埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
58『土佐日記』の女性仮託
『土佐日記』について学習する際は、なぜ女性に仮託して書かれたかということを避けることはできません。まず通説では、男性貴族の日記には心の内面や感情など書く事がなかったので女性に仮託したとされていて、早くも賀茂真淵や上田秋成が説いています。確かに男性貴族の日記にはその様な傾向があることは事実ですが、そうではない記述がないわけではありません。第二に、作者が紀貫之であることを隠すためであるという説があり、古くは松永貞徳や北村季吟(『土佐日記抄』)が説いています。しかし遅くとも10世紀半ばには、貫之の作であることは既に知られていました。『後撰和歌集』(950年代成立)という勅撰集には、『土佐日記』中の歌が、貫之の作としていくつも収録されています。そういうわけでこの説にはこの様な反証があるため、近年ではあまり説かれることはないようです。第三に、和文で書こうとしたが、男性貴族には和文で書くことが相応しいこととはされていなかったためという説も有力です。しかしそれならば、貫之は『古今和歌集』の序文を仮名で書いているではないかという批判は免れないでしょう。第四に、江戸時代の歌人である香川景樹の説なのですが、作者が男であることがわかるのは承知の上で、諧謔として面白半分に仮託したというものです。景樹は、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」とわざわざことわっているのは、男が書いていることを暗にほのめかしているから、と説いています。いくつか女性仮託が破綻している記述が見られるのですが、それは貫之が意図して書いたものとすれば、気付かれることを意図的に狙って書いた可能性があります。例えば、12月26日には、女性は漢詩を書き写せないと言いながら、1月17日には、唐の詩人の詩の一節を書いていて、通して読んでいる人には、「先日の話と違うではないのか?」と気付かれてしまうのです。『土佐日記』は事実に基づいた日記ではなく、恐らくは実際に貫之が漢文で書いていた本当の日記に基づいて書かれた、虚構を含んだ文芸作品であり、諧謔説の可能性は十分にあると思っています。
五十余首もの和歌が収録されていて、しかも娘を土佐で失ったなどの悲しみに代表されるように、微妙な心情を表すには和文で書かざるを得なかったことまでは、誰もが納得できます。しかしなぜ女性に仮託させなければならなかったのか、結局は決定的な理由はわからないとしか言いようがなく、通説あたりに収束されるのかなとも思います。私は個人的には諧謔説に興味があるのですが、しかし専門の研究者でもなく、確たる根拠があるわけではありません。授業では、と言っても日本史の授業ですが、最初から通説を出すのではなく、色々な角度から考察することの重要なことを実感させるために、上記の四つの説を全て説明しています。そして古典文学の学習は奥が深いものだと感じてくれれば、通説を当たり前に淡々と話すより、その方が授業としては面白いと思っています。
58『土佐日記』の女性仮託
『土佐日記』について学習する際は、なぜ女性に仮託して書かれたかということを避けることはできません。まず通説では、男性貴族の日記には心の内面や感情など書く事がなかったので女性に仮託したとされていて、早くも賀茂真淵や上田秋成が説いています。確かに男性貴族の日記にはその様な傾向があることは事実ですが、そうではない記述がないわけではありません。第二に、作者が紀貫之であることを隠すためであるという説があり、古くは松永貞徳や北村季吟(『土佐日記抄』)が説いています。しかし遅くとも10世紀半ばには、貫之の作であることは既に知られていました。『後撰和歌集』(950年代成立)という勅撰集には、『土佐日記』中の歌が、貫之の作としていくつも収録されています。そういうわけでこの説にはこの様な反証があるため、近年ではあまり説かれることはないようです。第三に、和文で書こうとしたが、男性貴族には和文で書くことが相応しいこととはされていなかったためという説も有力です。しかしそれならば、貫之は『古今和歌集』の序文を仮名で書いているではないかという批判は免れないでしょう。第四に、江戸時代の歌人である香川景樹の説なのですが、作者が男であることがわかるのは承知の上で、諧謔として面白半分に仮託したというものです。景樹は、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」とわざわざことわっているのは、男が書いていることを暗にほのめかしているから、と説いています。いくつか女性仮託が破綻している記述が見られるのですが、それは貫之が意図して書いたものとすれば、気付かれることを意図的に狙って書いた可能性があります。例えば、12月26日には、女性は漢詩を書き写せないと言いながら、1月17日には、唐の詩人の詩の一節を書いていて、通して読んでいる人には、「先日の話と違うではないのか?」と気付かれてしまうのです。『土佐日記』は事実に基づいた日記ではなく、恐らくは実際に貫之が漢文で書いていた本当の日記に基づいて書かれた、虚構を含んだ文芸作品であり、諧謔説の可能性は十分にあると思っています。
五十余首もの和歌が収録されていて、しかも娘を土佐で失ったなどの悲しみに代表されるように、微妙な心情を表すには和文で書かざるを得なかったことまでは、誰もが納得できます。しかしなぜ女性に仮託させなければならなかったのか、結局は決定的な理由はわからないとしか言いようがなく、通説あたりに収束されるのかなとも思います。私は個人的には諧謔説に興味があるのですが、しかし専門の研究者でもなく、確たる根拠があるわけではありません。授業では、と言っても日本史の授業ですが、最初から通説を出すのではなく、色々な角度から考察することの重要なことを実感させるために、上記の四つの説を全て説明しています。そして古典文学の学習は奥が深いものだと感じてくれれば、通説を当たり前に淡々と話すより、その方が授業としては面白いと思っています。
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