細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

菅内閣総辞職

2011-08-31 19:27:42 | 国会活動

昨日、菅内閣は総辞職しました。次の内閣が誕生するまでは、職務執行内閣となりますので、「辞職」しながら、私は、まだ「大臣」ということになるわけです。

総辞職の時期は、事前に分かっていましたので、先週までに、原子力安全規制組織等改革準備室の設置や、除染を進めるための福島除染推進チーム、内閣官房に放射性汚染物質対策室の設置を突貫作業で終えていました。また、消費者問題担当大臣として、国民生活センター問題にも、一定の区切りをつけました。最後まで残った、原子力損害賠償支援機構の理事長も内定し、機構の設立の認可も、総辞職の当日に行うことができました。

何とか、やり遂げたかと思っていたのですが、積み残していた課題がありました。9月19日からウィーンで開かれるIAEA総会に提出する日本政府の報告書の作成です。6月の閣僚会議に提出した事故報告書は、補佐官の時に、ほぼ、一月かかり切りになって仕上げました。今回は、その後の経過の報告ですので、その時ほど手間はかからないのですが、国際社会に説明する貴重な機会ですので、しっかりしたものを出さねばなりません。仕上げの段階で引き継ぐのは難しいですから、共に汗をかいてきた園田政務官と共に、今週中にやり抜きたいと思っています。

職務執行内閣の役割は危機管理ですので、新しい仕事を始めることはできません。そのため、今日は、朝からその作業に没頭できました。今の永田町は、野田政権の船出を静かに待っている状態です。


放射性物質汚染対策室 放射性物質による汚染を封じ込める

2011-08-19 13:40:57 | 国会活動

内閣官房に、放射性物質汚染対策室の立ち上げるべく、準備に入りました。

これまで政府は、放射性廃棄物、除染、食料品の放射能基準、健康影響などの問題に個別に対応してきました。もちろん、それぞれのテーマで複数の省庁が関わりますので、私も調整に入ってきましたし、必要に応じて会議体を立ち上げてきました。

事故発生から半年近くが経過し、長期的な視野に立って、放射性物質による汚染を封じ込める必要が出てきました。そのため、統括する司令塔機能を設けることにしました。

また、放射能を扱う8条委員会には、原子力安全委員会、食品安全委員会、放射性審議会と複数存在します。8条委員会は、専門家が独立性を持って議論するものですから、我々政務が中身に立ち入ることはしませんが、こちらも役割分担が必要です。また、政府内外の専門家の間で議論を行っていただき、見解を集約できるようであれば、政策に反映させることが可能となります。放射性物質汚染対策室には、有識者による顧問会議を設けることも考えています。

厳しいご批判を頂いた菅政権ですが、こういった複雑で判断が難しい問題に対する総理の直感と決断は、鋭いものがあると思っています。おそらくは、これが菅総理からの最後のご下命。しっかり、かたちにしたいと思います。


お盆を迎えた福島へ

2011-08-13 21:28:37 | 国会活動

今週末も、福島を訪れてきました。オフサイトセンター、飯館村の除染実験、そしてJビレッジ。いずれも、何度も訪れた場所なのですが、これまでと異なり静けさを漂わせていたのは、特別なお盆を迎えたからでしょう。

お盆も、厳しい環境で頑張っている方々に、心よりの感謝を伝えてきました。亡くなった方々、被災された方々のためにも、ここは我々が踏ん張らなければなりません。

菅総理の退陣表明を受けて、代表選挙に向けた動きが加速しています。私も、記者から代表選挙について聞かれることが増えました。そのたびに、返答に口ごもってしまいます。被災地の皆さんの目には、代表選挙に奔走する姿はどのように映るだろうかと考えてしまうからです。

ここまで来た以上、候補者は政策を堂々と戦わせるべきでしょう。我々は、何かをなすために政治家になったはずです。今こそ、政治家の出番ではないのか?依然として、被災者が苦しんでいるのは、総理だけの責任か?被災地に対する深い思いやりと、現状に対する深刻な反省がなければ、論争は空疎なものになってしまいます。私には、それが見えて来ていません。

復旧、復興には空白が許されません。私は、菅政権が存続する最後の日まで、担当大臣として被災地に寄りそうことしました。

どうぞ、安らかにお眠りください。


政治家になった意味 私の天命

2011-08-07 20:06:41 | 国会活動

昨日は福島で知事、被災地の市町村長との懇談。3時間の懇談の中では、厳しい意見が数多くでましたが、やはり話はじっくりするものです。課題は除染と廃棄物の処理。はっきりしました。

今日は久々に三島で報告会でした。1200ほど入る会場に立ち見がでる盛況でした。地元、三島、函南、伊豆長岡から。裾野、御殿場、小山町からも。富士からはバスを連ねて来てくれました。12年前にスタートした伊豆半島からも。ありがたいことです。

地元のことは気になりますが、私に迷いはありません。事故の収束と再発防止に全力をあげること。これなくして、私が政治家になった意味も、大臣をやる意味もありません。きっと、地元の皆さんも分かってくれるはずです。