うたことば歳時記

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蝦夷の水産物

2015-12-23 18:19:34 | 歴史
 デパートなどで「北海道物産展示即売会」が開かれることがあるが、歴史実物教材という視点で見ると、これがなかなか面白い。教科書に登場する水産物は、干鮭・鰊・昆布である。これらの物産を運んだのが北前船で、江戸時代から明治三十年代にかけて、日本海沿岸の港から関門海峡を経て、瀬戸内海を通って大坂に至る西廻航路を往復した。下り船は三月下旬頃に大坂を出発、寄港する港で商売をしながら日本海沿岸を北上する。蝦夷地に到着するのはだいたい五月下旬頃である。積み荷は塩・鉄・砂糖・綿・畳表・莚・紙・米・衣料品などで、特に蝦夷地の水産物を加工処理するのに不可欠の大量の塩を瀬戸内で調達した。また蝦夷地では採れない米、水産物の輸送に欠かせない莚や縄も重要な交易品であった。上り船は七月下旬頃に蝦夷地を出発し、途中同様に寄港地で商売をしながら、十一月上旬頃に大坂に到着する。下りより時間がかかるのは、対馬海流に抗して航海するからであろうか。積み荷はほとんどが水産加工品で、蝦夷地の塩鮭・干鮭・身欠き鰊・鰊や鰯の〆粕・昆布、北陸や出羽の木材・米・紅花などであった。
 魚の〆粕は、鰊や鰯を大釜で茹で、魚油を絞った残り粕を乾燥させた物で、綿花・菜種・藍・砂糖黍などの商品作物栽培の肥料となった。教科書には「干鰯」が記されているが、製法も用途もほとんど同じ物である。明治になって北前船が急速に衰えるが、これらの農産物が同種の輸入農産物に押されて栽培が激減したことが、一因となっている。
 また昆布は、越中の売薬商人によって薩摩にもたらされた。そしてさらに琉球を経て中国に運ばれ、替わりに漢方薬やその原材料が逆ルートで越中にもたらされた。富山県は現在でも昆布の消費量が日本一であり、富山県の握り飯は海苔ではなく、おぼろ昆布が巻かれている。現在も大阪では昆布の佃煮が名物であり、京料理には昆布が欠かせない。昆布は軽いので、寄港地の敦賀で降ろされ、琵琶湖の水運を利用して京都に運ばれることもあった。現在でも敦賀や小浜や京都には、昆布の加工工場が多い。昆布ではないが、商都の鰊そばや昆布を使った鯖ずしもも同じ視点で教材となる。
 昆布と鰊の組み合わせでは、すぐに思い浮かぶのが鰊の昆布巻きである。ほかに鮭や柳葉魚の昆布巻きもあるが、いずれも北海道の物産であり、鰊の昆布巻きで代表させておこう。若い世代には馴染みがないかもしれないが、正月のお節料理の定番であるから、食べたことのある生徒は多いことであろう。
 また松前漬けという北海道の郷土料理がある。細かく刻んだするめや昆布に数の子を材料にして、酒・醤油・味醂などで味をつけたものである。昭和十二年に山形屋が商品化して全国に知られたということであるが、江戸時代まで遡る物かはわからなかった。しかしここにも昆布と鰊の取り合わせがある。また「松前」という名前は見逃せない。江戸時代の蝦夷地と言っても、和人との交易が行われたのは松前藩のある道南地方ではあるが、「松前漬け」の「松前」は「北海道」「蝦夷地」を意味している。 
 以上のように、北海道の水産物の加工品やその料理には、蝦夷地の水産業・西廻り航路・アイヌとの交易など、いろいろな歴史の痕跡が隠れている。食べ物から歴史を説き起こすことができる。