野市の須山浅間神社の例大祭に出席しました。富士山が世界文化遺産となり、浅間神社はその構成資産として遺産の一部をなしています。昨年、神社は改修されましたが、神殿は200年前のままです。更に古い神殿も神社の敷地内に残されています。


浅間神社は富士山信仰、すなわち富士講の信仰の対象となって来ました。須山にも、富士講の信者がかつて宿泊した御師(おし)と呼ばれる家が残っています。御師は信仰の先達としての役も果たし、全国に広がった富士講のネットワークの拠点にもなったようです。

大祭の形式は須山の皆さんにより、見事に継承されています。特に、巫女の舞妓は、神楽の旋律に合わせて鈴の音を響かせるもので秀逸でした。かつては御師の家の娘のみが舞うことを許された舞妓は、今は地元の子どもたちに継承されています。明治以降、戦中ですら途切れなかったというから驚きです。

大祭は地域の共同作業で行われます。こういった伝統文化が、途切れることなく継承されている地域は強い。

鎮守の森を拠点として地域がつながり、富士講という特定の価値を共有するネットワークが地域を越えて広がるかたちは、現代の社会のあり方にもヒントを与えているように思います。

今朝は快晴。世界文化遺産登録後、初めての大祭を祝うかのように、今朝は富士山が見事な姿を見せてくれました。

富士商工会議所賀詞交歓会 社会、国民の中から

2013-01-09 22:39:29 | 地元

富士の商工会議所の賀詞交歓会に出席してきた。何年振りだろうか?

13年前に野党としてスタートし、地元の活動をする中で、多くの素晴らしい経営者、そこで実直に働く人々と出会った。そうした人たちが、私自身を鍛え、育ててくれた。地元を歩く中で、地区後援会ができ、女性の会ができ、若手の会ができた。彼らがいたから、区割りの変更も、郵政解散も、スキャンダルも、そして、昨年の逆風も、乗り越えることができた。

かつて、朝の街頭演説などの空中戦も懸命に行ってきた。ただ、それだけでは、今の自分も、5回の小選挙区での勝利もなかったと思う。

久々に、懐かしい人たちとお会いして、その頃のことを思い出した。3年3カ月の与党生活の中で、私自身も原点を忘れていたのかも知れない。

 

民主党に欠けていたのは、社会や国民との対話から問題を抽出する力かもしれない。世襲政党たる自民党の幹部は、始めから為政者の視点で人生をスタートしている。その自民党と比べて、社会に根差した活動が出来ていなかったとしたら、民主党が政権から落ちたのは必然だ。

もう一度、私は、社会、国民の中からスタートしたい。地元はもちろん、幹事長として全国で国民との対話をしたい。今の民主党には、厳しい声が多いだろう。それでいい。

そこから、新しい民主党を創り出そうと思う。


統一地方選挙

2011-02-26 23:21:19 | 地元

今朝は、三島で県政にチャレンジする蔵野雅章氏の事務所開き。4年前、現職の岩田政雄氏の議席を落とした痛恨の思いがあるだけに、今度は負けるわけにはいきません。

蔵野氏は1月までは私の政策秘書でした。私と同様、落下傘なのですが、三島市の課題を理解し、市民のために働こうという真摯な姿勢は、高く評価できます。演説の中では、自らの生い立ちや介護ボランティアの経験を生かして三島市を住みよい街にしたいという思い、静岡県が推進している一社一山運動、川勝平太知事との連携を訴えました。身内の私が言うのはなんですが、中身があって、良い演説だったと思います。

事務所開きが終わった後は、徳島に飛んで仁木博文衆議院議員の新春の会。徳島でも、統一選に向けて、若きチャレンジャーが奮闘していました。会合は、仁木さんの人柄が出ていて、非常に熱いものでした。

明朝は、同じく御殿場で県政に三度目の挑戦をする池谷晴一氏の事務所開き。その後、三宅雪子衆議院議員と統一地方選挙の候補者の報告会で、群馬県高崎市に飛び、夜は、地元に取って返して、裾野の勝又喜久男氏との合同の演説会。こちらは、昨年の補選に続いて二度目の挑戦です。その後、月曜の予算委員会の締めくくり総括質疑に備えて上京ですので、ディープな一日になりそうです。

いよいよ、統一選が幕を開けようとしています。地域主権の時代、自治体議員の役割は、ますます大きくなります。頑張らねば!


台風9号ボランティア 

2010-09-20 10:35:06 | 地元

昨日、小山町の災害ボランティアに参加してきました。週末を利用して集まったボランティアは100人を超えていたでしょうか?自衛官、学校の先生、JC、高校生など、みんなで懸命に土砂と格闘しました。

これまで、政治家として被災現場に入っていたのですが、復旧作業をしておられる皆さんと一緒に汗をかけていないことが、引っ掛かっていました。

たかだか一日の作業が、復旧に大きな役割を果たしたとは思いませんし、休日に集まるボランティアが、時間を要する復旧に最後まで関わることができるわけではありません。やっていることがボランティアの自己満足ではないかという批判は、常についてまわります。

それでも、私はできる限り被災地にボランティアで入ることにしています。ボランティアの存在は、被災者の気力を呼び起こすことがあるからです。阪神淡路大震災や中越地震の際、「これだけの人に助けてもらったんだから、俺たち頑張るよ」という被災者の声を耳にしました。昨日も、一緒に作業をした家主さん、手作りのお握りをふるまってくれた婦人会の皆さんの「ありがとう」のひとことを聞いて、救われた思いがしました。

そう考えれば、名状しがたい強烈な筋肉痛も、我慢ができようというものです。


昨日、ボランティアに参加したのには、もう一つ理由があります。私自身が、等身大の自分に戻るチャンスではないかと考えたのです。

この一年、私は民主党の役員として活動してきました。30代の若造が、民主党の役員会に名を連ね、全国の陳情を統括し、様々な会合で党を代表してあいさつをしてきました。政治家になって初めて、運転手付きの車も用意されました。

民主党にとって激動の一年でした。この間、仕える幹事長が変わり、参議院選挙は大敗北という結果に終わりました。私自身も未熟さゆえに、多くの失敗と挫折を繰り返しました。特に、実務を担った参議院選挙敗北の責任をここまで取らずに来ました。

菅政権は新たなスタートを切りました。厳しい内外環境を考えれば、政権を支えるために与党議員は全員で頑張らねばなりません。


小山町で土砂と格闘しながら、阪神淡路大震災でのボランティア活動を思い出していました。あれから15年。国会に送っていただいて10年。もう一度、等身大の自分に戻って、再出発したいと思います。


台風9号 小山町に甚大な被害発生

2010-09-12 16:11:04 | 地元

小山町で、大きな水害が発生しました。

被害が発生した水曜日は現地には入れませんでしたので、情報収集に努めました。

翌日、朝一で現地入りし、町長から話を聞いた後、町内を見て回りました。柳島、湯船など、私にとって馴染みのある地域が土砂で埋まっていました。衝撃を受けましたが、肩を落としている暇はありませんので、国土交通省の沼津河川国道事務所を訪れて対応を依頼。その後、上京して国からの支援の可能性を探りました。自衛隊への支援要請も行いました。道路が封鎖されている区間の東名高速を無料にしてくれた前原大臣の配慮には、感謝です。

金曜日、朝から、党務、コミュニティスクールの視察、代表選挙の候補者討論会。その後、代表選挙の支援依頼で一日が終わりました。

土曜日、再び小山町に入って、地元のニーズの聞き取りを行いました。多くのボランティア、特に、地元である富士学校の自衛隊員がボランティアで土砂の除去作業をしてくれていたのには、頭が下がりました。

今日も、小山町には多くのボランティアが入っています。私も、現地に入りたい気持ちは山々ですが、小沢選対から指示でメディア対応に追われています。明日は、朝一でもう一度、小山町に入ろうと思っています。


被害は甚大ですが、救いは地域の結束が保たれていることです。身動きの取れないお年寄りや、病気の子供がどこに住んでいるのか、みんなが知っていますので、避難はいち早く完了しました。あれだけの被害が出たのに、死傷者はゼロだったのは、そのためです。

災害が発生した次の日、地域の皆さんは、自分の家や田畑よりも、道路の土砂の除去を優先して、共同作業を行っていました。週末に入ったボランティアの自衛官、消防団、外からの応援部隊の受け入れも、地域の人たちが行っていました。被災地では、実はこれが難しいんです。

道が崩落して孤立した柳島では、昨日、すでに迂回路のコースが決まっていました。私有地を通るしかないのですが、地域の長(おさ)が仕切るので、すぐに合意が成立します。災害に対応する最も大きな力は、地域のつながりです。

もちろん、災害の被害への対応を地域の力にだけ任せておくわけにはいきません。インフラの復旧、自治体への財政支援、農業や家屋の被害への対応などなど、できる限り迅速な対応が必要です。代表選挙の最中ではありますが、災害への対応は、すべてに優先させようと思っています。


終戦の日に思う

2010-08-14 23:45:14 | 地元
お盆休みには国会がありませんので、毎年、ほっと一息つきながら、地元のお祭りに参加します。明日から、三島は夏祭りです。

この時期、ただ一つ、外せないのが8月15日の終戦記念日です。富士市で行われる戦没者追悼式典に出席するのが恒例行事となっています。

式典では、毎年、地元議員として追悼の言葉を述べ、献花を行います。

我々が豊かな時代に育つことができたのは、戦没者の犠牲があったからです。追悼式典では、感謝の言葉を必ず述べることにしています。そして、悲惨な戦争を決して再び起こさないこと。加えて、何がしか、その夏に戦争を巡って感じたことを述べることにしています。

今年の夏、私の印象に残ったのは、広島の追悼式典に出席した米国のルース大使です。ルース大使とは、何度かお目にかかりましたが、実に立派な方です。広島では何も語りませんでしたが、勝ち負けや、わだかまりを超えて、戦没者を追悼する機運が世界的にできていることは、画期的なことです。これからの日米関係を考えたとき、大きな一歩です。

わが国では、中国・韓国を含めた東アジア共同体構想が浮上しています。かつて、大上段に大東亜共栄圏を唱えてアジアを席巻したわが国が、今、アジア諸国と共に歩もうとしています。北朝鮮をはじめ安全保障上の懸念を抱えるアジアも、新たな時代を迎えつつあります。

戦後、65年が経過をし、世界は確実に変化しています。しかし、どんな時代になろうとも、我々は先の大戦の犠牲を忘れることがあってはなりません。

合掌。

桜咲く!

2010-04-04 19:06:31 | 地元
今日の午後は仲間と花見。やはり春は桜です!少々酔っぱらっています。

与党にとって、予算審議は最も厳しい局面。支持率の低下は織り込み済みです。

公共事業は削減する一方で、地方経済に配慮して地方交付税は大幅増額。診療報酬の10年ぶりの増額。子供手当、高校無償化など・・・。「人」を大切にする鳩山政権の予算が成立しました。

地方に行くと、地方議員や行政関係者から、前向きな評価を頂くことが増えました。残念ながら、この予算の良さが、国民に伝わっていません。

今朝、「報道2001」と「日曜討論」で奮闘しましたが、依然として厳しい状況は続いています。

民主党議員が一丸となって国民に丁寧に説明することで、鳩山政権に桜を咲かせたいものです。

伊豆大島に行ってきました

2010-01-05 22:19:39 | 地元
南国・伊豆大島は、寒かった!企業団体対策委員長として、月末に行われる都議会議員候補予定者の補欠選挙のテコ入れで、各種団体・企業を回ってきました。

本州とのアクセスの確保、社会インフラの整備、観光・農業支援など、離島が抱えている課題の多くは、政治と直結しています。多くの方から聞いた話を新しい2010年の手帳にメモしてきました。現地に行くと、地域の置かれている現状が良く見えてきます。取り組むべき課題はたくさんあります。

テコ入れをしなければならないのは、私の地元も同様です。夕方は、大島から取って返して裾野市に入りました。裾野では、市長選挙と県議会の補欠選挙、そして市議補選が同時に行われます。市長選には民主党推薦候補予定者(写真は原文雄さん)、県議補選には公認候補、市議補選にも後援会の主力を担ってくれた若手が選挙の準備を進めています。

現時点で「民主党ブランド」がどこまで通用するかも気になりますが、地方選挙で最後にものを言うのは地上戦です。党本部から派遣される各種団体の賀詞交歓会へも出席しなければならないのが厳しいところですが、ここは、地上戦を勝ち抜いて結果を出したいと思います。

政党・政治家の足腰

2009-11-21 16:17:42 | 地元
国会が大騒ぎになる中、連日、各種団体や首長から要望を受ける日々が続いています。企業団体対策委員長、組織委員長、そして陳情を総括する副幹事長を兼務すると、個人で使える時間はほとんどありません。

地元に帰った今日も、朝一で、野球大会の開会式に出席した後、地元の首長の皆さんとの政策懇談会、団体からの要望を3件受け、夜も某団体との意見交換会に出席するために、これから静岡市に向かいます。

当然ですが、政策を変えると、誰かが得をし、多くの場合、誰かが損をします。与党にとって、各種団体と付き合い、陳情を受けながら、限られた財源の中で政策を実現するのは、微妙なバランス感覚が求められます。与党議員として、ある意味での政治の本質と初めて向き合っていると言っても良いかも知れません。

各種団体や首長との付き合いを深めることは、私にとっても、民主党にとってもプラスでしょう。ただし、選挙で最も頼りになるのは、どんな風が吹いても共に戦ってくれる個人後援会であることを我々は郵政選挙で知っています。与党になって、そのことを見失うと足をすくわれかねません。

時間の制約は格段に大きくなりました。しかし、今こそ、個人後援会を強化しつつ、各種団体と付き合うことで、政治家としての本当に強い足腰をつくるチャンスです。