もうすぐ冬至を迎えます。冬至といえば、柚子湯や南瓜やこんにゃくのことが話題になるでしょう。また昼間の長さが最も短いことや、太陽高度が最も低いことを改めて確認することでしょう。しかし月の高度が高いことにまで思いを馳せる人は少ないのではないでしょうか。
太陽の高度は直接気候や気温に大きな影響を与えます。夏至の頃の南中時の太陽高度は約80度もあり、真上に近い角度からがっと照らすので暑くなるということを、誰もが体験的に理屈抜きで理解しています。(逆に冬至の頃では約30度しかありません。)しかし月の高度については、実生活に取り立てて影響もないので、関心を持つ人はあまりいません。難しい天文学的な説明は私には自信がないので省きますが、太陽の高度が高い時期の月の高度は低く、反対に太陽の高度が低い時期の月の高度が高いのです。
2012年の国立天文台のデータによれば、春分の日に近い4月7日の満月の南中高度は39.3度、夏至に近い7月4日の満月の南中高度は36.3度、秋分の日に近い9月30日の満月の南中高度は65.4度、冬至に近い12月28日の満月の南中高度は73.6度だそうです。詳しい説明が必要ならば、「月の高度」と検索すれば、いくらでも見つかるので、調べてみて下さい。
現代人は中秋の頃の月を愛でることはあっても、冬至の頃の高度の高い寒月を特に注目することはありません。確かに高度の高い月を眺めるには真上を見上げなければならないので、縁側に坐って眺めるには首が疲れてしまいます。また月の光が部屋の中まで入ってくることもほとんどありません。かと言って夏至の頃の月では高度が低すぎて、空を見上げるという感じになりません。秋分の頃の月の高度が、空を見上げて愛でるには、ちょうどよい角度なのかもしれません。しかし古歌の中には、冬の月を詠んだ歌がたくさんあります。特に『新古今和歌集』にまとまっています。古人は高度の高い冬の月も、それなりに愛でていたのです。冬の月、つまり寒月の和歌については、いずれお話をするつもりですが、もう少々時間を下さい。
月が空の真中から照らしていることを「月天心」と言います。「天心」とは空(天)の真中という意味ですから、この場合の月は冬の月が最も相応しいと思います。「月天心」という表現がいつ頃から表れるのか、勉強不足でよくわからないのですが、宋の邵康節(しようこうせつ)の「清夜吟」という詩に「月天心に到る処、風水面に来る時、一般の清意の味、料り得たり人の知ること少なるを」と詠まれていました。どちらにしても和歌のうたことばではなさそうです。
日本の文芸では、与謝蕪村が「月天心 貧しき町を 通りけり」と俳諧に詠んでいます。句を解説したものを読んでみると、月は秋の季語であり、秋の句であるとのこと。蕪村の一周忌に弟子の几薫が編集した『蕪村句集』に載せられていて、明和5年8月2日に詠まれたとのことです。もしそれが事実ならば三日月に近い形ですから、見上げるような月ではないことになります。また天球の中央に見える月ではありません。本来の月天心とはかけ離れた月としか言えません。蕪村はなぜそのような月を天心の月と表現したのか、何かわけがあるのでしょう。
私の感想に過ぎませんが、「天心」という表現や、「貧しき町」という個性的な表現に相応しいのは、私は冬の高度の高い月の方がよいのではないかと感じてしまいます。実際には明和5年の秋に詠んだのかもしれませんが、文芸作品というものは、作者の手を離れたら、観賞する人の心次第で受け取り方もいろいろあってよいと思います。
蕪村には『夜色楼台図』という国宝の絵画があります。家々が並ぶ京都の町にしんしんと雪が降り積もる光景が描かれているのですが、私にはこの絵と「月天心 貧しき町を 通りけり」という句が重なって見えてしまうのです。もしご覧になったことがない方は、インターネットで見られますから、是非とも検索してみて下さい。
「月天心」と検索すると、一青窈という歌手の「月天心」という歌に関わる情報や、和菓子のことばかりが載っています。歌の歌詞を読んでみましたが、なかなか解釈の難しい歌ですね。今時の歌を聞くことはほとんどないため、その歌のことは全く知りませんでしたので、とても驚きました。もちろんとてもよい歌だとは思いましたが、その歌があまりにも有名なため、「月天心」の本来の意味が知られなくなってしまうことがあってはならないと思います。
冬の月には「孤高」の印象があります。それは寒さによることもあるのでしょうが、やはりその高度によるところが大きいのではないでしょうか。また月の色は光の波長により拡散に差があることから、高度が低いと赤っぽく見え、中くらいだと黄色に、高いと白っぽく見えます。やはり白っぽい色の方が、「孤高」の印象が強くなるでしょう。平成27年12月の満月は、ちょうどクリスマスの25日です。クリスマスと言えば星が気になるところでしょうが、今年は是非満月の高度をお楽しみ下さい。
太陽の高度は直接気候や気温に大きな影響を与えます。夏至の頃の南中時の太陽高度は約80度もあり、真上に近い角度からがっと照らすので暑くなるということを、誰もが体験的に理屈抜きで理解しています。(逆に冬至の頃では約30度しかありません。)しかし月の高度については、実生活に取り立てて影響もないので、関心を持つ人はあまりいません。難しい天文学的な説明は私には自信がないので省きますが、太陽の高度が高い時期の月の高度は低く、反対に太陽の高度が低い時期の月の高度が高いのです。
2012年の国立天文台のデータによれば、春分の日に近い4月7日の満月の南中高度は39.3度、夏至に近い7月4日の満月の南中高度は36.3度、秋分の日に近い9月30日の満月の南中高度は65.4度、冬至に近い12月28日の満月の南中高度は73.6度だそうです。詳しい説明が必要ならば、「月の高度」と検索すれば、いくらでも見つかるので、調べてみて下さい。
現代人は中秋の頃の月を愛でることはあっても、冬至の頃の高度の高い寒月を特に注目することはありません。確かに高度の高い月を眺めるには真上を見上げなければならないので、縁側に坐って眺めるには首が疲れてしまいます。また月の光が部屋の中まで入ってくることもほとんどありません。かと言って夏至の頃の月では高度が低すぎて、空を見上げるという感じになりません。秋分の頃の月の高度が、空を見上げて愛でるには、ちょうどよい角度なのかもしれません。しかし古歌の中には、冬の月を詠んだ歌がたくさんあります。特に『新古今和歌集』にまとまっています。古人は高度の高い冬の月も、それなりに愛でていたのです。冬の月、つまり寒月の和歌については、いずれお話をするつもりですが、もう少々時間を下さい。
月が空の真中から照らしていることを「月天心」と言います。「天心」とは空(天)の真中という意味ですから、この場合の月は冬の月が最も相応しいと思います。「月天心」という表現がいつ頃から表れるのか、勉強不足でよくわからないのですが、宋の邵康節(しようこうせつ)の「清夜吟」という詩に「月天心に到る処、風水面に来る時、一般の清意の味、料り得たり人の知ること少なるを」と詠まれていました。どちらにしても和歌のうたことばではなさそうです。
日本の文芸では、与謝蕪村が「月天心 貧しき町を 通りけり」と俳諧に詠んでいます。句を解説したものを読んでみると、月は秋の季語であり、秋の句であるとのこと。蕪村の一周忌に弟子の几薫が編集した『蕪村句集』に載せられていて、明和5年8月2日に詠まれたとのことです。もしそれが事実ならば三日月に近い形ですから、見上げるような月ではないことになります。また天球の中央に見える月ではありません。本来の月天心とはかけ離れた月としか言えません。蕪村はなぜそのような月を天心の月と表現したのか、何かわけがあるのでしょう。
私の感想に過ぎませんが、「天心」という表現や、「貧しき町」という個性的な表現に相応しいのは、私は冬の高度の高い月の方がよいのではないかと感じてしまいます。実際には明和5年の秋に詠んだのかもしれませんが、文芸作品というものは、作者の手を離れたら、観賞する人の心次第で受け取り方もいろいろあってよいと思います。
蕪村には『夜色楼台図』という国宝の絵画があります。家々が並ぶ京都の町にしんしんと雪が降り積もる光景が描かれているのですが、私にはこの絵と「月天心 貧しき町を 通りけり」という句が重なって見えてしまうのです。もしご覧になったことがない方は、インターネットで見られますから、是非とも検索してみて下さい。
「月天心」と検索すると、一青窈という歌手の「月天心」という歌に関わる情報や、和菓子のことばかりが載っています。歌の歌詞を読んでみましたが、なかなか解釈の難しい歌ですね。今時の歌を聞くことはほとんどないため、その歌のことは全く知りませんでしたので、とても驚きました。もちろんとてもよい歌だとは思いましたが、その歌があまりにも有名なため、「月天心」の本来の意味が知られなくなってしまうことがあってはならないと思います。
冬の月には「孤高」の印象があります。それは寒さによることもあるのでしょうが、やはりその高度によるところが大きいのではないでしょうか。また月の色は光の波長により拡散に差があることから、高度が低いと赤っぽく見え、中くらいだと黄色に、高いと白っぽく見えます。やはり白っぽい色の方が、「孤高」の印象が強くなるでしょう。平成27年12月の満月は、ちょうどクリスマスの25日です。クリスマスと言えば星が気になるところでしょうが、今年は是非満月の高度をお楽しみ下さい。