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エドワード・ヤン監督『恐怖分子』その1

2018-08-21 03:42:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、エドワード・ヤン監督・共同脚本の’86年作品『恐怖分子』を見ました。
 夜の街。朝を迎えると、一眼レフのカメラを持ち外出する青年。
 出勤する立中(リーチョン)。その妻の郁芬は小説を最初から書き直したいと言う。
路上に倒れている男。銃声。駆けつけるパトカー。「小さな賭場があったらしい」と警官。
 「サツだ」と逃げるカップル。2階から飛び降りたところを逮捕される男。娘は脚を引きずりながら逃げるが、横断歩道の上に倒れ込む。そこまでの一部始終を写真に撮る青年。(中略)
小説を最初から書き始める郁芬。
 「病理検査課は集まってください」という院内放送。立中らが集まると、「課長が心臓病で急死したらしい」と噂話がされている。
 部長に会った立中は課長の事後処理は自分に任せてほしいと言い、次期の課長は自分の親友でありながら入札汚職を起こした小合(シャオチン)ではなく自分にさせて下さいと言う。
 足を折った娘は気が付くと、足にギブスがしてあるのに気づく。そこへ見舞いにやってきた母は「あんな奴らと付き合って。このバカ娘が」と言って、雑誌で何回も娘の頭を殴る。
 昔から馴染の沈(シェン)は郁芬と会い、彼女が変わったと言うと、郁芬は「俗っぽくなったでしょう」と返す。沈が「うちで働かない?」と言うと、郁芬は「もう何年も働いていない」と言い、「その何年かの間にこの本一冊しか出せなかった」と言って本を沈に見せる。
 執筆の合い間にタバコを吸っていた郁芬は、夫が帰宅する音を聞くと、あわててタバコの火を消し、灰皿を机の引き出しの中に隠す。郁芬は「沈が離婚して、友人とも別れて独立した」と話し、今日会ったら「仕事を手伝わないか。有能な人が家にいるのはよくない」と言われたと言うと、立中は「もう一度勤めてもいいかも。人に頼りにされるのもいいぞ」と答え、「自分も課長に昇進するかもしれない」と言う。
 娘は母によって部屋の中に軟禁されている。電話で仲間の男に様子を聞くと、「逃げられたのはお前だけで、仲間たちはチリヂリバラバラの状態だ」と知らせる。(中略)
 カメラマンの青年と同棲している女性は、部屋の中で暴れ出し、壁に青年が貼った写真らもメチャメチャにするが、気が付くとカメラの青年は姿を消している。(中略)
 郁芬「どうしたらいいの? 最初は少しばかりの文才を頼りに学生時代の出来事や友人のことを書けたけど、だんだん書くこともなくなり、感性も失った。今は夫婦の話ばかり」沈「君の文章の中には君がいる。昔の君が。僕達ももう一度やり直そう。ずっと君のことを思ってた」。
 ベッドに横たわる二人。郁芬「何を考えてるの?」沈「何も。立中は僕達の昔のことを知っているのか?」「いいえ、何も聞かないわ」「信用してるんだね」「いいえ、信用じゃなくて無関心ってこと(中略)」
 小金「くそっ、こんなとこ辞めてやる。疑いやがって。小薛(シャオジュエ)の仕業だな」と言って帰っていく。
 長椅子で寝ていた立中が電灯をつけると、郁芬がタバコを吸っている。「苦労して止めたのに」と立中が言うと、郁芬は泣き出し、立中は彼女を抱きしめて慰める。
 カメラの青年に仲間「兵役はどうした? 皆探してるぞ。ガールフレンドも。親父も人を寄越した」。(中略)
 立中が帰宅すると無人で、書斎が荒れ放題になっている。
 沈の会社に連絡すると「2,3日休暇を取っている」と言われる。
 立中は警察を訪ね、妻が行方不明になっていることを訴えると、警部は探すのを手伝ってくれる。
 編集部には誰もいなかったが、警察に戻ると「奥さんから連絡があった。1人で書きたいと言っていた」と言われる。「妻は子供を欲しがってたが、流産し、最近は神経質になっていた」と話す立中。(中略)
 新しく借りた部屋の窓に黒い紙を貼って暗室にしていくカメラマンの青年。赤い電灯が灯る。
 立中が帰宅すると、妻がいる。「帰ったか。なぜ黙って?」「原稿は間に合った」「書斎を片付けよう」「今日は本を取りに来ただけ。家を出たい。部屋ももう見つけてある。今晩出ていく。私に必要なのは環境の変化。勤めも始めた。もう書かない。文才はなかった」「それならなぜ前の勤めを辞めた? 君の言う通りにしてきた。何か言ってくれ。黙ってないで。結婚した時、書くのは止めると約束したろ?」「あの時子供を産もうとしなければ、もっと早くこうなってた。勤めるのが嫌だったの。そして流産を忘れるために小説に没頭した。あなたはまだ分かってない。私を責めるばかりで。あなたには悪いけど、私の欲しい生活が結婚によって新しく始まると思ってた。小説を書けば新しく始まると期待してた。別れるのも新しく始めるため。言ってもムダよね。どうせあなたは単調な日常にしか関心がない。私はそうしたことから逃げたい。それが最大の違い」(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。


三崎亜記『チェーン・ピープル』その2

2018-08-20 05:44:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、エドワード・ヤン監督・脚本の’00年作品『ヤンヤン 夏の想い出』を久しぶりに再見しました。前回見たときには途中までしか見られませんでしたが、今回は最後まで見ることができました。すべてのショットがフルショットと超ロングショットからできている稀有な映画で、ワンシーン・ワンカットのシーンも多く見られました。
 また、YouTubeで、エドワード・ヤン監督の遺作であるアニメーション『追風』の9分間分を見ました。すべてロングショットのワンシーン・ワンカットで、夜灯篭を下げて歩く少年、少女を忍者2人が屋根や木を伝って尾行し、最後は乱闘シーンで終わるというものでした。

 さて、昨日の続きです。
 (中略)ちょうどその頃、国土保全省の取りまとめた「災害白書」によって、「敵」と「正義の味方」による被害の実態が明らかにされた。(中略)「敵」が単独で暴れてるよりも、「正義の味方」が戦うことによる被害の方が大きいことが金額面で明らかにされ、批判の矛先を「正義の味方」に向けることにお墨付きが与えられた恰好だ。(中略)
 動物保護団体も声を上げ始めた。我々が「敵」と見なしている生物は、実は「敵」などではなく、保護するべき存在なのではないか、と主張しだしたのだ。(中略)
 (中略)彼自身が「正義」であるとするならば、まずは「敵」に対して攻撃ありきではなく、何らかの形で侵攻を止めるように説得をするべきではないのかという意見が多数を占めた。(中略)
 (中略)動物保護団体のうちの過激な一派は、「正義の味方」を凶悪な暴力主義者と断定し、「護るべき無垢なる存在」に対する攻撃をやめさせるべく、実力行使に打って出た。統計的に「敵」が出現しやすい場所に陣取り、「正義の味方」が現れるよりも一足先に、「敵」の前に飛び出して、人間のの壁として立ち塞がったのだ。だが、そこは意思の疎通のできない相手だ。「敵」は、護ろうとした彼らを、何の躊躇も見せずに踏みつぶしてしまった。慌てて逃げ出した残党たちを救ったのは、他ならぬ「正義の味方」だった。(中略)結果的に「正義の味方」に助けられた生き残りの一派は、神妙に変節を遂げるかと思いきや、予想外の反応を見せた。━凶悪なる暴力主義者は、我々の「護るべき無垢なる存在」への恐怖感を煽り、更に彼に対する敵愾心を消失させるために、敢えて数名の犠牲者が出るまで時間稼ぎをし、私たちを生き延びさせたのだ! そうして、いいように弄ばれたことによる「精神的苦痛」を訴え、彼らは「正義の味方」を相手取って裁判を起こした。(中略)もちろん「正義の味方」が裁判に出廷するはずもなく、被告人不在のまま、彼の敗訴が確定した。偶然か必然か、有罪が確定したその日を限りに、彼はこの星に姿を見せることはなくなった。(中略)人々は彼の不在を、「敗走」と見なした。報道各社は競い合うようにして、「臆病者」「卑怯者」というレッテル貼りを行い、もはや彼を擁護する者も、顧みる者も、誰もいなくなった。それからもう、四十年の月日が経ったのだ。
 (中略)今も、「敵」は出現し続けている。だがこの国の人間は、良くも悪くも災害慣れしてしまっている。(中略)彼の活動の意義は、「正義の味方」として「敵」を倒したことにはない。敵の存在、活動、そして「帰星」が、我々の抱える多くの矛盾や欺瞞を浮き彫りにした点にこそ、その意義はあったと言えるのではないだろうか。
 (中略)相変わらず、私にとって彼はヒーローであり、戦い続ける孤高の姿が色褪せることはない。だが、そこで相手は「敵」ではない。彼が立ち向かうのは、我々の無関心であり、忘却であり、流されやすい心である。(後略)

 この後、①亡くなった家族が、今も生きているとした場合②自分が今とは違う職業や、人生の選択をした場合③存在しなかった家族が、「いる」とした場合に書かれる自叙伝について書かれた、『似叙伝 ━人の願いの境界線━』、個性をチェーン店化して生きている人々のことについて書かれた『チェーン・ピープル ━画一化された「個性」━』、口述によって代々受け継がれてきた、ありもしない地図にまつわる話を書いた『ナナツコツ ━記憶の地図の行方━』、被り物をかぶらずにゆるキャラを演じている“ぬまっチについて書かれた”『ぬまっチ━裸の道化師━』、過度の応援をすることで、応援されている側を傷つける行為が描かれている『応援━「頑張れ!」の呪縛━』と続きます。

 いつもは面白いので一気に読んでしまえる三崎さんの本ですが、今回は読み終わるのに2週間もかかってしまいました。これまでの三崎さんの本は神奈川県の厚木中央図書館がすべて買っておいてくれたのですが、今回の本は買ってくれず、自分で買って読むしかなかったことも、そういったことと何か関係しているのでしょうか? 三崎さんの次回作に期待したいと思います

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P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤達夫先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」(mハイフンgoto@ceres.dti.ne.jp)です。よろしくお願いいたします。

三崎亜記『チェーン・ピープル』その1

2018-08-19 06:56:00 | ノンジャンル
 三崎亜記さんの’17年作品『チェーン・ピープル』を読みました。6編の短編からなる本です。
『正義の味方 ━塗り替えられた「像」━』
 岬の突端にある小さな公園に、その像は立っていた。「ねえ、おとうさん。これってなぁに?」五歳くらいの男の子が、しぼみかけた浮き輪を抱えて、像に駆け寄ってくる。(中略)左手を腰にあて、右手を高く天に突き出して仁王立ちする銅像の姿を、父親は改めて見上げた。(中略)顎に手をやったまま、時を経て読みづらくなった銘板に顔を寄せる。「なになに、え~っと、正義…の? 味…方、の像。正義の味方の像って書いてあるんだよ」「せいぎのみかたって、なぁに?」「息子の質問に、父親はすぐには答えられずにいた。「遠い星から来て、この国を『敵』から守るために戦ってくれた、とっても偉い人なんだって」「ふ~ん」(中略)男の子は早々と像への興味を失い、砂場でお城をつくるのに熱中しだしている。(中略)この岬は、「彼」が初めて、私たちの前に姿を現した、記念すべき場所であるにもかかわらず…。
 いわゆる「正義の味方」が、「彼(性別はきちんと定義付けされていないので、便宜的にそう呼ぶ)」の故郷であると言われている「遥か彼方の星雲」へと帰ってしまって、もう四十年以上の月日が経つ。四十年前、まだ少年だった私にとって、「正義の味方」とは文字通りヒーローだった。父親の見るニュースの冒頭で流れる華々しく戦う姿を、わくわくしながら見守ったものだ。だが次第に、「正義の味方」関連ニュースは、「補償」や「国防」や「裁判」などの、子どもには難しい話題で取り上げられることが多くなり、いつしか興味を失ってしまっていた。(中略)私は、さまざまな立場から言及された当時の記録を辿ることによって、彼の本来の「像」を明確にしていきたいと思う。彼が敵と戦い続けた日々を……。
 その当時、この国は「敵」の出現に悩まされていた。(中略)「敵」の最初の襲来から二週間も経ってから開かれた「未確認生物襲来被害検討会議」の場では、「敵」の正体について、四つの可能性が示された。(中略)①既知の生物が、何らかの条件によって巨大化、変形したもの ②未知の巨大生物 ③周辺他国によって送り込まれた生物兵器、もしくは機械兵器 ④他の星から飛来した未知の生命体(中略)①や②であれば、野生生物の保護を司る国際条約の禁止条項に触れる可能性があり、③であれば、思わぬ反撃が来た際の迎撃用の武器の使用を国会で審議する必要があった。④の場合は更に、攻撃することによって未知の物質や病原菌が市街地に拡散するであろうことも視野に入れておかなければならない。(中略)人々は、「敵」という嵐の襲来を前にして、台風のような「予想進路」も示されないまま、漫然と怯え、逃げ惑うしか術がなかった。そうして無為無策のまま「見守る」うちにも、「敵」は何度となく上陸し、思うさま破壊の限りを尽くしていったのだ。
 (中略)そんな時に、まさに彗星のように現れたのが、「彼」=「正義の味方」だったのだ。(中略)
 その後も何度となく、「敵」は出現した。だがいずれの場合も、住宅地に被害が及ぶ寸前で「彼」が出現し、人的被害を水際で食い止めてくれた。(中略)
 こうして、「敵」の侵攻は、「正義の味方」によって妨げられ、建物や人への被害は激減した。だが、それが何度となく繰り返されるようになると、さすがに、喜び一辺倒ではない反応も表れてくる。疑問視されたのは、彼の出現が、あまりにもタイミングが良過ぎるのではないかという点だ。(中略)そうなると、高揚したムードによって包み隠されてきたさまざまな疑問が、一気に噴出してきた。なぜ、「敵」はこの国ばかりやって来るのか? なぜ、「正義の味方」は、住民に被害が及ぶ直前まで手出しをしようとせず、姿を現さないのか? なぜ、「正義の味方」本人には何の利益もないであろう、「敵」の侵攻阻止に、自らの危険も顧みず、心血を注ぐのか?(中略)プロレスリングの世界で、さまざまなスターを生み出してきた陰の盾役者、黒田豪拳氏の著作『スターの条件』は、「正義の味方」の一連の立ち振る舞いに、ショーとしての視点から光をあてた、エポックメーキングな一冊だった。(中略)彼は著作の中で「正義の味方」を、「三分間のパフォーマー」と呼んだ。その影響もあって、以後、「正義の味方」がこの星で活躍できるのはたったの三分間で、一秒でも過ぎると死んでしまうという誤解が定着してしまった。(明日へ続きます……)

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サム・ペキンパー監督『わらの犬』

2018-08-18 05:39:00 | ノンジャンル
 WOWOWシネマで、サム・ペキンバー監督、共同脚本の’71年作品『わらの犬』を見ました。
 不安をかきたてる音楽。教会の鐘の音。遊ぶ子供たちを俯瞰からズームアップ。下着を着ていないと分かるセーター姿のエイミー(スーザン・ジョージ)が、大きな道具を運んでいる男女1組と一緒に、あやしく微笑みながら現れる。好色そうな目つきで、それを追うチャーリー。買い物の箱を運ぶデイヴィット(ダスティン・ホフマン)「それは?」「あなたに。罠よ」「昔密猟者を捕まえてたものだな」チャーリー「ハロー、エイミー」「ハロー、チャーリー」(中略)「俺を覚えてたのか?」「あれから何年かしら?」「6年になる」「こっちは友人のチャーリー・バナー。こっちは主人のデイヴィッド・サムナーよ」。握手する2人。チャーリー「近くで仕事を?」(中略)エイミー「数学者なの」(中略)「算数の先生か」「天体関係の本を書いてるの。コンピュータで分析して。(中略)(デイヴィッドに)チャーリーに車庫の仕事、頼んだら?」「そうだな」「ノーマンは仕事が遅いだろ?(中略)俺と従兄弟でやればすぐだ」「手間賃は?」「まあ、相場だな」「そうか。家は…」「農場の裏だろ? 明日行くよ」「ああ、頼む」「デイヴィッド、どこへ行くの?」「タバコを買いに」。
 パブ。デイヴィットが入ると、カウンターの老年の男がじろりと見る。デイヴィッドのスニーカーを履いた足。「アメリカ製のタバコを2箱ほしい」店主「閉店だ。自分のグラスを戻してくれ」
 パブから外を見ると、杖を握った男、バスケットボールを子供に投げる。パブの男「ヘンリーだ。とっくに施設に入れたかと」。
 チャーリー「村の人間の面倒は俺たちが見る」。罠を運んできた娘とヘンリー、バスケットボールを投げ合う。チャーリー、エイミーの肩に手を回して「君の面倒も見た」「よしてよ。忘れたの?」「忘れるもんか。本当は俺が欲しかったんだろ?」「手をどけて」。
 外の様子を窓越しに見るデイヴィッド。老年の男「もう一杯飲ませろ」店主がグラスを手で押さえると、老年の男はその手を握り返し、グラスを割る。他の客、店主に「すまんな、ハリー。叔父貴にも困ったもんだ」「お詫びにアメリカの旦那のタバコ代は俺が払う」「いや、そんな」「いいじゃないか。車庫の整備は進んでいるか?」「はい」「コップも弁償する。傷に効く絆創膏代も払ってやるぜ。だからもう一杯だけ注いでくれ」店主「閉店だよ」「帰ろう」「閉店だと? ふざけるな!」。暴れ出す老年の男。店を破壊し、強引に飲むと「気が済んだろ? もう帰れ」「そうしますぜ、判事殿。だが俺は俺だ! 勘定は!」「1ポンド」「1ポンドだと? 50ペンスだ。どうだい、少佐?」「いいから帰れ。また面倒を起こす前にな」。引き上げる客たち。「ごちそんさん、ハリー、またな」。
老年の男「アメリカの若造め」。……

その後、エイミーはデイヴィッドが日中は研究に熱中して相手にされず、欲求不満に陥り、やけを起こして村の若者たちを挑発する。
 そしてある日、強姦魔のヘンリーがエイミーを犯すと、鼠駆除としてデイヴィッドに雇われていた男がヘンリーに銃口を向け、今度は自分がエイミーを犯す。何も知ろうとしないデイヴィッドは、自分たちが誘われた教会での歓迎会と、そののちに行われた歓迎パーティにエイミーと参加するが、エイミーは強姦された時のフラッシュバックに苦しみ、デイヴィッドとともに退席する。
 パーティのさなか、エイミーを犯した男ヘンリーは、老年の男トムの娘に誘われて、林の中へ向かう。自分の娘がヘンリーとともにいなくなったことに気付いたトムは、他の者とともに2人を探すが、ヘンリーはトムの娘に誘われるままにキスし、その時点で自分たちを探す声が聞こえてきたので、声を出さないようにトムの娘の口を押さえると、気づいた時にはトムの娘は息絶えていた。逃げ出すヘンリー。
 帰宅途中のデイヴィッドの車は靄(もや)の中、ヘンリーにぶつかってしまう。エイミーの反対を聞き入れず、自分の家にヘンリーを迎え入れるデイヴィット。彼は警察に電話するが、しばらくすると、武装したトムらがやって来て、ヘンリーを渡せと迫る。警察に渡すと言い張るデイヴィッド。彼らにヘンリーを渡してくれと頼み込むエイミー。トムらは駆け付けた少佐を射殺してしまい、それからタガが外れたように室内への侵入を試みる。デイヴィッドは訳も分からず、エイミーに2階に行っているように命じ、油をたぎらせ、窓から侵入する者にかけたりして、侵入を防ぐが、最後にはチャーリーとの決斗の場になる。もみ合う2人に対し、銃口を向けるエイミー。結局、エイミーはチャーリーを射殺すると、デイヴィッドはヘンリーとともにどこへともなく車を発車させるのだった。

これほどイヤ~な感じの映画も珍しい、肌にヒリヒリするような映画でした。

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P.S. 今から約30年前、東京都江東区で最寄りの駅が東陽町だった「早友」東陽町教室の教室長、および木場駅が最寄りの駅だった「清新塾」のやはり教室長だった伊藤先生、また、当時かわいかった生徒の皆さん、これを見たら是非下記までお知らせください。黒山さん福長さんと私が、首を長くして待っています。(また伊藤先生の情報をお持ちの方も是非お知らせください。連絡先は「m-goto@ceres.dti.ne.jp」です。よろしくお願いいたします。

斎藤美奈子さんのコラム・その24 & 山口二郎さんのコラム・その9

2018-08-17 05:45:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラム。
 まず8月8日に掲載された「今年の受賞作」と題されたコラム。全文を転載させていただくと、
「今期の芥川賞・直木賞受賞作はともに暴力がからんだ作品だった。
 芥川賞を受賞した高橋弘希『送り火』の舞台は青森県の津軽地方。転校生の視点から、中学校に代々伝承されている遊びを装った『いじめ』を描いている。(中略)少年のそんな一言で始める『彼岸様』とは失神寸前まで縄跳びの縄で首を絞める遊びだったりするのである。
 一方、直木賞を受賞した島本理生『ファーストラヴ』は女性臨床心理士の目を通して、ある事件の背景を描いた作品だ。アナウンサー志望の女子大生が面接の帰りに父親を殺害した事件である。調べていくうち、彼女は気づく。女子大生は少女時代に自分でもそうとは気づかぬ、ひどい性的虐待を受けていた。
 作家は特に時代を意識してはいないだろうし、賞の選考委員も同じだろう。ただ、数十年の単位で見ると、受賞作にはやはりその時代時代のカラーが反映されている。
 ってことは、いまは暴力の時代? というより暴力がやっと意識化されはじめた時代なんじゃないかと思う。(中略)今日の暴力は単純な殴る蹴るではない。だから厄介なのである。」

 また、8月15日に掲載された「タイムスリップ小説」と題されたコラム。
「タイムスリップは小説の常套手段だけど、行き先が戦時中だったら?
 荻原浩『僕たちの戦争』(2004)の主人公・尾島健太は十九歳のフリーター。サーフィンの最中に大波にのまれ、気がつくとそこは昭和19年9月12日の茨城だった。彼は霞ケ浦航空隊の飛行術練習生・石川吾一と入れ替わって2001年9月に飛んだ吾一は、摩天楼に飛行機が突入する映像を見て特攻隊の活躍が始まったと思いこむ。
 藤岡陽子『晴れたらいいね』(2015)の主人公・高橋紗穂は24歳の看護師。彼女がタイムスリップした先は、昭和19年8月15日のマニラだった。そこは野戦病院。紗穂は日赤の従軍看護婦になっていた。
 山田太一『終りに見た街』(1981)の一家の場合は、朝起きると昭和19年6月になっていた。子ども時代に戦争を体験している47歳の『私』はせめてこの時代には染まるまいと抵抗するが、徐々に無力感にさいなまれていく。
 翌年の8月15日になれば戦争は終わる。その1点を頼りに、彼らはその日まで生き延びよう、周囲の人も助けようと考える。だが敗戦の日付など、渦中の人々の前では何の役にも立たないことを彼らは知る。『今日で終わり。ご苦労さん』とはならなかった日。戦争はゲームとはちがうんです。」

また、8月12日の日曜日に掲載された、「学生の貧困」と題された、山口二郎さんのコラム。
「前期の政治学の期末試験に、『あなたが今抱えている問題で、個人や家族の力で解決できないものをあげて、それを解決するための戦略を考えなさい』という問題を事前に公開し、準備させた。すると『年収百三万円の壁』を挙げた学生が十人くらいいた。
 百三万円の壁とは、パート主婦の収入が百三万円を超えれば所得税を課税されるようになり、夫の扶養家族の地位を失うので、かえって不利益になるという話である。私は、この話は主婦のパートに関するものと思い込んでいたのだが、学生のアルバイトにも当てはまることを知って、愕然とした。格差や貧困という問題が若者の中に広がっていることは知っているつもりだったが、若者の苦労の度合いを再認識させられた。
 学生は、遊興費ではなく、生活費や学費を稼ぐために働いているのである。一年に百万円稼ごうと思えば、およそ千時間働くことを意味する。そうなると、勉強時間を十分に確保できないだろう。切ないというか、いたたまれない思いである。
 この数年、文科省は大学教育の中身を充実させろと強調してきた。教師としては異論はない。それにしても、学生に勉学に専念できる環境を整えなければ、教育の充実は空念仏に終わる。給付型奨学金制度の拡大など、政策の展開が急務である。」

 ハラスメントとしての暴力、戦後まで続いたひどい民衆の心の傷、学生の貧困と、どの文章もとても勉強になりました。2番目の斎藤さんの文章については、安倍首相は2020年に憲法9条を改悪し、自衛隊を戦争のできる軍隊にしようと考えています。そのためには、今年の秋に行なわれる臨時国会で与党による発議がなされなければなりません。公明党は今のところ、9条の改悪に慎重な姿勢を崩しておらず、野党もオールジャパンで、市民運動と連携し(というか市民グループが自主的に始めたことですが)「安倍首相9条改悪を阻止する3000万人署名」を実施しています。まだ署名をしていない方は、地元の9条の会を検索し、電話すれば署名用紙を持ってきてくれると思いますので、是非署名されることをおススメします。

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