九州の旅4日目。
最終日9月27日、長崎。
泊まったホテルの目の前が長崎港。
堅曹さんは熊本三角西港から汽船平安丸にのり、長崎港に着いたのが明治21年4月5日。
3日後の4月8日午後、長崎港から乗船して下関、神戸をまわって横浜港へと帰った。
『六十五年記』より
同八日・・(略)・・午後一時去て知事来、暇ひを為して乗船す。此港にて
わが庭と思ふものから外国の 船賑わしき長崎の海
同九日下の関に着。上陸せず此港にて
あら浪をうしろに前の海原は 風も治まる下の関かな
同十日神戸に着。・・(略)・・
同十一日・・(略)・・十一時乗船、衆人送り来る。
大阪をひだりに右は淡路しま 船の出入る神戸港に
遠州は浪荒くして何の景色もなく、切に我家を思ひ
同十二日夜横浜に着。
その長崎港をしっかり見ようと朝早く起き、港へ行ってみました。
早朝なのに散歩している人や船を見ている人が多い。
よく見るとちょうど松ヶ枝埠頭に外国の客船が入港したようだ。
Costa Classica 52,926トン
接岸が行われていた。
気持ちのいい朝の空気を吸いながら、長崎港をゆっくりと歩いてみた。
きれいに公園に整備されている。
多くの船が出入りし、向かい岸には造船所もみえる。
大浦バント(海岸通)には
「旧香港上海銀行長崎支店」と「旧長崎税関下り松派出所」という建物が残っており、
当時の風情を感じさせる。
長崎港を満喫したあとは、ホテルの11階で朝食をとり、眼下に港を眺めた。
8:30 チェックアウトして長崎駅へむかう。
9:25 特急かもめ12号にのり、博多駅へ。
11:30 新幹線のぞみ26号に乗り継いで 16:14 新横浜着。
今朝、娘が出産をしたとの報を聞き、産院へ駆けつけた。
「あなたの生まれるときは長崎にいたのよ」って一生云いそうだ。
今回堅曹さんが訪れた九州を自叙伝に沿って追ってみたが、
文章を読んで想像していたのより、ずっと山道が多く、
こんな遠くからはるばる富岡まで、工女さんや先覚の人たちがやってきたのかとおもうと、
いったいどれほどの覚悟をもってきたのかとおもわずにはいられなかった。
日本の製糸業の先駆者が作った、それぞれの土地の嚆矢となる製糸場の跡地を見て、
当時の士族授産として、また民営の活力とするべく新しいことに挑んだ先人達の苦労の数々がしのばれた。
深く深く心に刻まれる旅となった。