クリスマスが近づいてきます。しかしキリスト教徒のはしくれである私は、次第に憂鬱になってくるのです。日本中がキリスト教国になったような馬鹿騒ぎで盛り上がり、その心に触れようとする人が極めて少ないからです。サンタクロース、ケーキ、パーティー、プレゼント、ディナー、セール、等々、クリスマスにこと寄せて、狂騒の12月後半が過ぎて行きます。それが悪いとまでは言いませんが、主(あるじ)のいないクリスマスにふと虚しさをおぼえるのです。
また前日の24日をクリスマス・イヴと称して、クリスマス当日よりも大騒ぎをします。否、それどころか25日にはもうクリスマス関連の行事の大半は終了してしまい、残りの一週間は正月を迎える準備一色に染まってしまうのです。イエス・キリストは何所においでになるのでしょうか。
そもそもクリスマスとは、「キリストのミサ」に由来する言葉で、「キリストにささげられたミサ」、つまりキリストの誕生を祝ってささげられた礼拝を意味しています。ですから降誕を記念する祭日ではあっても、イエスの誕生日というわけではありません。第一、新約聖書にはイエスが生まれた時季や日について、一切記されていないのです。
12月25日にイエスの誕生を祝う祭が行われるようになったのは、確実な史料によれば、遅くとも西暦345年にローマの教会で始まったとされています。実際の降誕から約300年も後の話です。12月25日という日付については、ローマ帝国で盛行していたミトラ教の冬至祭に由来すると考えられています。ミトラ教とは、太陽神ミトラを主神とする宗教で、ヘレニズムの文化交流によってインドやペルシャからローマ帝国に伝えられ、紀元前1世紀から5世紀にかけて盛行しました。まだまだよくわからないことが多いのですが、ミトラ教には冬至の頃に太陽の復活を祝う習慣がありました。冬至は太陽が最も弱くなるように見えますが、しかしこの日を境にして太陽は生まれ変わり、再び力を回復します。ミトラ教では、12月25日に「絶対不敗の太陽の誕生日」を祝う祭が行われていたのです。
一方、旧約聖書の最後の巻であるマラキ書4章には、メシア(ヘブライ語でキリストに相当する言葉)が「義の太陽」と記されています。キリスト教が迫害されながらも次第にローマ帝国内に浸透し、西暦313年にはコンスタンティヌス大帝によって公認されるに至ると、ミトラ教は次第に衰退して行きますが、その過程で、ミトラ教の太陽神の祭がキリストを太陽に譬えるキリスト教と習合し、12月25日がイエスの降誕を祝う祭にすり替わっていったと考えられています。キリスト教徒の側で、信仰の浸透を図るために、意図的にミトラ教の祭日を利用したという可能性もあるでしょう。しかしその習合の過程で、初期のキリスト教徒の中には、ミトラ教の狂騒的な祭と混同されるのを嫌い、敢えて12月25日の祭日を祝うことを避けようとする心ある人達もいたそうです。私などはこの考えに近いと言えるでしょう。まあ家内がケーキを食べたいと言うので、一日遅れの値下げされた売れ残りを買ってくる程度のことはしますが。
生徒にクリスマスはいつかと尋ねると、12月24日という答えがかなりありました。イヴと混同しているのでしょう。そもそも「イブ」とはどういうことでしょうか。ユダヤ教やローマ帝国の暦を受け継いだ教会の暦では、日没から一日が始まると考えられていました。ですからクリスマスは24日の日没から25日の日没までであります。イヴとは、eveningと同義語の古語であるevenの末尾の音が消失したものですから、クリスマス・イヴを強いて訳せばクリスマスの夕べという意味になります。一般に理解されているようなクリスマスの前夜祭ではないのです。
また前日の24日をクリスマス・イヴと称して、クリスマス当日よりも大騒ぎをします。否、それどころか25日にはもうクリスマス関連の行事の大半は終了してしまい、残りの一週間は正月を迎える準備一色に染まってしまうのです。イエス・キリストは何所においでになるのでしょうか。
そもそもクリスマスとは、「キリストのミサ」に由来する言葉で、「キリストにささげられたミサ」、つまりキリストの誕生を祝ってささげられた礼拝を意味しています。ですから降誕を記念する祭日ではあっても、イエスの誕生日というわけではありません。第一、新約聖書にはイエスが生まれた時季や日について、一切記されていないのです。
12月25日にイエスの誕生を祝う祭が行われるようになったのは、確実な史料によれば、遅くとも西暦345年にローマの教会で始まったとされています。実際の降誕から約300年も後の話です。12月25日という日付については、ローマ帝国で盛行していたミトラ教の冬至祭に由来すると考えられています。ミトラ教とは、太陽神ミトラを主神とする宗教で、ヘレニズムの文化交流によってインドやペルシャからローマ帝国に伝えられ、紀元前1世紀から5世紀にかけて盛行しました。まだまだよくわからないことが多いのですが、ミトラ教には冬至の頃に太陽の復活を祝う習慣がありました。冬至は太陽が最も弱くなるように見えますが、しかしこの日を境にして太陽は生まれ変わり、再び力を回復します。ミトラ教では、12月25日に「絶対不敗の太陽の誕生日」を祝う祭が行われていたのです。
一方、旧約聖書の最後の巻であるマラキ書4章には、メシア(ヘブライ語でキリストに相当する言葉)が「義の太陽」と記されています。キリスト教が迫害されながらも次第にローマ帝国内に浸透し、西暦313年にはコンスタンティヌス大帝によって公認されるに至ると、ミトラ教は次第に衰退して行きますが、その過程で、ミトラ教の太陽神の祭がキリストを太陽に譬えるキリスト教と習合し、12月25日がイエスの降誕を祝う祭にすり替わっていったと考えられています。キリスト教徒の側で、信仰の浸透を図るために、意図的にミトラ教の祭日を利用したという可能性もあるでしょう。しかしその習合の過程で、初期のキリスト教徒の中には、ミトラ教の狂騒的な祭と混同されるのを嫌い、敢えて12月25日の祭日を祝うことを避けようとする心ある人達もいたそうです。私などはこの考えに近いと言えるでしょう。まあ家内がケーキを食べたいと言うので、一日遅れの値下げされた売れ残りを買ってくる程度のことはしますが。
生徒にクリスマスはいつかと尋ねると、12月24日という答えがかなりありました。イヴと混同しているのでしょう。そもそも「イブ」とはどういうことでしょうか。ユダヤ教やローマ帝国の暦を受け継いだ教会の暦では、日没から一日が始まると考えられていました。ですからクリスマスは24日の日没から25日の日没までであります。イヴとは、eveningと同義語の古語であるevenの末尾の音が消失したものですから、クリスマス・イヴを強いて訳せばクリスマスの夕べという意味になります。一般に理解されているようなクリスマスの前夜祭ではないのです。