細野豪志ブログ
衆議院議員 細野豪志の活動報告です
 



このところ、私のテーマの一つに「共同体」があります。

明治以前、わが国には、農村には農村の、都市には都市の共同体がありました。農村においては、農作業を共同で行うために、都市では、信仰や講や無尽を通じて、共同体は形成されてきました。明治以前の人々は、共同体の中で生きており、国家を意識することはほとんどなかったのでしょう。

明治に入り、農村から都市への人口移動や徴兵を通じて、農村の共同体は変質していきました。都市部においては、廃仏毀釈を通じ宗教的な共同体は崩れ、農村からの人口流入によって、地域的なつながりが希薄になっていきました。その過程は、中央集権的な近代国家の構築とも重なります。

もちろん、明治に入ってからも、共同体が完全に崩壊したわけではありません。その例が京都に見られます。先日、私は京都の番組小学校の跡地を訪れてきました。写真はその一つ。京都国際マンガミュージアムです。

京都では、学制が導入される前の明治2年。旦那衆にって、番組小学校がつくられました。敷地も建物も、地域住民が経済力に応じて負担した「かまど金」によって賄われ、設計も旦那衆によって行われました。さすが京都と唸ったのは、昭和初期に建てられた現存している校舎に、茶室や作法室がつくられていたことです。

廃校になった番組小学校は、今では、京都国際ミュージアムや京都芸術センターなどとして有効に活用されています。地域の住民の拠りどころとして、利用されています。私も、両施設を連合町内会長さんにご案内頂きました。

小学校というのは、共同体の核となる施設として最も適しています。

平成に入り、地域の核の施設として小学校を活用する動きが出てきています。9月に、私は、三鷹市の第四小学校のコミュニティスクールを見学してきました。第四小学校では、学校の警備、図書館の管理、授業のサポートにも、地域住民が参加しています。三鷹のような都市部においては、学校を通じて地域のつながりが強くなっているとのことでした。

学校にとっても、メリットがあります。第三者のサポートを得ることで、先生の授業の質が格段に上がったということです。総合学習において、一流の講師や地元の特産品を取り入れることもできます。先生と生徒、保護者との中で閉ざされた学校から、地域に開かれた学校への転換です。

共同体は、地域ごとに単独で存在するものではありません。むしろ、複数の共同体が存在する多様性、重層的が必要です。小学校だけではなく、鎮守の森や祭り、現代においてはNPOも重要な共同体の担い手になりえます。

これまで、地域社会という言葉は頻繁に使われてきましたが、ある種の復古的なニュアンスを含む共同体という言葉は、敬遠されてきました。私は、最近、むしろ復古的な意味も込めて、共同体という言葉を使うべきではないかと感じるようになってきました。

明治以降、国家と個人が正面から向き合った結果、今や砂のようなもろい社会となってしまいました。国家はどんどんお節介になり、国民はどんどんわがままになってきました。その中で、果たして人は幸せになったでしょうか?「共同体のなかにいると、自分の存在に納得できる」「自分の存在が共同体と一体になっている」(内山節著「共同体の基礎理論)のと、どちらが幸せでしょうか?

鳩山前総理が提唱した「新しい公共」は、単なる税制優遇を意味するのではなく、新たな社会づくりへの挑戦です。中央集権的な国家運営を続けて140年以上。しなやかな、真に強い社会づくりに勇気を持って漕ぎ出す時期を迎えているように思うのです。

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明日、久々に「新報道2001」に出演します。訪中もあって、しばらくテレビ出演を控えて来たのですが、ビデオ流出問題を受けて、ここは政治家として発言せねばと考えました。

政治の統治を離れた一官僚によるこの種の行動を認めることはできません。しかも、海上保安庁は実力部隊だけに、保安官には政治の統治の下での行動が強く求められます。このことは、ビデオの公開の是非とは、全く別問題と捉えなければなりません。

海上保安官の情報流出の一報を受けて、最初に私の頭に浮かんだのが515事件でした。首相暗殺を行った海軍将校に対して国民の同情が集まり、彼らは死刑を免れました。それが、226事件、無謀な戦いにつながったのは歴史の重い教訓です。昨日、佐藤優氏が朝日新聞で全く同じことを指摘していていました。この危機感を政治、そして社会が共有できるかが、極めて重要です。

ここでは、動機の善悪を評価の対象にすべきではありません。動機が「善」であっても「愛国」であっても、やってはならない行動があるのです。

「義憤にかられて」とか、「やむにやまれず」という同情が国民の中からでてくることは、仕方がないのかも知れません。しかし、政治家が彼を「愛国者」「英雄」などと持ち上げることは、断じてあってはなりません。それは危険な考えであることを国民に伝え、説得するのが政治家の役割です。

厳しい論戦になりそうですが、明日は政治家として戦ってきます。



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週末、再び中国に行ってきました。今回は表の日程で、北京から上海へ。

今回の目的は、上海万博の最終日に企画されていたシンポジウムのパネリストとして発言することだったのですが、せっかく中国まで行くので、北京に立ち寄って、懇意にしていた関係者と会うことにしました。

金曜日、北京では日本大使館、中国共産党中央対外連絡部(いわゆる中連部)の関係者と懇談。土曜日は上海に行く予定でしたが、ハノイでひと悶着あったので、北京に留まって中連部の関係者と再び懇談。

ハノイで首脳会談が行われなかったことは残念ですが、ここまで来ると、あまり慌てずに腰を据えて取り組むべきなのかも知れません。私は、外交ルートを側面からサポートする役に徹しようと思います。


日曜日。万博の最終日に上海に入りました。聞きしに勝る、上海万博のスケールの大きさには驚きました。昼間は、複数のパネルディスカッションが並行して行われており、日本からは橋下大阪府知事も出席していました。私は、若者と都市のあり方について発言しました。

引用したのは、杜甫の「高きに登る」という詩の「尽きぬ長江、滾滾として来る」というくだりです。チベット高原から湧き出た水は、中国大陸を横断し、上海を通って日本へ。その水の一部は、東南アジアからインド洋へ。ある一部は、太平洋を渡ってアメリカ大陸へ。現代は、人も金も物も行き来しており、その流れは止めることは出来ません。

私が言いたかったのは、そうした交流を維持するためにも、様々な障害があるときこそ、双方が「高きに登って」すなわち、大局的観点から日中関係を考えていくべきだということです。


中国は複雑で、理解するには手間と時間がかかります。また、付き合うには、精神的にも体力的にもタフさが必要です。だからこそ、興味深い。

今こそ、日中双方に「石を積む」人が必要です。今回の件を通じて、私自身もその作業に加わる決意をしました。

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