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『ミシェル・ルグラン自伝 ビトゥイーン・イエスタデイ・アンド・トゥモーロウ』その3

2016-09-21 06:04:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
・「カネッティは私に大量の仕事をさせたが、専属契約を押しつけることはなかった。そのため、私は他のレコード会社と単発の仕事をすることができた」
・「1955年の暮れ、大きな雷鳴が轟いた。偉大なるモーリス・シュヴァリエがフィリップスに加わったのだ」
・「シュバリエのおかげで、私は初めて大規模な舞台に出演する経験をした」
・「『あなたと会ったのはアルハンブラ/その夜はミシェル・ルグランが演奏していた/劇場全体が喜びに震えていた』という歌詞を書いたのはボリス・ヴィアンだった」
・「私がニューヨークと恋に落ちるには五日あれば充分だった」
・「率直なところ、私にはロックのハーモニーもリズムも眩暈がするほど貧弱で単純なものに思えた」
・「シャンソン研究家たちが〈自分で始末しろ〉をフローベールかマラルメの文学作品でもあるかのように分析しているのを見て、友人のボリス・ヴィアンなら天国で大笑いしていることだろう。私たちが知り合ったのは1953年から54年にかけてだったが、彼の白熱の個性は衝撃的だった」
・「ボリスが亡くなったその日に、若い映画作家がナントで初めての長編映画の撮影を開始していた。彼の名はジャック・ドゥミ。一人の兄弟が逝ったばかりだったが、もう一人の兄弟が生まれようとしていた。しかし私はまだ彼を知らなかった」
・「フィリップスでの仕事をはじめて五年が経った頃から、内心では、ただノウハウにもとづくだけの楽な編曲で食べているような気がしてきた」
・「1958年、それが私のターニング・ポイントだった。すなわち、最初のジャズのソロ・アルバム『ルグラン・ジャズ Legrand jazz』を録音した年。それはまた、最初の妻クリスティーヌと結婚した年でもあった。そしてなによりも、フランソワ・レシャンバック監督の映画『アメリカの裏窓 L’Amerique insolite』の音楽を作曲した年となった。その楽譜は、台頭しつつあった世代の映画作家たちの好奇心を刺激した。フランス映画の新しい波“ヌーヴェル・ヴァーグ”が来襲しようとしていた。私も職業上の新しい飛躍をとげる必要があった、そうしなければ生きていけなかった。この場合は、映像のための音楽への転身だった。唐突に私はカネッティに、フィリップスのための粗製乱造の編曲はやらないと告げた」
・「ジャズはまさしく私の地平線、というよりも、いくつもの地平線を広げてくれた」
・「次第に、小遣いが許すかぎり私はジャズのコンサートに出かけるようになった。(中略)そしてマイルス・デイヴィスがいた」
・「マイルスとの関係は1958年に新たな展開をみせる。『アイ・ラヴ・パリ』の驚くべき売り上げのご褒美に、フィリップスとコロンビアは私にすばらしいプレゼントをくれることになった。私の夢であった録音の予算を組んでくれたのだ。(中略)アルバムの構想を立てるにはボリス・ヴィアンの参加が不可欠だった」
・「マイルスはスターのなかのスターだった。彼の条件に従わないわけにはいかなかった」
・「『ルグラン・ジャズ』に参加したミュージシャンのなかには(中略)ビル・エヴァンスがいた。(中略)その後ほどなくして私は彼の足跡を追いかけるようになり、(中略)多くを学んだ。彼はナット・シャピロに対して私の最新の曲を定期的に送るように頼んでいた。彼がトリオでカヴァーした〈ノエルのテーマ Noell’s theme〉を発見したときには仰天した。これは私がチャールズ・ジャロット監督のメロドラマ『真夜中の向こう側 The Other Side of Midnight』のために書いた曲だ。彼はそれを簡潔に優雅に、奇蹟のように演奏していた。『彼が弾くとこんなに高尚な作品になるのか』と私は心のなかで呟いた」
・「1980年のある日、ビルのマネージャー、ヘレン・キーンからの電話を受けた。『ビルはあなたにピアノとオーケストラのためのコンチェルト風の曲を書いてほしいと言っています』このアイディアに私は飛びあがって喜び、構想を練ってみると約束した。一か月後、私は短いニューヨーク滞在の予定をたてた。到着したその日、私はポスターでビルがファット・チューズデイ・クラブで演奏しているのを知った。(中略)私はイエロー・キャブにすべり込み、二回目のセットがはじまる直前に飛びこんだ。絶対的な幸福の一時間。(中略)翌日、夜中にビルの容態が悪くなって(中略)彼の心臓はその五日後に鼓動を止めた。何も知らずに、私はビル・エヴァンスの最後の時、鍵盤に向かった最後の瞬間、最後の音楽の噴出に立ちあったのだ。数ヵ月後、ワーナーは遺作と題した究極のアルバムを発売した。そこでは『ロシュフォールの恋人たち』から〈マクサンスの歌〉のアメリカ版〈ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング You Must Believe in Spring〉を再び取りあげていた」(また明日へ続きます……)

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