gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

三崎亜記『私』

2016-09-26 07:44:00 | ノンジャンル
 ‘12年に刊行された『短篇ベストコレクション 現代の小説2012』に収録された、三崎亜記さんの作品『私』を読みました。
 昨日、市内の未納者あてに督促状を発送した。そろそろ問い合わせの電話がかかって来るはずだ。午後一番の市民対応は、電話ではなく、来庁した若い女性だった。彼女がバッグから取り出したのは、昨日発送したばかりの督促状だった。「どうも、私宛ではないような気がするのですが……」「失礼ですが、何か身分証明書をお持ちでしたら、確認させていただいてよろしいでしょうか?」女性はバッグから免許証と保険証とパスポートを取り出した。住所も名前も一致していた。「大変申し訳ないのですが、私には、ご住所やお名前に、間違いを発見することができないのですが……」「はい、間違いはありません」彼女は、私が「当惑」するなどとは考えてもいないかのように、何らかの「対応」を待つそぶりだ。「少々お待ちいただけますか。調べてみますので」私は彼女を待たせて自席に戻り、情報管理課の内線電話で確認する。「ああ、ちょっと確認してほしいんだけど、住民番号KO-137965のデータなんだけど、最近何か変更を加えたりした記録があるかい?」「入力内容の変更は無いよ。ただ、先週データ更新をした際に、間違って二重登録した市民データが二百件ほどあってね。エラーになったから、手作業でデータの一方を消去したんだ。KO-137965も、その対象だったんだよ」「わかった、ありがとう」私は電話を切って、カウンターに戻り、心配顔で待っていた女性に、事情を説明した。「つまり、二つあった私のデータの、一つを消したということですね」「……ええ、そうなります」「消されたのは、私のデータなのです」「確かに、あなたの情報は消去されました。ですがそれは、二つ存在したまったく同じ情報のうちの一つなのです。どちらが消されても、残った情報はあなた自身のものですよ」「経験していない人には、わからないでしょうね」督促状に印字された名前に、彼女は敵意のこもった視線を落とす。危険な兆候だ。「字面が一緒というだけで、ここに記されているのは『私』の名前ではないんです……」「わかりました。それでは、どういった解決策が取れるかを、一緒に考えてみましょう」「その、消してしまったデータというのが、本当の私の名前なんです。お願いします。消去したデータの方を復元してもらえますか」「なるほど、おっしゃる通りです。それでは、少々お待ちいただけますか」私は再び自席へ取って返し、情報管理課に内線電話をかけた。「何度もすまない。さっきの件だけど、二重になって削除したデータの方も、作業履歴の中にはまだ蓄積されてるはずだよな?」「ああ」「すまないが、そちらのデータを復元して、今のデータを削除してもらえないだろうか」「え? ……ああ、まあ、いいけどな。よし、こちらの住民データは置き換えたぞ。そちらの個別システムの情報を更新しろ。それでデータは置き換わるから」「ああ、ありがとう」私は電話を切り、「お待たせして申し訳ありません」と女性に断りながら、個別システムの住民データを更新した。画面上には、先程までとは置き換えられた……、だが、内容的には何ら変わりはない、彼女の督促データが表示された。「こちらでいかがでしょうか」「ああ! 確かに私の名前です!」彼女が立ち去ってから、私はフロアの片隅のシュレッダーに向かった。それにしても住民データと個人が、これほど密接に結びついているとは、思ってもみなかった。考えてみれば、私が「私」であるということを証明できるのは、こうして役所にデータがあるからこそだ。もしかしたら、それらすべてのデータが無くなってしまったら、「私」という存在そのものも消えてしまうのではないだろうか?
 当初の業務予定の通りに午後の業務を終えた私は、五時半に庁舎を出て、帰り途に図書館に立ち寄った。貸出は一人十冊までだ。まだ読み切れていない本が家に三冊あるので、七冊までなら借りることができる。二十分ほど見てまわり、五冊の本を手に、カウンターに向かった。「既に六冊借りられていますので、本日は四冊までしか貸し出すことはできません」「一週間前に、三冊しか借りていないはずですが」「それでは、二重になっているようですね」「ああ、貸出データが二重になっているんですね。それでは、そのデータを正して、貸出ができるようにしてもらえますか」「いえ、二重になっているのは、データではなく、あなた自身です」……。

 いつもの三崎作品同様、不思議な味わいのある作品でした。なお、上記以降のあらすじに関しましては、私のサイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)の「Favorite Novels」の「三崎亜記」のところにアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。