うたことば歳時記

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若菜ちゃんへ

2015-12-19 21:05:48 | 学校
「ねえ先生、聞いて聞いて」。「若菜ちゃん、どうしたの、そんなに悲しそうな顔して」。「あのね、今日、私の名前のことで、親と大喧嘩をしちゃったの」。「そりゃまたどうしてさ」。「若菜っていう名前、私嫌なの。だって菜っ葉っていう意味でしょ。菜っ葉じゃ嫌なの。何でこんな名前付けたのって文句言ったんだけど、親は『いい名前じゃないの』って言って、本気に考えてくれないし。私、名前かえたいな」。「そうだったのか。確かに自分が嫌いな名前が付いていると、辛いことが多いよね。実は私も自分の名前が大嫌いで、親としょっちゅう喧嘩してたよ。男の名前か女の名前か区別が付かなくてね。よく女に間違えられたんだ。男にしては変わった名前だとよく言われたよ。その度に悲しくてこっそり布団の中で泣いたものさ。今でも余り好きじゃあない。今で言うドキュンネームだったんだろうね。でもこの年になると、もう今さらどうしようもなくて、諦めている。正直なところ、子供の頃に名前で傷付いた傷跡は、まだ時々痛むんだ。親を恨む気持ちも少しは残ってるさ。病院の待合いで名前を呼ばれると、恥ずかしくてすぐには立ち上がれないことが今でもあるよ。本当に悲しいことなんだ。でもね、それは私の名前のことで、若菜ちゃんの名前はそんなことないよ。菜っ葉の菜が嫌だって言うけどね。確かに菜っ葉ではあるけど、それが素晴らしい菜っ葉なんだ。菜っ葉の、と言うか、若菜の本当の意味がわかったら、嫌いじゃなくなるよ。あのね、『万葉集』の中に、当時の人が若菜を摘む歌がたくさん残っているんだ。平安時代の和歌にも数え切れない程あるんだよ」。「なんで菜っ葉の歌があるの」「菜っ葉じゃないよ、若菜だよ。そうだなあ、昔はまともな暖房もないから、寒い冬は嫌われてね、みんな早く暖かい春にならないかな、と待ち焦がれていたんだ。それでね、春になると、つまり立春を過ぎる頃、みんなで野原に出て、まだ大きく成りきっていない若草の葉を摘み取って、人に贈ったり自分で食べたりしたんだ。ほら、今でも七草って言って、若菜を摘んでおかゆに入れて食べるでしょ。昔はね、平均寿命が短いから、長生きすることはお目出度いことだった。それでね、若菜や若草には若々しい生命力が籠もっていると信じてね、それを食べると長生きするって信じられていた。だから愛する人にわざわざ自分で摘んできた若菜を贈って、あなたが長生きしますようにっていう歌を添えて贈る習慣があったのさ。ほら、百人一首で『君がため 春の野に出だて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ』っていううたがあるの知ってるだろう。ちょっと態とっぽいんだけど、雪の中であなたのために濡れながら摘みましたって言って、押しつけがましいんだけど、そうやって苦労したんだよっていう歌をわざわざよむことが習慣だったのさ。まあ難しいことはどうでもいいけど、ともかく若菜っていうのはね、昔の人にとっては新しい瑞々しい命が宿っている素晴らしい物だったんだ。何も恥ずかしがることじゃあない。女の子らしい名前だし、最近の女の子の名前では、菜の字が付く名前って、とっても多いんだって。耳に聞こえる音も可愛いし、意味も素晴らしいし、女の子の名前として普通にある名前だし、いわゆるドキュンネームじゃないし、いいと思うよ。まあ菜っ葉ちゃんじゃあちっと可哀相だけど、若菜ちゃんなら絶対に可愛い女の子らしい名前だよ。菜っ葉の菜っていうからおかしなことになるのさ。若菜っていう名前に自信を持っていいよ。ああそれからついでに言っておくけど、あなたがお母さんになる時、自分で名前で苦労したから、しっかり考えてつけてあげるんだよ。やっぱりドキュンやキラキラは止めた方がいい。親の自己満足さ。音の響きが良くて、意味が素晴らしくて、日本人らしくて、それにあまり画数が多すぎなくて、目立ちすぎない名前がいいと思うよ。私はとても苦労したからね。何度いじめられて泣いたことか、数知れなかったから。」