細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

双葉郡川内村の帰村宣言

2012-02-18 18:13:01 | 国会活動

ようやく、川内村を訪れることができました。帰村宣言を行った村の実情をこの目で見なければならないと考えました。

昨晩は、何と昨年の4月15日から営業を再開したという旅館に泊まり、今朝は遠藤村長と共に、診療所、小中学校などを見て回った後、村民の皆さんとの懇談会に臨みました。賠償、除染、医療、道路など、様々な要望を頂きましたが、皆さん前に向かって進もうとしていることに、非常に強い感銘を受けました。

緊急時避難準備区域と警戒区域にまたがる川内村の放射線量は、居住の条件である年間20ミリシーベルトを大きく下回っています。除染を行った結果、厳しく設定された学校の再開基準も満たしています。私も村を訪れて、「これなら行ける」と感じました。

もちろん、帰村の判断は村民それぞれが行うべきものです。懇談会の中でも、帰村については様々な意見があることが分かりました。帰村宣言の会見を取材した記者から、「帰村宣言は明るいものかと思ったら、本当に暗い会見で驚いた」という話を聞きました。ふと、思い出したのは年末の事故収束会見です。昨年、わが国は大きな傷を負いました。しかし、どこかで踏みとどまって、一歩でも、たとえ1ミリでも前に進まなければなりません。

遠藤村長は本当に穏やかな人です。彼が行った悲壮な決意を無駄にすることはできません。私は、遠藤村長を徹頭徹尾、支えるつもりです。


復活の薪 NPO法人吉里吉里国

2012-02-13 16:12:31 | 国会活動

久々に、ハンマーで殴られたような衝撃を受けました。

がれきから生み出された「復活の薪」。

岩手県大槌町は、津波で町長が亡くなるなど、壊滅的な打撃を受けました。発生したがれきは、118年分。暖を取るために活用された薪は、その後、全国に販売され復興のシンボルとなりました。設立されたNPO法人吉里吉里国は森に入り、間伐材から「復活の薪」を創り続けています。

どん底から立ち上がった芳賀正彦さんの言葉は、一つ一つ、腹に響きました。

「私たちは、助けられるのではなく、助けることができる。吉里吉里に来て、一緒に汗を流しましょう」。がれきを処理してあげるという感覚では、何も動かない。16日に大槌町のがれきを試験焼却する島田市は、処理費を被災地に請求しないそうです。鎮魂の念とともにがれきを処理することで、被災地との絆を強める。そこから、何かが生まれてくるはずです。

「私は、死ぬまで山でがんばる。細野さんも、がんばっぺし!」

私も、吉里吉里に行かねばなりません。


水俣病 あたう限りの救済

2012-02-03 23:00:01 | 国会活動

水俣病の特措法の申請期限を7月31日にしました。特措法の範囲で、最大限、申請を受け付けます。政治家としてこれまで行ってきた中でも、最も重い決断となりました。

これまでの経緯や要望の一つ一つを確認したうえで、被害者団体の方々、自治体の皆さん、水俣病に関わってきた環境省職員、地元の国会議員、そして地域の皆さんから話を聞きましたが、半世紀を越える水俣病の歴史を考えると、全てを把握したとは言えません。それでも、環境大臣として決断するしかありません。

早い段階で申請期限を示し、周知期間に徹底した広報を行うことで、「あたう限りの救済」が可能となります。決断した以上、結果について責任を問われます。周知活動には、私が先頭に立つつもりです。