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斎藤美奈子さんのコラム・その89&前川喜平さんのコラム・その50

2021-07-21 00:40:00 | ノンジャンル
 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず7月14日に掲載された「銃後の辛抱」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「一部を除く東京五輪の無観客開催が決定した。
①いまは反対していても、②いざ競技がはじまれば日本人は手のひらを返して熱狂する。③メダルのラッシュともなればメディアは祝祭ムード一色。④世間は「やっぱり五輪やってよかったね」という雰囲気に一変し、⑤菅首相は「コロナに打ち勝った」と宣言。⑥最低を更新中の内閣支持率が急上昇し、⑦秋の総選挙では自公が勝つ。
 以上が政権与党の描くシナリオだろう。③までは予想がつく。大谷翔平選手の活躍ぶりを報じるメディアの異様なはしゃぎっぷりは、五輪報道の予行練習のようだ。
だが、このシナリオには感染の拡大、医療現場の逼迫(ひっぱく)、ワクチン接種の滞り、我慢を強いられている市民といったファクターが抜けている。
直近の世論調査では、無観客開催を支持する人が四割(NHK39%、読売新聞40%)を占める一方、中止すべきだとする声も拮抗(きっこう)している(NHK30%、読売41%)。
 緊急事態宣言下の五輪は「欲しがりません勝つまでは」の図式そのものだ。戦争に勝つために銃後の忍耐を強いる。外出は制限され、仕事を奪われ、行政に監視され、休業や廃業を余儀なくされる中で、前線の兵士に声援を送るよう仕向けられる。「中止」の声が大本営の号令でかき消されたら、いよいよ敗戦は濃厚だ。④以降の動向を凝視したい。」

 また、7月11日に掲載された「「子飼い」の財務事務次官」と題された前川さんのコラム。
「七月八日付人事で財務事務次官に就任したのはやはり矢野康治だった。「やはり」というのは、彼が菅首相「子飼い」の官僚だからだ。矢野氏は第二次安倍政権発足から二年半、菅官房長官(当時)の秘書官だった。「報道ステーション」で古賀茂明氏が「I am not ABE」のプラカードを掲げた時には、テレビ朝日の幹部に電話して圧力をかけた。
 2018年6月5日の参議院財政金融委員会で当時官房長だった矢野氏は、共産党辰巳孝太郎議員から森友学園関係の決裁文書改竄(かいざん)の経緯について質問された。改竄が始まる四日前の2017年2月22日、佐川理財局長(当時)や中村理財局総務課長(当時)から菅官房長官に「昭恵氏の名前が記載された決裁文書の存在が報告されていたのではないか」。
 矢野氏は「官房長官への説明の際、理財局総務課長は決裁文書に政治家の名前があることを把握していなかった」「決裁文書に政治家関係者に関する記載があることが理財局長に報告された時期は明確に判定できない」などと答弁。文書の改竄が菅氏の知らないところで行われたと印象づけようとした。
 同期に加部哲生氏、藤井健志氏など有力な候補者がいる中で矢野氏が事務次官になれたのは、公文書改竄の大罪から菅氏を守ったことへの報賞でもあるのだろう。」

 そして、7月18日に掲載された『楠木正成の亡霊』と題された前川さんのコラム。
「2021年防衛白書が公表された。台湾情勢の安定が日本の安全保障にとって重要との記述が盛り込まれたが、このような記述は専守防衛の原則を逸脱している。
 だが、僕がまず違和感を持ったのは、その表紙が皇居外苑の楠木正成像を描いた墨絵だったことだ。高村光雲と弟子が造ったこの銅像は確かに傑作だが、なぜそれが防衛白書の表紙なのか。戦前の皇国史観において、楠木正成は天皇に忠義を尽くした忠臣と称(たた)えられた。七生滅賊(七回生き返って朝敵を滅ぼす)は正成が残した言葉だ。
 高村光太郎が敗戦後に書いた「楠公銅像」という詩がある。楠木像の木型を天皇にご覧に入れたとき、劔(つるぎ)の楔(くさび)を一本打ち忘れたため、風が吹くたび劔が揺れた。「もしそれが落ちたら切腹と父は決心していたとあとできいた」「父は命をささげていたのだ。人知れず私はあとで涙を流した」この詩は父光雲の忠義を賛美しているのではない。それに感動した自分を深く反省しているのだ。
 光太郎は「典型」という詩で自らを「三代を貫く特殊国の特殊の倫理に鍛えられ」た「愚劣の典型」と呼んだ。楠木正成に象徴される忠君愛国の倫理を捨て、その倫理に染まっていた愚劣な自己と決別したのである。私たちは光太郎の精神的転回を追体験すべきだ。楠木正成の亡霊を呼び起こしてはならない。」

 どの文章も迫力に満ちた、一読に値する文章だと思いました。


増村保造監督『氷壁』

2021-07-20 06:40:00 | ノンジャンル
 増村保造監督、井上靖原作、新藤兼人脚本の1958年作品『氷壁』をDVDで観ました。

以下、ウィキペディアのあらすじに加筆修正させていただくと、

「新鋭登山家の魚津恭太(菅原謙二)は、昭和30年の年末から翌年正月にかけて、親友の小坂乙彦(川崎敬三)と共に前穂高東壁の冬季初登頂の計画を立てる。その山行の直前、魚津は小坂の思いがけない秘密を知る。小坂は、人妻の八代美那子(山本富士子)とふとしたきっかけから一夜を過ごし、その後も横恋慕を続けて、美那子を困惑させているというのだ。
不安定な心理状態の小坂に一抹の不安を抱きつつも、魚津たちは穂高の氷壁にとりつく。吹雪に見舞われる厳しい登攀のなか、頂上の直前で小坂が滑落。深い谷底へ消えていった。二人を結んでいたナイロンザイルが切れたのだ。必死に捜索するも小坂は見つからず、捜索は雪解け後に持ち越されることになった。
失意のうちに帰京する魚津。そんな思いとは裏腹に、世間では「ナイロンザイルは果たして切れたか」と波紋を呼んでいた。切れるはずのないザイル。魚津はその渦に巻き込まれていく。ナイロンザイルの製造元は、魚津の勤務する会社と資金関係があり、さらにその原糸を供給した会社の専務は、小坂が思いを寄せていた美那子の夫・八代教之助(上原謙)だった。
 単なる事故か、それとも恋に破れた小坂の自殺かと、マスコミの注目が集まるなか、ザイルの衝撃実験が矢代教之助の手によって行われたが、実験の結果、ザイルは切れなかった。ザイルは魚津が勤めている会社の関連会社の製品であったため、彼の立場はさらに苦しいものとなる。
作品の途中で、小坂が愛したデュプラの詩が引用されており、本作品のテーマを漂わせている。 尚、この訳文は深田久弥が訳したものである。
そして最後では、小坂の妹かおる(野添ひとみ)が、デュプラの詩を実現すべく、穂高に登りケルンを作って、小坂、魚津両名のピッケルを差し込む決心をする部分で映画は終わる。」

 最後に出て来るデュプラの詩というのは、以下のようなものです。

   もしかある日、
   もしかある日、私が山で死んだら、
   古い山友達のお前にだ、
   この書置を残すのは。
   おふくろに会いに行ってくれ。
   そして言ってくれ、おれはしあわせに死んだと。
   おれは母さんのそばにいたから、ちっとも苦しみはしなかったと。
   親父に言ってくれ、おれは男だったと。
   弟に言ってくれ、さあお前にバトンを渡すぞと。
   女房に言ってくれ、おれがいなくても生きるようにと。
   お前がいなくてもおれが生きたようにと。
   息子たちへの伝言は、お前たちは「エタンソン」の岩場で、
   おれの爪の跡を見つけるだろうと。
   そしておれの友、お前にはこうだ―
   おれのピッケルを取り上げてくれ。
   ピッケルが恥辱で死ぬようなことをおれは望まぬ。
   どこか美しいフェースへ持って行ってくれ。
   そしてピッケルのためだけの小さいケルンを作って、
   その上に差しこんでくれ

 実際の事件に取材した井上靖の同名小説を映画化したサスペンスタッチのメロドラマ。大映ビスタヴィジョンの最後を飾る作品で、増村にとっては初のワイド作品だったそうです。

『旅に倦むことなし アンディ・アーヴァインうたの世界』その5

2021-07-19 22:29:00 | ノンジャンル
 そして最後に紹介する詩は『エリンの緑の岸辺』と題された詩です。

「先日の晩 澄みわたるせせらぎの 川べりをそぞろ歩き
サクラソウの寝床に腰かけ いつしか夢に落ちていった
夢のなかで 見たこともない美しさの乙女に会った
乙女は自国の被っている不正にため息をついた エリンの緑の岸辺をさまよいながら

私は急いで美しい女性に近づいていった 美しい人よ お名前を教えてください
あなたは知らないお方 でなければ訊ねはしません
乙女は 身につけている自主と独立の女神の紋章のごとく見えた
紋章を彩るのは シャムロックとバラ エリンの緑の岸辺に花咲く

優しいお方 私は知られざる者です 私の胸の内 あなたにさらします
私はいま 危険のただなかにいて 味方も敵もわかりません
私はダニエル・オコンネルの娘です イングランドから船で戻ってきたばかり
同胞たちを目覚めさせに来たのです エリンの緑の岸辺でうたた寝をする彼らを

あなたはきっと グローニャの真の息子 私の心を明かします
クロンメルの集会に行って 敵を暴露なさい
真の叡智を持っていれば どんな敵もあなたの許に来はしません
自由の明るい星が貧しい者たちを照らすでしょう エリンの緑の岸辺で

嬉しさに有頂天になって目覚めた が ああ ただの夢だった
美しい乙女も消えた もう一度 一目会いたい
天の力よ 彼女を護ってください 私はもう会えないのだから
自由の明るい星が貧しい者たちを照らすまで エリンの緑の岸辺で」

 全体を読んでみて、一番印象に残った詩は、やはり二コラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティの冤罪を歌った詩『椅子を前にして』でした。この世紀の冤罪事件は映画化もされていて、主題歌はジョーン・バエズが歌う『死刑台のメロディ』という邦画名もつけられ、私は幼い頃テレビで観た記憶があります。
 他にも北アイルランドの独立闘争を歌った『マイケル・ドワイヤーの逃走』とか、いかにも牧歌的な『キルデアの平原』も気に入りました。
 普段なら読んでしまった本はヤフオクで売ってしまうのですが、この詩集は常に身近に置いておきたい詩集となりました。私のように普段は詩が苦手な方でも是非手に取ってみてください。

『旅に倦むことなし アンディ・アーヴァインうたの世界』その4

2021-07-18 00:32:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

 次の詩は『三人の狩人』。「殺人をめぐるこの非常に生々しい歌は、1960年代前半に、違うメロディのバージョンを、スウィ-ニーズ・メンの仲間ジョニー・モイナハンから教わった。「跳び出したる三人の不遜にして乱暴な 剣を振りかざす男たち」という一句が私たちは気に入っていた。アイルランド以外にも、イングランド、アパラチア、カナダ、と各地で収集されている歌である。
 サム・ヘンリーの歌集には、デリー州のコールレーンでうたわれていた、結末がユニークなバージョンが載っている。3人の狩人が一団となって、追い剥ぎ11人全員と娘、隊長をみんな殺してしまうのである。」

 そして実際の詩は次のようなものです。
「耳にはさんだのは 勇敢にして豪胆なる三人の狩人の話
市が立った一日で 五百ギニー稼いだ
ウィックローの山々を越え、共に家に帰る途中
おい馬をとめろ ジョンソンが叫ぶ 女の悲鳴が聞こえたぞ

止まるもんか ウィルソンが言う 止まってたまるか
俺だって止まらん ギルモアが言う 追い剥ぎに遭ってはたまらん
だがジョンソンは馬から降りて 森じゅうを探す
やがて裸の女が見つかった 髪を地面に留められて

女よ 女よ どうしてこんなところで縛られているのか
誰に連れてこられて この五月の朝 髪を地面に留められて
三人の不遜にして乱暴な 剣を振りかざす男たちに
ここへ連れてこられたのです この五月の朝 髪を地面に留められて

けれど私の父は裕福です 親切にしてくださればお礼はします
私の命 貴方にあずけます どうか私を護ってください
ジョンソンも 雄々しく豪胆なる勇者であるがゆえ
女が寒くないよう 上着を脱いで 掛けてやった

そして馬に乗り 女をうしろに乗せ
さみしい谷間を 運命に出会うべく下っていった
精一杯速く走っていると
女はさっと指を唇にあて 震える叫び声を三度上げた

跳び出したる三人の不遜にして乱暴な 剣を振りかざす男たち
止まれ とジョンソンに命じ 立て と命じた
立てと言われれば立とう とジョンソン
三人の人間など 怖かったことはない

そしてジョンソンは二人を殺し うしろにいる女のことは気にかけず
三人目に取りかかっている最中 女に刺し殺された
休みの日で 市が立ち 通りがかる人みな
この恐ろしい殺人を見たかもしれぬ 哀れジョンソンが死ぬのを見たかもしれぬ」

 次に紹介する詩は『キルデアの平原』と題された詩。

「おいでみなさん 愉(たの)しみを愛する人たちよ 俺の話を聞いてくれ
あの雄々しい競走馬 スチューボールの話だ
アーサー・マーブルっていう男が ここへスチューボールを連れてきた
キルデアの平原で ミス・グリーゼルと競走させた

こいつの評判は 前から聞いていた
けれど今回は 若きミセス・ゴアが相手
見目麗しい灰色の雌馬 ミス・グリーゼルに乗る
キルデアの平原で 金(きん)一万ギニーを争って

馬たちが連れてこられる サドル 鞭 馬勒(ばろく)とともに
紳士方が歓声を上げる 雄々しき騎手たちの姿に
やって来た馬たちを見て
みんなが賭けた モナハンの灰色の雌馬に

号砲が轟き 馬たちは飛び出す
スチューボールは矢のように 灰色の雌馬を追い抜く
もしあんたがそこにいて 馬たちが回るのを見たら
心底思ったことだろう こいつらの足 地面についてない

そしてとうとう コース半分回ったところで
スチューボールと乗り手が 話をはじめた
スチューボールが乗り手に言った なあ教えてくれよ
たったいま あの灰色の雌馬 俺からどれだけ離れてるかい

乗り手がスチューボールに言った 大したもんだぜ お前の走りっぷり
もうあの灰色の雌馬 半マイル近く引き離したぜ
このまま走り続けたら 誓って言う
絶対負けやしない あのモナハンの灰色の雌馬なんかに

ゴールポストも 難なく駆け抜けた
馬も乗り手も言った シェリーをよこせブランデーよこせ
そうして一緒に 気高い灰色の雌馬に乾杯した
あの馬が彼らのポケットを空っぽにしたのだから キルデアの平原で」

(また明日へ続きます……)

『旅に倦むことなし アンディ・アーヴァインうたの世界』その3

2021-07-17 07:49:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

さようなら 勇気ある同志たち
さようなら スアッソズ・レーン
さようならノース・プリマス さようならボストン・ハーバー
もう君たちには会えない

もしこんなことが起きなかったら、私たちは人生を全うしたかもしれない
私たちをさげすむ者たちと言葉を交わしながら
一人きりで 何の跡も残さず 知られもせず 死んだかもしれない
何度も失敗を 挫折を重ねて
けれどこの死は この痛みは 無駄にはならない
そしてあなたたちの罪は 決して霞みはしない
よくも思えるものだ 崖っぷちに立っているのに
自分たちはいつまでもこの世界を支配するのだなどと

私たちは信じる 自由のために戦わねば
自由を得る前に人は
恐怖と強欲から自由になる
そして足枷(かせ)と鎖からも自由に
死に向かうこの廊下を 私たちは歩いていく
これまでも多くの人が歩いた廊下を
けれど私たちは 労働階級の戦いを続ける
あと千回 人生を生きようとも

さようなら 勇気ある同志たち
さようなら スアッソズ・レーン
さようならノース・プリマス さようならボストン・ハーバー
もう君たちには会えない」

 次は『マイケル・ドワイヤーの逃走』という詩の説明から。

「1798年のアイルランド反乱が鎮圧されたあとも、マイケル・ドワイヤーとその部下たちはイギリス兵に対しゲリラ戦を続けた。彼らの勇気、忍耐、騎士道的精神は、ウィックロー州のグレン・オブ・イマール近辺の山村の人びとにいまも記憶されている。有名な逃走は数多いが、この1799年の凍てつく冬の逃走はもっともよく知られている。相棒のサム・マカリスターの、負傷して戦いを続けられなくなったあとの英雄的ふるまいも歌に盛り込んである。」

 そして実際の詩は次の通り。

「わが名はマイケル・ドワイヤー 隠しはしない
西ウィックローの山の中で生まれた
近年 ‘98年の仲間たちとともに戦った
エニスコーシーを強襲したが
反乱は鎮圧され 僕たちはすぐに悟った
もはや自分の家には住めない
でも あちこちのさみしい洞窟が それなりの安楽を与えてくれた
それに このへんの山々の民は 僕たちをよく知っている

雪が降りしきり 夜はすっかり更けていた
と 安全な家が三軒見えて
難しい天候なのに 見張りがそばに置かれた
こんな晩は 危険もなさそうだった
が 誰か陰険なスパイが ご主人のもとへこそこそ飛んでいった
いつの日か 奴に仕返しできる日が来ますように
目が覚めたら 冗談どころじゃなかった
玄関に ハイランドの兵士が百人

出てこい反乱分子ども 隊長は叫んだ
お前らに勝ち目はない
さっさと降参しろ 命は保証してやる
弾も縄も被らずに済むぞ
するとドワイヤーは部下たちに言う 諸君 またこうなった
だが今回はどうやら否定しようがない
この場所を 外にいる兵隊どもから守るには
神の恩寵だけじゃない

家に火が点けられ マカリスターとドワイヤーは
炎に包まれて死ぬ気だった
火薬と煙とで かれらはほぼ打ち負かされた
ハイランドゲームくたばれ と悪態をつきながら
厩(うまや)の壁のかげから 狙いすましたマスケット銃の弾が
マカリスターに 隠しようのない痛みを与え
自分の銃も吹き飛ばれ マカリスターは呆然と見下ろす
役立たずに垂れた自分の腕を

マカリスターは言う ドワイヤー俺はもう駄目だ 君の銃をくれ
見てみようじゃないか 君がどれだけ跳べるか
扉を開けたマカリスター 一声大きく吠えた
俺は国のために死ぬ
一斉射撃の音が轟き ドワイヤーが跳び出す
哀れサムは銃弾を一身に受けた
ああ 心優しく 勇敢なマカリスター
マイケル・ドワイヤーのために命を捨てたのだ

敵が弾を込め直すずっと前に ドワイヤーはすでに道を半分行っている
キルト姿のスコットランド人が一人 そのかかとに飛びつく
兵たちは銃撃を止め 成り行きを見守る
彼らが見るなか ドワイヤーは相手を倒し
ズボンもなく上着もなく 野生の山羊のように走る
裸足の足からは 間違いなく血が出ている
ブラック・バンクス峠を越えながら 心からの感謝を捧げ
グレンマルアーの洞穴に無事たどり着いた

俺たちはその日三人を失ったが 隊長は逃げた
ほかの連中はその場で降伏した
うち三人は ああ ボルティングラスで首を吊られ
残りは銃殺隊の前に立ち 逝った
ドワイヤーは ダブリンに行きつき
そこから船で ニューサウスウェールズに旅立った
ウィックロー州から遠く離れて」

(また明日へ続きます……)