堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

モニュメントの桜

2008-04-16 20:18:39 | お墓

1月に出来た「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」

出来上がってみれば、なんとちょうどいい感じに塀のうしろから桜の木の枝が張り出しているではないですか。

春になったら楽しみだなぁ~と、桜が咲くのを例年とは違う気持で心待ちにしていました。



さて、4月に入りお寺の桜や前の道路の街路樹の桜も満開になりました。

  Cimg2850  4月2日 満開です



あれ~、モニュメントの桜は全然です。

でも確かに桜の木です。

ソメイヨシノじゃないのかなとおもい、では八重桜かな、それにしても全く蕾もみえないくらいです。

お寺に行くたびに気になり見ていると、今度は葉っぱがでてきています。

花が咲かなかったらどうしよう、みんなに桜の時期はきっときれいですよ、などと言ってしまった。



今日(4月16日)また見てみました。

わかりました! 小さな緑色の花がついていました!

そう、この桜は「緑色の桜」なのです。

ご存知の方もいるとおもいますが、「御衣黄」(ギョイコウ)というサトザクラの系統の黄緑色の花の桜です。


写真に撮ってみました。(クリックすると大きくなります)

   Cimg3077  御衣黄

   Cimg3055 御衣黄                      

   Cimg3058 モニュメントと桜の木

まだ少ししか花がついていないので満開はこれからです。


名前の由来は、かつて貴人が着る衣服の萌黄色に似ていたので付いたとか。

お寺の門の外にも一本同じ「御衣黄」があります。これは毎年きれいに咲いていました。

きっと同じようにモニュメントの桜も咲くんだろうな、と楽しみになりました。


文章書き

2008-03-01 23:51:41 | お墓

ここのところ一週間もあいてしまいました。

せっせと文章書いてました。



前回書いた『六十五年記』の索引作りは一応おわったので、次は先月、ではないもう3月だから先々月1月に完成した「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」のことをキチンと文章にして残すために書いています。

川越でのお墓の発見から記念碑となるまでの経緯やお墓の解説、和歌の解釈などをちゃんとした文章で残しておこうとおもい、毎日時間をみつけてやっています。

はじめると頭の中はそればっかりになってしまうので、全然ブログを書くことに至らないのです。



モニュメントのことはブログにもその時々綴っていったのですが、それはお気楽な文章であり、いざちゃんと書こうとするともう一度正確に事柄にあたらなくてはならなくて、結構大変です。

いかにいい加減に物事を理解しているか、と自分で情けなくなります。

でも私の先祖調べの根本は次の世代に先祖のことを伝えるということです。

ならばいまわかったこと、すべてを書き残しておかなければいけません。

発見しました、持ってきました、新しく作りました、だけでは終わらないのです。

きちんと記録を残し、伝えるべきものはすべて書いておいてひと段落つきます。



さあ、がんばるぞ~、と気合いれてやってます。


ラジオ放送

2008-02-09 00:41:28 | お墓

1月21日にNHK-FM「夕焼けほっと群馬」の「ここに人あり」で放送された

「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」完成披露の会の様子と私のインタビューが聞けます。

  P1090478 取材の様子

再生ボタンをクリックしてください。

<embed src="http://web.sfc.keio.ac.jp/~s05683sh/kokonihitoari.mp3" width="300" height="40" type="audio/mpeg" autostart="false" repeat="true" loop="true"></embed>


モニュメントの材質

2008-01-29 22:52:44 | お墓

先日のモニュメント完成についてはいろいろご報告させていただきましたが、

さて、肝心の堅曹さんのつくった先祖のお墓を残した理由。

堅曹さんの経歴を知ってもらうための顕彰碑をたてるにあたって、100年以上前に彼が作ったものとして、言い方は変ですが、建造物として、作品として残したらいいのではないかと考えました。たとえば、書や絵画、彫刻のように。

とにかく残したかった。

ありきたりのお墓の形態でなかったというのもその気にさせられた大きな要素でした。

Cimg0964 元の墓石と歌碑



出来上がったモニュメントの写真を見た何人かの方から、あれはコンクリート製ですか?と尋ねられました。

いいえ、違います。あれは全部石でできています。


ここですこしモニュメントの材質や細部を説明します。

Cimg2338 モニュメント全体

全体を占めるグレーっぽく見える石はインドの「新緑」という石です。すこし緑色がかった色です。

大きな大きな石で3体の石柱と床部分の敷石、周りの柵部分すべてそうです。

場所により、磨いたり、手で彫ったり、機械で彫ったりして表面の感じを変えてあります。


Cimg2467 石柱 向かって右側

Cimg2468_2 真ん中

Cimg2469_2 左側

その「新緑」の切り石の中に元の墓石の正面を薄くスライスして歌碑と一対にしてはめ込みました。

元の墓石と歌碑は当時関東エリアでよく使われていた神奈川県の「新小松石」です。

歌碑のほうは多少傷んでいる部分があったので、昔と同じように手彫りをして読みやすくしていただき、無くなっていた部分は残っていた文献から忠実に再生しました。

手彫りは大変細かい作業で技術と根気のいる仕事です。

今回の仕事で一番時間がかかり、ご苦労をかけてしまったところです。


Cimg2481 横から

それぞれの石柱の横には元の墓石の側面に彫られていた文字を忠実にこちらも手彫りで彫りこみました。

横からみると少し中にはめ込んであるのがよくわかるとおもいます。


Cimg2341 「誌」 これは黒御影石です。


Cimg2480 ザクロの紋様の鋳物の柵

実はこの柵、リサイクルなのです。

このお寺、瑞法光寺の門扉を昨年9月に取り替えたときそこに使われていた鋳物の部分を残してあったのを4枚、今回周りの柵に使用しました。

瑞法光寺はもともと鬼子母神を中心に祭っていたので、ザクロなのです。

ザクロは鬼子母神像が右手に吉祥果(ザクロ)をもっていることから、紋様としてあちこちにつかわれるそうです。


このような材質で作られたモニュメント。

設計と施工をしてくださった、㈱石梅の丸山さんが挨拶でこうおっしゃってくださいました。

「今回使った石はインドのものですが、仏教の導くものを感じました。この石はかなり硬いもので、残っていた墓石もこうやって何十年と歴史をかさねても良さがあります。まわりの石材もそれにあわせてこれから50年100年経ってもそれなりの良さが残せるような形で加工と施工をさせていただきました。」

ありがとうございました。

100年後きっといい形で残っていると信じます。


NHK-FM 「夕焼けほっと群馬」

2008-01-22 03:01:54 | お墓

21日(月)にNHK-FM放送の「夕焼けほっと群馬」で先日の「速水堅曹翁を偲ぶモニュメント」のセレモニーの様子や私のインタビューが放送されました。

群馬を中心に放送される番組なので、自宅では全然受信できません。



もうじき始まるな~、ちょっとガーガーしてても入らないかな~なんて思いながら、夕方ラジオをいじくっていました。

やっぱりだめそうです。


夕方6時ちょっと前電話がなりました。相棒Tさんです。

「どう?これで聞こえない?」と言って、何か電話のむこうでやっています。

「今、ラジオの放送流してるんだけど。聞こえる?」

え~!「夕焼けほっと群馬」の放送聞かせてくれるの~?

Tさんの家は群馬県内。お昼に電話したとき、もう周波数合わせて聞く準備してるって言ってました。

でも、私に電話で聞かせられるかもしれないって考えてくれたなんて、驚きです!

想像だにしませんでした。

とても申し訳なくって「なんとか受信できないか、もうちょっと家中のラジオいじってみるから、それでもだめだったらお願いします。」と答えました。

でもやっぱりだめでした。



放送予定は6時半前後だときいていたので、6時20分すぎに電話しました。

ラジオの音が受話器から流れてきます。すこし雑音がはいりますが、充分聞こえます。

そうだ、電話で録音できるかも知れないとおもい、いそいで「通話録音」のボタンを押しました。

音楽が流れてきました。

「つづいては〈ここに人あり〉のコーナーです。」と先日インタビューをしてくださったアナウンサーの声が聞こえてきます。

ああ、はじまる。ドキドキして受話器に耳をしっかりあてます。

はじめに速水堅曹の経歴が紹介されます。

そして95回目の命日にモニュメントがつくられ、お披露目会がひらかれたことが伝えられました。

モニュメントの説明がされ、本家の奥様の言葉。

つづいて内海孝先生の「速水堅曹が先祖の墓を「・・・夫婦の墓」と墓石に刻んだこと。これは堅曹のすごい見識だ」というすばらしいコメント。

続いてわたしの紹介が行われ、インタビューがはじまりました。

初めてラジオを通して聞く自分の声。しゃべり。

当日のことが思い出され、息がつまるようでした。

途中からこれは私じゃなくて堅曹さんが語らせてくれているんだ、とおもいました。

自分で自分の話を聞いて、変ですが感動してしまいました。

放送が終わって相棒Tさんと興奮したまま感想を言い合い、電話を切りました。



Tさん本当にありがとう。オンタイムで聞けてよかったです。

電話機の録音もだいぶひどい音ですが、録れていました。

聞きなおしてはだんだん興奮もおさまってきました。



夢酔い人Kさんから早速にメールが届き、とても良かったと書いてきてくださいました。

もしかして速水堅曹という人物がラジオを通して紹介されたのは初めてじゃないだろうか、とも書いてあります。

そうです、自分のことばかり気になって忘れていました。

速水堅曹が公共の電波にのって紹介されたのは今回がはじめてです。

記念すべき放送でした。