細野豪志ブログ

衆議院議員 細野豪志の活動報告です

台風9号ボランティア 

2010-09-20 10:35:06 | 地元

昨日、小山町の災害ボランティアに参加してきました。週末を利用して集まったボランティアは100人を超えていたでしょうか?自衛官、学校の先生、JC、高校生など、みんなで懸命に土砂と格闘しました。

これまで、政治家として被災現場に入っていたのですが、復旧作業をしておられる皆さんと一緒に汗をかけていないことが、引っ掛かっていました。

たかだか一日の作業が、復旧に大きな役割を果たしたとは思いませんし、休日に集まるボランティアが、時間を要する復旧に最後まで関わることができるわけではありません。やっていることがボランティアの自己満足ではないかという批判は、常についてまわります。

それでも、私はできる限り被災地にボランティアで入ることにしています。ボランティアの存在は、被災者の気力を呼び起こすことがあるからです。阪神淡路大震災や中越地震の際、「これだけの人に助けてもらったんだから、俺たち頑張るよ」という被災者の声を耳にしました。昨日も、一緒に作業をした家主さん、手作りのお握りをふるまってくれた婦人会の皆さんの「ありがとう」のひとことを聞いて、救われた思いがしました。

そう考えれば、名状しがたい強烈な筋肉痛も、我慢ができようというものです。


昨日、ボランティアに参加したのには、もう一つ理由があります。私自身が、等身大の自分に戻るチャンスではないかと考えたのです。

この一年、私は民主党の役員として活動してきました。30代の若造が、民主党の役員会に名を連ね、全国の陳情を統括し、様々な会合で党を代表してあいさつをしてきました。政治家になって初めて、運転手付きの車も用意されました。

民主党にとって激動の一年でした。この間、仕える幹事長が変わり、参議院選挙は大敗北という結果に終わりました。私自身も未熟さゆえに、多くの失敗と挫折を繰り返しました。特に、実務を担った参議院選挙敗北の責任をここまで取らずに来ました。

菅政権は新たなスタートを切りました。厳しい内外環境を考えれば、政権を支えるために与党議員は全員で頑張らねばなりません。


小山町で土砂と格闘しながら、阪神淡路大震災でのボランティア活動を思い出していました。あれから15年。国会に送っていただいて10年。もう一度、等身大の自分に戻って、再出発したいと思います。


台風9号 小山町に甚大な被害発生

2010-09-12 16:11:04 | 地元

小山町で、大きな水害が発生しました。

被害が発生した水曜日は現地には入れませんでしたので、情報収集に努めました。

翌日、朝一で現地入りし、町長から話を聞いた後、町内を見て回りました。柳島、湯船など、私にとって馴染みのある地域が土砂で埋まっていました。衝撃を受けましたが、肩を落としている暇はありませんので、国土交通省の沼津河川国道事務所を訪れて対応を依頼。その後、上京して国からの支援の可能性を探りました。自衛隊への支援要請も行いました。道路が封鎖されている区間の東名高速を無料にしてくれた前原大臣の配慮には、感謝です。

金曜日、朝から、党務、コミュニティスクールの視察、代表選挙の候補者討論会。その後、代表選挙の支援依頼で一日が終わりました。

土曜日、再び小山町に入って、地元のニーズの聞き取りを行いました。多くのボランティア、特に、地元である富士学校の自衛隊員がボランティアで土砂の除去作業をしてくれていたのには、頭が下がりました。

今日も、小山町には多くのボランティアが入っています。私も、現地に入りたい気持ちは山々ですが、小沢選対から指示でメディア対応に追われています。明日は、朝一でもう一度、小山町に入ろうと思っています。


被害は甚大ですが、救いは地域の結束が保たれていることです。身動きの取れないお年寄りや、病気の子供がどこに住んでいるのか、みんなが知っていますので、避難はいち早く完了しました。あれだけの被害が出たのに、死傷者はゼロだったのは、そのためです。

災害が発生した次の日、地域の皆さんは、自分の家や田畑よりも、道路の土砂の除去を優先して、共同作業を行っていました。週末に入ったボランティアの自衛官、消防団、外からの応援部隊の受け入れも、地域の人たちが行っていました。被災地では、実はこれが難しいんです。

道が崩落して孤立した柳島では、昨日、すでに迂回路のコースが決まっていました。私有地を通るしかないのですが、地域の長(おさ)が仕切るので、すぐに合意が成立します。災害に対応する最も大きな力は、地域のつながりです。

もちろん、災害の被害への対応を地域の力にだけ任せておくわけにはいきません。インフラの復旧、自治体への財政支援、農業や家屋の被害への対応などなど、できる限り迅速な対応が必要です。代表選挙の最中ではありますが、災害への対応は、すべてに優先させようと思っています。


明治維新と政権交代

2010-09-06 21:55:22 | 国会活動

明治維新から142年。列強に対抗するために、わが国は中央集権国家を作り上げてきました。小沢前幹事長が掲げている「補助金の一括交付金化」は、わが国を地域主権国家に転換する「革命」です。

公共事業、文教費、高齢者医療、国民健康保険、生活保護、介護に、子供手当て・・・。総額21兆円の補助金が国から地方に流れています。


補助金の最大の問題は、中央省庁と地方の従属関係の固定化です。地方自治体は、補助金の支出に関して、箸の上げ下ろしまで、中央省庁から指示を受けます。結果、地方自治体の個性は失われてきました。

中央官庁からすると、そこで発生する規制と金は、地方自治体を縛る格好の手段となっています。中央省庁が、補助金の一括交付金に反対するのは、当然の帰結です。


小沢前幹事長が主張している通り、補助金がばら撒かれる影で、税の膨大な無駄遣いが行われています。代表選挙の論争では、21兆円をいくら削減できるかどうかだけが議論されていますが、効果はその他に3つあります。

まずは、地方自治体のコスト削減効果。地方自治体が行っている業務の中で、補助金の申請に費やしている割合は、都道府県も市町村も約3割。補助金が一括交付金化されれば、自治体は、行革することもできますし、住民と正面から向き合うこともできます。

そして、中央省庁のコスト削減効果。いわゆる中央の官僚は、約30万人。霞ヶ関にいるのは、約10万人。残りの20万人は、地方にいます。そのかなりの部分は、補助金などを配布する業務をしていますので、行政改革の対象とすることができます。

また、補助金の存在は、必ずしも必要ない事業を生み出しています。小沢前幹事長が例に出した、福井県の美山町(現・福井市)のスキー場建設は、その典型です。美山町は、融雪装置がほしかった。しかし、スキー場をつくらないと、補助金が出ない。結局、国と町が2億5000万円でスキー場と融雪装置を造ったが、スキー場は12年間も放置されて閉鎖されてしまった。融雪装置に費やされた費用は、計8000万円。1億7000万円の税金は、どぶに捨てられたようなものです。

かつて、公共政策プラットホームで試算したところ、3つの効果だけで4兆円を下りません。


この一年、私は自治体や団体からの陳情の受付をひたすらやってきました。外交、安全保障、エネルギー、食糧、通商などに、国会議員が関わることのできる時間は限られます。私は、そのことを身をもって体験してきました。国会議員の定数削減は、一括交付金化が実現してこそ可能となります。

週末、私は打越あかし議員の国政報告会に出席するため、維新の舞台・薩摩にいました。薩摩における西郷隆盛翁は特別な存在です。

時を同じくして、菅総理と小沢前幹事長の間で維新論争が行われました。実に興味深い。小沢前幹事長を維新後の田原坂で最期を迎えた西郷隆盛翁になぞらえた菅総理。政権交代で維新はすでに実現したことを意味します。一方、小沢前幹事長は、明治維新の必要性を訴えました。果たして、すでに、維新はなったのか?否か?

我々民主党政権は、改革に努めてきました。戦後65年、いや、維新後142年続いた官僚主導、中央主導の政治は転換されたのか?「維新は未だし」というのが、私の判断です。