細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

「もんじゅ」と「ふげん」

2007-02-27 12:21:47 | 国会活動
敦賀に「もんじゅ」と「ふげん」の見学に行ってきました。「もんじゅ」はプルトニウムを増殖してエネルギー源を自己増殖するため、各国で取り組みが本格化している高速増殖炉です。「ふげん」は原発の使用済燃料から出るプルトニウム(正確にはMOX燃料)による発電を行ってきた実験炉です。共に、わが国の核燃サイクルの先端技術を担っている施設ですので、一度見学してみたいと思っていました。

朝、ホテルの周りを散歩してみました。滋賀県で育った私にとって、かつて敦賀は海水浴をする場所だったのですが、議員として訪れたのは、美浜原発の事故以来2回目です。若狭湾に原発が15基、それに数多くの先進的な関連施設。昔から原発はあったはずなのですが、当時見ていた牧歌的な景色とは、違って見えるから不思議なものです。

「もんじゅ」でナトリウム漏れが発生したのが12年前。未だ臨界実験には至っていません。「ふげん」は役割を終え、これから20年以上をかかる廃炉作業に入っています。ちなみに、稼動後30年を迎える原子力発電所が、続々と廃炉に向けて動き出します。原子力発電が、資金的・時間的・社会的コストとリスクがかかる施設であることは、科学技術が発達した今も変わりません。

現場を見て改めて感じたことが二つ。一つは、核燃サイクルという国策を、独立行政法人という官でも民でもない中間的な組織に任せきりで良いのかということです。現場を任されている皆さんは専門的かつ真摯な方々なのですが、国のバックアップの少なさと世論の風当たりに、汲々としているという印象がぬぐえませんでした。前進するにしても後退するにしても、国の「腰が入っていない」状況は問題です。

もう一つは、国内のエネルギー対策としてだけ原子力を考える時代は終わったのではないかということです。私自身は、原子力発電のもたらす様々なコストに危惧を抱いてきたものとして、国内のエネルギー対策だけをかんがえるのであれば、多少の非効率性に目をつぶってでも、新エネルギーを時間をかけて育て、原子力に頼らない社会を目指すこともありうると考えていました。ただ、日本の選択において、地球温暖化と、プルトニウムと濃縮ウランの国際管理の必要性を無視することは、もはや許されなくなっています。原子力が外交・安全保障問題となった以上、その選択は、現場の皆さんというよりは、我々政治家がしっかり議論すべきテーマだと改めて感じました。

エネルギー・環境問題

2007-02-25 01:15:37 | 国会活動
今日はエネルギー問題です。2月21日、経済産業委員会でエネルギー問題の質問をしました。自然エネルギーと核問題。エネルギー問題とはコインの裏表の関係にある環境問題についても触れました。

エネルギー・環境問題は、皆さんに是非とも関心を持っていただきたいテーマです。分野が分野だけに少々マニアックな部分も含みますが、私なりに踏み込んだ問題提起もしてみようと思っていますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

私がエネルギー問題に関心を持ったきっかけは、三和総研時代(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に、石油問題などのプロジェクトを担当したのがきっかけです。当時は主にWTOなどの通商問題を担当していたのですが、そこでもエネルギー問題を扱う機会が増え、専門分野をシフトしたかたちです。資源小国でありながら、石油メジャーを持たず、国策としてもエネルギー問題に取り組んでいないわが国の状況に大いに危機感を持ちました。この状況は、今も変わっていません。


議員になってから、最も深く関わったのが海洋権益問題です。日中間のガス田開発問題への対応はもとより、海洋国家としてなすべき課題は山積しています。過去何度か、このブログの中でも、海洋権益について書いています。


もう一つ、継続的に関心を持ってきたのが新エネルギーです。ちなみに、再生可能エネルギー、自然エネルギーなど、様々な表現方法があり、定義も必ずしも定まっていません。定義が曖昧になっていること事体、国際比較や国家としての目標が不明確になっている原因です。日本の場合、新エネルギーとしては、太陽光、バイオマス、地熱などに注力すべきと考えています。

ここ数年の国際的な資源獲得競争の激化と、深刻な地球温暖化を考えると、もっと、新エネルギーに対する社会的関心が高まってしかるべきと考えます。政府は、最近、新エネルギーの発電義務量を2014年時点で発電全体の1.6%(数字を訂正しました)にするという嘆かわしい目標を出しました。経済産業委員会で私が問題にしたのは、新エネルギーが最も大切な初期の普及段階期に入った中で、従来と比較して、義務量の伸びが鈍化していることです。日本各地で新エネルギーへの取り組みが盛り上がっていることを考えると、日本政府にやる気が無いとしか思えません。

発電側だけに義務を課すのではなく、政府はもちろん、電力利用者側にも負担を課して、新エネルギーの普及を加速させる必要があります。強調しておきたいのは、ヨーロッパや米国の各州はもちろん、中国などの途上国でも日本よりもはるかに戦略的・野心的な目標が導入されていること、そして、わが国にはこの分野で卓越した技術力があることです。


エネルギー問題を考える上で、難しい局面を迎えているのが原子力です。日本政府は原子力発電を基幹電源と位置づけており、私も、地球温暖化と脆弱なエネルギー構造を踏まえて、原子力発電の必要性を認めています。難しいのは、原子力発電に欠かせない濃縮ウランの確保と、使用済み核燃料の処理をどうするかです。ちなみに、日本は非核保有国の中で、唯一、再処理を国際的に認められている国です。

イランや北朝鮮の例を挙げるまでの無く、原子力発電は核兵器の開発と裏腹の関係にあります。資源獲得競争に乗り出した中国、インドはもとより、最近はインドネシアにベトナム、中東の産油国ですら原子力発電に関心を持つようになってきました。原子力発電と密接不可分な濃縮ウランやプルトニウムの扱いは、国際社会が直面する21世紀の最大の課題と言っても過言ではありません。

国際社会も動き出しています。IAEAは、いち早く再処理とウラン濃縮に関する国際的な枠組みを提唱していますし、再処理の分野で最先端を行くフランスや、ウラン濃縮で先を行くロシア、最近は米国や中国も再処理に動き出しました。最大のウラン産出国である豪州も、戦略的な輸出拡大に動き出しています。これらの物資は国際的な脅威であると同時に、この分野でイニシアティブを取る国は、国際社会において力を持つことは間違いありません。

日本は、国際的な流れからは取り残されています。ウランの輸出・流通拡大も、値段が下がってくれれば有り難いという程度の認識です。甘利大臣も答弁していましたが、再処理ですら国内問題として扱っているのです。わが国が取り組んでいるプルサーマル計画や高速増殖炉は、費用面や安全面でリスクを抱える一方で、原子力発電のバックエンドの国際的なキーステーションになれば、安全保障上、日本は今までに無い強い外交カードを持つことになります。逆に、原子力発電は継続するが再処理はしないということになれば、最終処分地にしても、再処理にしても、依存する国に、大きな弱みを握られることになります。

誤解を恐れずに言えば、「毒を食らわば皿まで」と判断するかどうか、日本は大きな岐路に立たされているというのが私の認識です。

そんなわけで、明日は、高速増殖炉研究開発センター「もんじゅ」と新型軽水炉ふげん発電所のある敦賀まで行って来ます。視察の成果は、追ってご報告します。

久々の近況報告

2007-02-24 23:27:52 | 国会活動
久々に近況を報告します。

このところ、力を入れているのが障がい者福祉とエネルギー問題です。障がい者福祉の近況報告は、先日メールマガジンで発信しましたので、まずはそれを引用します。

2007年2月5日 『障がい者福祉の現場』

■格差か憲法か
 通常国会が始まりました。民主党は、格差是正を争点に掲げています。国民が求めるのは、安倍政権が掲げる「憲法」か、小沢民主党が掲げる「格差」か、150日間にわたる国会論戦が始まりました。
 民主党は、通常国会に格差是正緊急措置法提出の準備をすすめています。一口に格差と言っても、都市と農村の格差、農村における大規模農家と小規模農家の格差、正社員と非正規社員の格差、ワーキングプア、高齢者や障がい者などの経済的格差など、テーマは実に多岐に及びます。民主党では、この中で緊急性の高いものに絞って法案化を予定しています。私自身は、真っ先に障がい者福祉を挙げるべきだと考えています。

■現場の声
 年始の挨拶で「今年は、選挙区を歩いて皆様の声を聞かせていただくことを最優先課題としたい」と宣言しました。この間いくつかの、授産施設(就職訓練もしくは福祉的就労をする施設)や、小規模作業所などの施設を回ったところ、関係者の悲鳴が聞こえてきました。
 昨年4月の障害者自立支援法施行により、サービスを利用する際は、原則的に、障がい者に一割の負担が課されることになりました。加えて、公的負担の対象となってきた食事代も原則自己負担となりました。授産施設に通う場合、ゼロであった利用者負担が3万円を超えるケースも出ています。自己負担を強いられる施設利用者だけではなく、今後、補助を削られる施設運営者の側からも、このままでは経済的にやっていけないという切実な声があがっています。

■自立支援法の問題点
 障がいを持つ人が、施設や自宅に閉じこもるのではなく、社会の中で生活できるよう後押しすることは、政治の役割です。問題なのは、この法律が自立支援の名に反し、障がい者の自立を阻害しているということです。授産施設や作業所などにおける職業訓練、外出に伴うサービスの利用は、本来、障がい者の自立を促すものなのですが、負担増で利用を手控える結果となっています。
 私は、そもそも、障がいの程度が重い人ほど負担が重くなるという制度が、福祉の理念に合致しているか疑問を持っています。安倍総理は、本会議で「低所得者には配慮している」と力説していましたが、所得が低くても一定以上の預貯金があると負担は軽減されません。例えば、グループホームに入所するなど、障がい者が、社会的に自立するためには、ある程度の蓄えが必要となります。なけなしの預貯金さえ吐き出させている現実は、生活保護と同様の発想で、障がい者を社会的にも経済的にも追い込む結果となっています。

■家族の苦悩
 お子さんが自閉症保護者が、協力して創設した施設で、保護者の皆さんから話を聞く貴重な機会を得ました。自分達でつくった施設であるにも関わらず、障がいの区分によっては、施設を追い出されるのではないかという不安を、皆さん口々に訴えられていました。
 80歳を迎えたお母さんがつぶやいた「このままでは死ぬに死ねない」という言葉を、我々は重く受け止めるべきです。わが国の障がい者福祉予算は総額で約8,000億円。他のOECD諸国の、数分の1の水準に留まっています。予算削減のために、当事者の意見を十分に聞かずに導入された支援法は一旦凍結し、国会での議論をやり直すべきです。

■選挙区行脚
 知的障がい者を巡る深刻な現状を見て、何とかせねばという思いが強くなりました。現場の声を国会で生かすことはもちろんですが、今後、授産施設や作業所が請けることができる仕事を地元で探してみようと思っています。
 子供達の通う養護学校、身体障がい者や精神障がい者関連の施設など、まだまだ足を運びたい施設は沢山あります。今後は、今国会のもう一つの論点である教育現場にも、国会の合間に足を運びたいと考えています。また、報告いたします。


驚いたのは、このメルマガに対して、実に多くの方、特に障がい者福祉に関わる方から反応があったことです。皆さんの強い危機感の現れだと思います。私自身も、その後、更に施設を見たり、当事者からのヒアリングを続けていますが、これからの数年間のやり方次第で、日本の障がい者福祉が崩壊するのではないかとの危機感を持っています。我々国会議員も危機感を持たねばなりませんが、地方議員の皆さんの役割も大切です。ちなみに、静岡県は障がい者福祉の分野では後進県に甘んじていますので、統一地方選挙の候補者の皆さんにも考えて頂く意味でも、機会があれば、私自身が候補者の決起大会で訴えるようにしています。

メールでの質問の中に、なぜ「障害者」と書かずに、「障がい者」と書くのかという質問がありました。このところ言葉狩りの風潮は、少々度が過ぎると私は感じているのですが、言葉を発するものは、はやり受け取る側の立場に立たねばなりません。数年前に、障がいを持つある方から、「害」とは書かないで欲しいとの要望があり、それ以来、平仮名で書くようにしています。最近は、「障碍」と書く人も増えていますが、まだ、一般的に定着した用法とは言えないようです。当分は、平仮名を用い、「障碍」が定着するようなら、そちらにシフトしようと思っています。

長くなりましたので、エネルギーについては、明日報告します。