さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず7月14日に掲載された「銃後の辛抱」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「一部を除く東京五輪の無観客開催が決定した。
①いまは反対していても、②いざ競技がはじまれば日本人は手のひらを返して熱狂する。③メダルのラッシュともなればメディアは祝祭ムード一色。④世間は「やっぱり五輪やってよかったね」という雰囲気に一変し、⑤菅首相は「コロナに打ち勝った」と宣言。⑥最低を更新中の内閣支持率が急上昇し、⑦秋の総選挙では自公が勝つ。
以上が政権与党の描くシナリオだろう。③までは予想がつく。大谷翔平選手の活躍ぶりを報じるメディアの異様なはしゃぎっぷりは、五輪報道の予行練習のようだ。
だが、このシナリオには感染の拡大、医療現場の逼迫(ひっぱく)、ワクチン接種の滞り、我慢を強いられている市民といったファクターが抜けている。
直近の世論調査では、無観客開催を支持する人が四割(NHK39%、読売新聞40%)を占める一方、中止すべきだとする声も拮抗(きっこう)している(NHK30%、読売41%)。
緊急事態宣言下の五輪は「欲しがりません勝つまでは」の図式そのものだ。戦争に勝つために銃後の忍耐を強いる。外出は制限され、仕事を奪われ、行政に監視され、休業や廃業を余儀なくされる中で、前線の兵士に声援を送るよう仕向けられる。「中止」の声が大本営の号令でかき消されたら、いよいよ敗戦は濃厚だ。④以降の動向を凝視したい。」
また、7月11日に掲載された「「子飼い」の財務事務次官」と題された前川さんのコラム。
「七月八日付人事で財務事務次官に就任したのはやはり矢野康治だった。「やはり」というのは、彼が菅首相「子飼い」の官僚だからだ。矢野氏は第二次安倍政権発足から二年半、菅官房長官(当時)の秘書官だった。「報道ステーション」で古賀茂明氏が「I am not ABE」のプラカードを掲げた時には、テレビ朝日の幹部に電話して圧力をかけた。
2018年6月5日の参議院財政金融委員会で当時官房長だった矢野氏は、共産党辰巳孝太郎議員から森友学園関係の決裁文書改竄(かいざん)の経緯について質問された。改竄が始まる四日前の2017年2月22日、佐川理財局長(当時)や中村理財局総務課長(当時)から菅官房長官に「昭恵氏の名前が記載された決裁文書の存在が報告されていたのではないか」。
矢野氏は「官房長官への説明の際、理財局総務課長は決裁文書に政治家の名前があることを把握していなかった」「決裁文書に政治家関係者に関する記載があることが理財局長に報告された時期は明確に判定できない」などと答弁。文書の改竄が菅氏の知らないところで行われたと印象づけようとした。
同期に加部哲生氏、藤井健志氏など有力な候補者がいる中で矢野氏が事務次官になれたのは、公文書改竄の大罪から菅氏を守ったことへの報賞でもあるのだろう。」
そして、7月18日に掲載された『楠木正成の亡霊』と題された前川さんのコラム。
「2021年防衛白書が公表された。台湾情勢の安定が日本の安全保障にとって重要との記述が盛り込まれたが、このような記述は専守防衛の原則を逸脱している。
だが、僕がまず違和感を持ったのは、その表紙が皇居外苑の楠木正成像を描いた墨絵だったことだ。高村光雲と弟子が造ったこの銅像は確かに傑作だが、なぜそれが防衛白書の表紙なのか。戦前の皇国史観において、楠木正成は天皇に忠義を尽くした忠臣と称(たた)えられた。七生滅賊(七回生き返って朝敵を滅ぼす)は正成が残した言葉だ。
高村光太郎が敗戦後に書いた「楠公銅像」という詩がある。楠木像の木型を天皇にご覧に入れたとき、劔(つるぎ)の楔(くさび)を一本打ち忘れたため、風が吹くたび劔が揺れた。「もしそれが落ちたら切腹と父は決心していたとあとできいた」「父は命をささげていたのだ。人知れず私はあとで涙を流した」この詩は父光雲の忠義を賛美しているのではない。それに感動した自分を深く反省しているのだ。
光太郎は「典型」という詩で自らを「三代を貫く特殊国の特殊の倫理に鍛えられ」た「愚劣の典型」と呼んだ。楠木正成に象徴される忠君愛国の倫理を捨て、その倫理に染まっていた愚劣な自己と決別したのである。私たちは光太郎の精神的転回を追体験すべきだ。楠木正成の亡霊を呼び起こしてはならない。」
どの文章も迫力に満ちた、一読に値する文章だと思いました。
まず7月14日に掲載された「銃後の辛抱」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「一部を除く東京五輪の無観客開催が決定した。
①いまは反対していても、②いざ競技がはじまれば日本人は手のひらを返して熱狂する。③メダルのラッシュともなればメディアは祝祭ムード一色。④世間は「やっぱり五輪やってよかったね」という雰囲気に一変し、⑤菅首相は「コロナに打ち勝った」と宣言。⑥最低を更新中の内閣支持率が急上昇し、⑦秋の総選挙では自公が勝つ。
以上が政権与党の描くシナリオだろう。③までは予想がつく。大谷翔平選手の活躍ぶりを報じるメディアの異様なはしゃぎっぷりは、五輪報道の予行練習のようだ。
だが、このシナリオには感染の拡大、医療現場の逼迫(ひっぱく)、ワクチン接種の滞り、我慢を強いられている市民といったファクターが抜けている。
直近の世論調査では、無観客開催を支持する人が四割(NHK39%、読売新聞40%)を占める一方、中止すべきだとする声も拮抗(きっこう)している(NHK30%、読売41%)。
緊急事態宣言下の五輪は「欲しがりません勝つまでは」の図式そのものだ。戦争に勝つために銃後の忍耐を強いる。外出は制限され、仕事を奪われ、行政に監視され、休業や廃業を余儀なくされる中で、前線の兵士に声援を送るよう仕向けられる。「中止」の声が大本営の号令でかき消されたら、いよいよ敗戦は濃厚だ。④以降の動向を凝視したい。」
また、7月11日に掲載された「「子飼い」の財務事務次官」と題された前川さんのコラム。
「七月八日付人事で財務事務次官に就任したのはやはり矢野康治だった。「やはり」というのは、彼が菅首相「子飼い」の官僚だからだ。矢野氏は第二次安倍政権発足から二年半、菅官房長官(当時)の秘書官だった。「報道ステーション」で古賀茂明氏が「I am not ABE」のプラカードを掲げた時には、テレビ朝日の幹部に電話して圧力をかけた。
2018年6月5日の参議院財政金融委員会で当時官房長だった矢野氏は、共産党辰巳孝太郎議員から森友学園関係の決裁文書改竄(かいざん)の経緯について質問された。改竄が始まる四日前の2017年2月22日、佐川理財局長(当時)や中村理財局総務課長(当時)から菅官房長官に「昭恵氏の名前が記載された決裁文書の存在が報告されていたのではないか」。
矢野氏は「官房長官への説明の際、理財局総務課長は決裁文書に政治家の名前があることを把握していなかった」「決裁文書に政治家関係者に関する記載があることが理財局長に報告された時期は明確に判定できない」などと答弁。文書の改竄が菅氏の知らないところで行われたと印象づけようとした。
同期に加部哲生氏、藤井健志氏など有力な候補者がいる中で矢野氏が事務次官になれたのは、公文書改竄の大罪から菅氏を守ったことへの報賞でもあるのだろう。」
そして、7月18日に掲載された『楠木正成の亡霊』と題された前川さんのコラム。
「2021年防衛白書が公表された。台湾情勢の安定が日本の安全保障にとって重要との記述が盛り込まれたが、このような記述は専守防衛の原則を逸脱している。
だが、僕がまず違和感を持ったのは、その表紙が皇居外苑の楠木正成像を描いた墨絵だったことだ。高村光雲と弟子が造ったこの銅像は確かに傑作だが、なぜそれが防衛白書の表紙なのか。戦前の皇国史観において、楠木正成は天皇に忠義を尽くした忠臣と称(たた)えられた。七生滅賊(七回生き返って朝敵を滅ぼす)は正成が残した言葉だ。
高村光太郎が敗戦後に書いた「楠公銅像」という詩がある。楠木像の木型を天皇にご覧に入れたとき、劔(つるぎ)の楔(くさび)を一本打ち忘れたため、風が吹くたび劔が揺れた。「もしそれが落ちたら切腹と父は決心していたとあとできいた」「父は命をささげていたのだ。人知れず私はあとで涙を流した」この詩は父光雲の忠義を賛美しているのではない。それに感動した自分を深く反省しているのだ。
光太郎は「典型」という詩で自らを「三代を貫く特殊国の特殊の倫理に鍛えられ」た「愚劣の典型」と呼んだ。楠木正成に象徴される忠君愛国の倫理を捨て、その倫理に染まっていた愚劣な自己と決別したのである。私たちは光太郎の精神的転回を追体験すべきだ。楠木正成の亡霊を呼び起こしてはならない。」
どの文章も迫力に満ちた、一読に値する文章だと思いました。