堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

「横浜・原三溪・インド~つながりを語る1枚の写真~」本番

2009-07-21 15:55:40 | 原三溪市民研究会

さんざんブログに書いてきた「横浜・原三溪・インド」フォーラム、行われました。

まずは本番前日18日の調布の多摩川の花火写真を。


  Cimg8893  調布市花火大会


これは先祖調べを始めてから、早稲田大学のオープンカレッジに通うようになり、

そこで知り合った方の自宅で開かれた花火大会&懇親会で撮ったものです。

多摩川の花火会場のまん前にあるご自宅のベランダから花火を堪能し、

大学の先生の特別講義を受け、生演奏を聞き、美味しい料理とお酒で懇親をするという

まことに贅沢な一夜でした。




そんな夜遊びをして、ちょっとお疲れモードの翌朝19日、本番を迎えました。

気合を入れなおしてしっかり身支度して、横浜にむかいました。

晴れて暑くなりそうです。

本番3時間まえの11時に会場の横浜市開港記念会館に着きました。


 Cimg6914_3  横浜市開港記念会館


この建物は大正6年に建てられたもので、横浜3塔のひとつ「ジャック」と呼ばれています。

また、この記念館は岡倉天心の生まれた場所でもあります。



入り口を入ると正面が講堂の扉で、その前で責任者のOさんが受付の設定をしていました。

挨拶をすると「講堂の中を通って奥にいくと控え室があるから」と教えてくれた。

扉を開けて中にはいると、とてもクラッシックですてきな演檀が目の前に現れ、

それはそれは90年の歴史を感じさせる堂々とした講堂でした。


控え室に行くと出演者の方はだいぶ来ていて、いつもの和やかな中にも高揚した雰囲気です。

すぐにそれぞれのパワーポイントの入っているUSBを持ち寄り、合わせてひとつにし、

それをチェックしてから舞台のところで最後のリハーサルをおこないました。


 Cimg8928 リハーサルの様子 演壇


舞台の上には重厚な演台があり、そこでしゃべることになります。

そこで、立ったほうがいいのか、坐ったほうがいいのか、

手元の原稿が読めるほどの明るさがあるかどうか、パソコンはどこにおくか、

などこまかいことをチェックしました。

パワーポイントの画面のスライドは役員のKさんがやってくれる事になり、

私は原稿を読むだけでよくなりました。


相棒Tさんと同じ班のKさんが最前列に陣取って、

残り「何分」(5、3、0)という札を掲げてくれることになり(1人10分の持ち時間)、

それが見えるかどうか、という確認もしました。


マイクにむかって実際にやってみましたが、ステキな客席をうっとり眺めてしまいます。

こんな歴史のある素晴らしいところで発表できるなんて、夢みたい。


 Cimg8926  客席


控え室にもどって、パワーポイントの映らなかったところを直したり、年号を西暦になおしたり、

同じ班の発表者の時間オーバーの長い原稿を短くしたり、と総出で手直しをしました。


お昼は緊張して食べられないだろうという予想どおりで、もってきたお稲荷さんを少しだけ食べました。

だんだん開演時間が近づくにつれ、胃とおなかが痛くなってきました。

たかが10分弱の発表をするだけで、と慣れている方は笑っちゃうでしょうが、

わたしにとってはこういったことは全くの初めてで、緊張します。



開演も近づき、客席にいきました。

いつも一緒に先祖調べをしている藤沢のEさんがご夫婦でいらしてくれました。うれしいです。

さあ、はじまる時間になります。

原稿とメガネとハンカチだけもって舞台の裏にいきました。

大きなスクリーンの裏で椅子に腰掛けて、ジッと順番を待ちます。


最初は内海先生の話です。

先生がおわり、次が私。緊張のMAXでスクリーンの横から演台へ向かいます。

隣にKさんがいてくれるので安心です。手元灯のスイッチが入っていません。

アチコチさわりましたが、電気がつかず、Kさんに言ったら探して灯けてくれました。


さて始めます。

お辞儀をして

「市民研究会の速水です。」

「はじめに原三溪の生い立ちについてお話いたします。本名は原富太郎、三溪は雅号となります。」

と話し始めました。


  Photo_2 原三溪


三溪は岐阜の旧家の長男に生まれたこと。

母方の祖父が高橋杏村といい、有名な南画家で

詩や書にも長け風流韻事を好む人物だったこと。

三溪はそのDNAを受け継いでいて、幼年期母の実家に絵を習いにいったこと。

少年期には岐阜の教育者、野村籐陰のもとで漢籍を習ったこと。

それも後の三溪の芸術的な素養となっていること。

そして両親の薫陶が後の三溪の生き方の素地になったこと、等々、

おもに幼少年期に学んだことを中心に話しました。



立って話していたので途中でちょっと膝のあたりがガクガク震えました。

でも「落ち着いて、ゆっくり、ゆっくり」と心のなかで繰りかえし、

スクリーンのほうを見たり、客席のほうに少し顔をあげたりして原稿をしっかりと読んでいきました。


でも最前列にいるタイムキーパーの相棒Tさんを見る余裕は全く無かったです。

原稿から目を離すことができず、時間の札をあげたみたいだ、という気配だけ感じました。

でも最後まで特に間違えずに読むことができ、終わりました。


次ぎの方と入れ違いにまたスクリーンの後ろへ引っ込み椅子に腰掛けました。

やれやれ、あんなに胃やおなかが痛かったのに、終わったとたんすっと直ってしまいました。


あとでタイムキーパーのKさんに聞いたら、時間は8分だったというので、

練習どおりにゆっくり話せたようです。




このあとリレートークでは

三溪がどのような経緯で横浜へ行き、原合名会社を立ち上げ、どんな会社経営をしたのか、

また、横浜の銀行救済や関東大震災後の復興にどれだけ尽力したか。

そして三溪の芸術的な仕事とインドの大詩人タゴールとの出会い、エピソードなど。

私を含めて5人の市民研究会のメンバーで話をつなぎました。


そして最後に日本の大学で勉強しているバス・アンビカさんが

タゴールの詩をベンガル語で朗読をしてくれ、

学芸員のSさんがタゴールと三溪の写っている1枚の写真について解説をしました。

ここでリレートークは終わり、皆で客席に戻りました。



このあと、横浜在住のインド貿易商ナリン・アドバニさんのお話です。

彼の曽祖父が初めて横浜に来たのは1890年代。その後祖父も、父も貿易商として横浜にやってきた。

その間には関東大震災があり、戦争があり、バブルがあり、と

まさに開港から現在までの横浜とインドの関係を示すにふさわしい

アドバニ家に伝わっている話をしてくださいました。

インドと横浜の繋がり、歴史がよくわかりました。


Cimg8929 アドバニさんの講演


ここで第1部はおわり、10分の休憩後第2部のはじまりです。




第2部は「光りの舞 新シルクロード」というタイトルで

ウードというアラブの楽器の演奏とインド映画女優の踊りがあり、とてもステキなひと時でした。


 Cimg8934 ウード奏者 常味祐司さん


 Cimg8939 インド舞踊 板倉リサさん



フォーラムが終わり、近くのインド料理店で打ち上げをし、楽しい食事会となりました。

今回のイベントを通じて本当にいろんな経験をさせてもらいました。