細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

第一ステップの終了

2011-07-24 18:26:41 | 国会活動

週末の福島は、私の中で定着しましたが、訪れるたびに福島の雰囲気は変化しています。ここ2週間は、何と言っても牛のセシウム汚染の問題です。

第一ステップが何とか終了し、事故の収束に向けて一歩前進しましたが、事故の影響は全く収まっていません。週末、福島に行って、休んでいる暇はないという思いを強くしました。

明日は、何とか二次補正予算の採決に漕ぎ着けましたが、国会審議は前途多難です。議員は誰しも、何がしかやりたいことがあって選挙に挑戦しています。今回も、ほとんどの議員が被災地を訪れ、今こそ何かをやらねばと思ったはずです。それなのに、政府や議会となると、ギアがかみ合わない。

嘆いていても仕方がありません。今の私にできることは、原発事故の収束、事故の影響の小さくすること、そして福島の復興の足がかりをつくることです。与えられた時間の中で、短距離を全力で走り抜けたいと思います。


原発事故収束 ロードマップ更新

2011-07-18 12:40:15 | 国会活動

昨日、久々に三島に帰ってきました。三島で落下傘候補としてスタートしたのは12年前。私を育ててくれた三島市民の皆さんと、市制70周年を一緒に祝いたかったので、わずかな時間ではありましたが、会場を訪れることができて良かったです。

なでしこジャパンの頑張りには、心を揺り動かされました。後半終了間際と、延長時間切れという二度の絶体絶命の場面で諦めなかった大和撫子の姿に、震災後の日本を重ねた人も多かったはずです。

明日は、いよいよロードマップの更新です。過酷な環境の中で多くのトラブルを乗り越えてステップ1を達成できたのは、一重に現場の作業員の皆さんの奮闘によるものです。最大限の敬意を感謝を表したいと思います。


福島県 避難所訪問

2011-07-10 20:20:07 | 国会活動

週末は福島市と郡山市の避難所に行ってきました。形だけの訪問にしたくなかったので、二つの避難所でそれぞれ一時間過ごしてきました。佐藤知事との約束は、何としても守らねばなりません。

被災者の皆さんの本音を聞くために、また、プライバシーに配慮をして、取材は遠慮してもらいました。

こちらから、「ご迷惑をおかけしています」と声をかけると、「早く帰りたいんですが、いつ、戻れますかね?」福島には、我慢強く、温厚な人が多いです。「避難所暮らしは仕方がない。大臣こそ、体には気をつけて」との言葉には、恐縮してしまいました。

一方で、厳しい言葉も、たくさんいただきました。「子供の将来をどうしてくれるのか!」若いお母さんの悲痛な叫び。「早く、我々の土地を買ってくれ。再スタートが切りたい」働き盛りの世代の我慢は限界に来ています。

厳しい言葉の中から、被災者の皆さんの本音が見えてきます。やはり、行って良かった。

今回、お会いしたのは主に富岡町と川内村の皆さん。両町村ともに原発事故の被害は甚大なのですが、救いは立派な町長さん、村長さんがおられることです。

間もなく、第一ステップが終了します。放射線モニタリング、除染、ガレキ処理、そして区域の変更など。市町村の協力なくして、何一つ実行できません。まだまだ、復興への道のりは長く厳しいですが、今回の視察で、ヒントのようなものをつかんだような気がしています。


福島第一原子力発電所

2011-07-03 20:33:58 | 国会活動

久々に、東京電力福島第一原子力発電所(以下、福一)に行ってきました。現場は、相変わらず士気旺盛でした。

 

5月に行った時から、重要免震棟の中が様変わり。Jビレッジにも、待望の独身寮ができるなど、ハード面の整備は進んでいます。

 

夏本番で、ロードマップ進捗の鍵は、福一の作業員の健康です。ということは、事故収束を担当する私の最重要任務もそこにあります。医師の確保など、ソフト面も含めて、全面的バックアップ体制を敷きたいと思います。


佐藤雄平知事と会談 「福島担当大臣になること」

2011-07-02 21:46:35 | 国会活動

福島に来ています。発災以来、4度目ですが、大臣として訪れるとなると、私自身の気持ちも、周囲の受け止めも、これまでとは全く違います。

真っ先に、佐藤雄平知事と会談しました。知事からは、「原発事故の収束を担当するということは、福島を担当するということだ」という話がありました。参議院議員時代に温厚で明るかった知事の厳しい表情を目の当たりにして、我々の至らなさを痛感しました。

最前線で福島県民と向き合っているオフサイトセンターの政府関係者。放射性物質を含んだ汚泥の処理に苦しむ下水処理場の皆さん。誰一人として厳しい表情を崩しません。

原発事故収束なくして、福島の皆さんの生活は戻ってきません。何としても、事故を収束させなければなりません。出来る限り、福島に来ることにします。