細野豪志ブログ
衆議院議員 細野豪志の活動報告です
 



昨日、がれき処理データサイトを開設しました。これまでバラバラに公開されていた情報を一元化しましたので、広域の処理の客観的な安全性について確認していただくことができます。また、専門家のチェックも受けることでデータの信頼性も確保します。

データサイトには、私のメッセージもアップされています。今でも、広域処理に対する不安の声が各地で出ています。こうしたデータサイトをもっと早く立ち上げるべきでした。お詫び申し上げます。

私の大臣室には、南三陸町のがれきからできた竜の生け花が飾られています。毎日、その存在感抜群の生け花を見て思うことは、ここで被災者のお役に立たねば、私が政治家になった意味はないということです。



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被災地のがれき処理は15.5%まで来ました。ここまで来たのは、被災地のがんばり、広域処理に応じてくれた自治体・住民、再生利用に力を貸してくれた皆さんのおかげです。

しかし、道はまだまだ険しそうです。昨日、北九州市で逮捕者が出たことは、本当に残念です。私は、対立ではなく、対話の中で、問題を解決したいと思っていました。北九州市は、試験焼却後、情報を公開して説明会を開く予定でした。未だに、政府が不信感を持たれていることを重く受け止めて、改善をはかっていかねばなりません。

島田市では、コンクリートが混入していたとのことで、焼却が中断しました。木くずのみを持ってくることになっていたので、ミスではあるのですが、被災地がガレキの分別に大変な苦労をしていることを知っているだけに、ミスを責める気持ちにはなりません。ご迷惑をかけた島田市の皆さんには、原因究明の上、説明に努めて、理解を得るしかありません。環境省は、被災地とガレキを受け入れてくれた自治体に寄り添って、様々な困難を先頭に立って乗り越えねばなりません。

道は険しいですが、前に進んでいることは間違いありません。みんなの力でがれき処理。是非とも力を貸してください!



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石巻の状況は大きく変わっていました。前回、訪れた1月28日、ガレキだけだった荒涼たる敷地には、仮設焼却施設や分別ラインが設置されていました。コンクリート殻は再利用され、発火の原因となる畳は分別されていました。被災地の努力の結果です。

ガレキは被災地にとって仕事になるという指摘があります。その通りです。分別ラインの最後は、手作業で行われます。この夏、仕事を失った被災者の皆さんが、炎天下、海風に晒されながら、匂いと埃の中で作業することになります。本当に、大変な仕事です。

今日、最初の仮設焼却施設が動き出しました。順次、5つの焼却施設が立ち上がり、24時間フル稼働します。ただ、日量1500トンという能力をもってしても、石巻だけで焼却することはできません。

変わらない光景もあります。がれきの山の存在です。その数、石巻ブロック(石巻市、東松島市、女川町)内に32。広域処理の対象となるのは、被災地の皆さんの手で分別された安全なガレキです。

最も大量のガレキが生じた石巻での「火入れ」は、大きな一歩です。しかし、まだ越えなければならない山があります。私自身の心にも新たな火を灯して、被災地と共に前進します。



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GWも終わり、今日から通常業務に復帰です。GW中の主な日程をご紹介すると、

28日は三島でメーデーに出た後、奈良市での中村哲治参議院議員の応援。29日に岩手県まで移動して、30日は大槌町でガレキを埋めた「1000年の森」プロジェクトに参加。午後からNPO法人吉里吉里国訪問。芳賀さんの言霊は健在でした。

1日から2日は水俣病の慰霊式典出席後、熊本県水俣市と鹿児島県出水市で関係施設訪問、および特措法の申請の呼びかけ。公式確認から56年。水俣病は終わりません。

3日から中国。北京で中国、韓国の環境大臣と会談および夕食会。4日は午前中は北京で日中韓環境大臣会合、午後は車で天津に移動して家電のリサイクル施設訪問。悪天候で飛行機は一旦、何と、珠海に飛んでから、5日未明に広州に入って(雷鳴と爆風の中のフライトで、初めて飛行機が怖いと思いました‥)、朝一で汪洋書記と会談。午後は大亜湾原発視察。昨日、帰国しました。飛行機と車での移動で、大陸の広さを体感しました。

訪中の成果は、光化学オキシダント、黄砂などの大気汚染分野の研究の推進を確認できたこと。日中韓環境大臣会合も14回目。現実の環境問題に対応できる会議になってきました。日中韓が協力すべき課題は数多くありますが、環境は最も緊急性が高く、合意しやすい分野です。三大臣では、環境共同体と呼ぶことで合意しました。

日中で、原発の安全規制での連携を確認できたことも収穫でした。大亜湾原発のある広東省を訪れたもう一つの理由は、汪洋書記と会談すること。秋には常務委員入りが確実視される汪洋氏は、地方からのたたき上げの苦労人。私がこれまでに会った中国の指導者と比較しても、柔軟でユーモアに富み、会談は大いに盛り上がりました。汪洋氏とは環境問題や災害対応などの関心分野が重なっており、個人的な連携を確認することもできました。肝を冷やしながら、広州に入ったかいがありました。

福島の復興、ガレキ、原子力規制庁法案など、今日から会期末に向けてガンガン前進です。



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5月1日の慰霊祭に出席してきました。その後、昨日は、関係団体の皆さん、語り部の皆さんから話を聞き、今日は関係施設を訪問してきました。

改めて強い衝撃を受けたのは、患者の皆さん、中でも胎児性患者の皆さんの人生です。生まれながら、もしくは幼くして発病し、不自由な生活を余儀なくされてきた方々。懸命に話をして下さった患者の皆さんの言葉、そして表情を忘れることはできません。そして、そうした方々を懸命に育ててきたご両親。「自分の子どもだったらどうかと、考えて下さい」と口にした80歳を超えたお母さんに、返す言葉はありませんでした。

忘れてはならないのは、患者さんたちの生活を支えてきた支援者の皆さんの存在です。支援者の皆さんの中には、国や自治体に対して、私が決断した特別措置法の申請の期限についても、厳しいご意見をお持ちの方がおられます。しかし、企業や行政が十分な対応をしてこなかった水俣病の歴史の中で、人生を懸けて患者の方々と共に生きてきたは、そうした支援者の皆さんです。血縁も地縁もないこの地にやって来て、人生を捧げて水俣病問題に取り組んでこられた人たちを私は心から尊敬します。

これまで認定されてこなかった被害者の方々の救済を定めた特別措置法の申請の期限は、7月31日。これからも、徹底した周知活動を行います。ただ、それは水俣病問題の終わりではありません。患者の皆さんが、少しでも穏やかで充実した人生を送って頂くために、ご家族や支援団体の皆さんの力も借りて、国はできる限りのことをやる責任があります。もう一度、そのことを考えたいと思います。



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