堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

小冊子『川越藩士速水家の墓』

2008-06-21 01:53:08 | お墓

今年1月に完成した「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」。

昨年5月の川越でのお墓発見からモニュメント完成までの経緯をまとめてみました。



2月から少しずつ書き始めて、後の人が読んでもわかるように事実をくわしく、かつこの間に自分で調べてわかったことも加えました。



さて、それをどうするか?

ちょっと冒険でしたけれど、パソコンで小冊子 のような形にしてみました。

ワードで書いた文章を“袋とじ”という形で印刷すると、半分に折って本のような感じになります。

写真やスキャンした図なども入れてみました。

表紙も好きなように作ってしまいました。

それらをガチャン、と大きなホチキスで留めて、製本テープで背を貼れば出来上がり!



        

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    『川越藩士速水家の墓 ―その存在と変転経緯について―』


発行日はちょうど堅曹さんの誕生日6月13日、生誕169年としました。



以前、堅曹さんの姉の子孫Nさんから、ご自分で調べた先祖のことを小冊子になさったのをいただいて、とてもいいな~とおもっていました。

でも、どうやって作るのか皆目わからず、とても自分では作れそうもない。

けれど、いつかそういうのが作れるようになって、速水家のことや堅曹さんのことをいろいろまとめておこう。

そうすれば、あとで子供達がみてもよくわかるだろうな、と遠い先のことのように考えていました。



しかし人間がんばれば出来るものですね。

ワードの詳しい使い方が載っている本と首っ引きでやってみました。

夜中に製本して出来上がったときは、うれしかった。


これをたくさん作って、関係してくださった方々に読んでいただこうとおもっています。


前橋でお墓発見!

2008-05-29 22:57:57 | お墓

28日はいろいろ用事をしに、前橋、高崎に行ってきました。


午前中はまたまた、墓参りと墓探し。

いったい、またお墓に行くの?と家人にいわれました。

でもこの時期は墓地に行くには、最適なのです。

夏は照り返しがきつくて暑いし、冬は寒いし、今なら、まだやぶ蚊もあんまりいなくて、虫さされにもならないし、この時期じゃなくちゃだめなの、などど理屈にもならないことを言って出てきました。



先日の続きのようですが、前橋にある遠藤家の本家のお墓と西塚家や梅さんのお墓、遠藤家の分家のお墓です。


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    正幸寺                  遠藤家 本家の墓


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  森巌寺                  西塚家の墓 奥が梅さんの墓


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遠藤家分家の墓    速水堅曹氏に謡曲を学び寶生宗家に入門した、と書いてある



それらをお参りして、さて、ひとつ探しているお墓の調査です。

それは堅曹さんの奥さんの実家、石浜家のお墓です。

石浜家には堅曹さんの息子(三男)が養子にいって跡をついでいます。うちの先祖は二男ですので、とても近い血縁になります。


お寺はわかっていたので(森巌寺)、いままで何度も探してみたが見つからない。

やっぱり、お寺の住職に聞くのがいいかもしれないとおもい、今回はそのつもりで出掛けました。


偶然にも門の中に入ると、住職が出てこられたので声をかけて尋ねてみました。

すぐに調べて案内してくださり、念願のお墓がみつかりました。


  Cimg3658 石浜興作さんの墓


奥さんの父、興作さんの個人のお墓でした。堅曹さんの岳父になります。

墓石には戒名や経歴、没年などが彫ってあり、だいぶ石浜家のことがわかりました。

でもこのお墓には、ここ10年以上どなたもお参りにきていなくて、ご子孫がわからない、ということで、お寺としては無縁の墓として整理するリストにはいっている、といわれました。

さあ、大変です! とにかくご子孫の方をさがして連絡してあげなくては。

わたしも石浜家のことは全然わからず、本家にとにかく聞いてみて、現在どうなっているのか調べてみなければいけません。


なんだか、川越で速水家の先祖の墓を見つけたときのような展開になってきました。

ちょっといやな予感が・・・。


この日はそのあと、堅曹さん関連の展示を二つ見にいくのと、夜は講演を聞きに行くのと、予定はてんこ盛りです。

つづく。


谷中、青山お墓参りと散策

2008-05-27 13:43:38 | お墓

東京で真夏日を記録した5月24日(土)、谷中と青山でお墓参りをしました。



谷中は堅曹さんの甥にあたる、遠藤謹承(きんしょう)さんのお墓まいりです。堅曹さんのお姉さん梅さんの息子さんです。

夢酔い人Kさんが、昨年暮れに突撃訪問で謹承さんのご子孫宅を発見。そこから謹承さんのお墓が谷中のお寺にあることをお聞きして、他の親戚のかたも一緒に今回お参りすることになりました。



朝9時に日暮里で待ち合わせて、遠藤宅へ訪問。少しお話をお聞きして、お墓に案内していただきました。

謹承さんは堅曹さんの日記にも出てきて、甥っ子になりますが、家族のように面倒をみています。

彼は明治10年(1877)の西南戦争に軍人で出兵していて、その従軍記が2冊残されています。

それを見せていただいたときは、歴史のなかの出来事だった西南戦争がすごく身近に感じました。貴重な史料です。


Cimg3477 遠藤家菩提寺 霊梅院


Cimg3474 遠藤家の墓



謹承さんのお参りをしてからは、近くの谷中霊園へ向かいました。

Cimg3486 谷中霊園


ここから毎日五重塔をながめ、あの『五重塔』を書いたという幸田露伴の家のあった場所をとおり、昭和32年(1957)に焼けてしまった幻の五重塔跡を見に行きました。


Cimg3479 幸田露伴の旧居跡


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   五重塔跡



ウロウロと霊園の中を歩いて、有名人のお墓はどこにあるのかな~などと探していたら、「どこが見たいのですか?」と声をかけてくれる方がいました。

渋沢栄一!、阿部正広!などというと直ぐに教えてくれ、なんと連れて行ってくれました。しかもくわしい歴史の解説付きで。

そしてその後も、折角だから徳川ご三卿のお墓も、そしてよかったら寛永寺の篤姫のお墓も案内しますよ、とどんどん教えてくれます。


皆で顔を見合わせ、驚くやら、うれしいやら。ご好意に甘えて、たっぷりと案内してもらいました。


Cimg3495 徳川慶喜の墓


Cimg3508 渋沢栄一の墓


Cimg3498 阿部正広の墓


Cimg3523 Cimg3526

  寛永寺  篤姫の墓は非公開



こんなこともあるんだ、きっとご先祖様のお計らいだね、などと思ってしまいました。


途中、上野桜木でK’s Green Galleryも併設しているクマイ商店(私の姉の家)に寄り、姉から街づくりの話などを聞かせてもらいました。

「谷根千」としてこの界隈は近年人気があり訪れる人も多く、でもここまで来るには10年以上の地元の活動があってのことだそうです。一線でがんばってきた具体的な話は、富岡の街づくりにも参考になるような話ばかりでした。


Cimg3520_2 クマイ商店



さて、上野で昼食をとり、次は青山霊園です。


Cimg3567 青山霊園


現在堅曹さん夫妻は取手の瑞法光寺のお墓に入っていますが、その他の速水家の本家の方たちは青山霊園のお墓に入っています。先日のモニュメントになった川越のお墓以降はこちらです。


Cimg3569 速水家の墓


皆でお参りさせていただきました。

そのあと、すぐ近くの大久保利通のお墓を見学。いつみてもすごく立派です。


Cimg3572 大久保利通の墓


その墓前にある石燈籠に彫られている「速水堅曹」の名前を皆さんに見ていただきました。


Cimg3573 石燈籠の刻字


ここは堅曹さんが確かに大久保利通の下で仕事をしていたという、目にみえる証拠のような気がして、お参りにきていただいた方には紹介しています。



暑いなか、何時間も谷中から青山とお墓ばかりみてしまいましたが、本当にこの両方の明治初期につくられた官営の墓地は広くて、かつ、今の墓地のように整然と区画ができていないので、見て回ると一日あっても足りないくらいです。

でもご先祖のお墓参りを縁のある方たちと出来たことは、とてもうれしかったです。


桜満開

2008-04-26 23:59:51 | お墓

4月25日モニュメントの桜が満開になりました。

きれいです。

    Cimg3114 花がいっぱいです



ここで訂正です。

いままで、桜の名前を「御衣黄」(ギョイコウ)って書いていたのですが、これは「鬱金」(ウコン)でした。

今回初めて塀の外側から桜をみてみようとおもい、いってみたら、花の幹に札が掛かっていました。

あ~、まちがえた

  Cimg3098_2   Cimg3101  

ここは取手市が管理している公園なので、木によっては名札がついているのです。

もっと早くに見に来ればよかった。



緑色の桜は3種類あるそうです、「御衣黄」「鬱金」「黄桜」。

見分けるのは花弁に気孔があるか、どうかで区別できるらしいのですが、そこまではできず、いろいろネットで調べたり写真をみて、きっと「御衣黄」だろうと思っていたのですが・・・。

「鬱金」(ウコン)の名前の由来はショウガ科のウコン根を使って染めたときの鬱金色に似ているからだそうです。



  Cimg3106 咲き始めの黄緑色


  Cimg3103 満開はピンクに色づく


  Cimg3109 たわわに花がついてます


  Cimg3116 全体

あいかわらず、遠くからはよくわからないですね。

「秘めたる桜」という感じかな。

「秘密御用」だった堅曹さんにはふさわしいかもしれません。


御衣黄(ギョイコウ)桜 8分咲き

2008-04-23 01:25:26 | お墓

やっと暖かくなった今日(4月22日)、御衣黄桜の写真撮ってきました。

3分咲きだった先週から一週間たちましたが、気温の低い日がおおかったので、まだ8分咲きぐらいでしょうか。



  Cimg3085_2 クリックすると大きくなります

木にはまだたくさんの蕾がついています。

咲き始めの花は花房が淡い緑色で花びらに濃い緑のスジが入っています。



  Cimg3089_2

完全に開花すると白っぽくなり、まもなく中心のほうがピンク色に変わります。



  Cimg3094_2

全体でみると、花は八重ですが小ぶりで緑色なのと、葉っぱが大きいのであまり花が咲いているようには見えないかもしれません。


また、報告します。