あなたは大切な人と一緒に月を眺めたことがありますか。自分自身のことを振り返ってみると、夜道を歩いていて、たまたま美しい月を目にして、暫くの間、見とれたことがあるくらいのもです。月を意図して見ようとして、長い時間見とれていたことはありませんね。ただし一人だけで見ることはよくあります。何せ、高校時代は地学部に属していましたから。自分の経験だけから判断するのは危険ですが、現代人は古人よりもじっと月を眺めることが少なくなっているのではないでしょうか。まして大切な人と長い時間にわたって月を眺めるという経験は、少ないことと思います。
月を詠んだ古歌の中には、それ程数が多いわけではありませんが、大切な人と共に月を見たことをうかがわせる歌があります。
①都にて見しに変らぬ月影を慰めにても明かす頃かな (拾遺集 恋 790)
②松が根に衣かたしき夜もすがらながむる月を妹見るらむか (金葉集 秋 211)
③諸共にながめながめて秋の月ひとりにならむことぞかなしき (千載集 哀 603)
④月見ばと契りおきてしふるさとの人もや今宵袖ぬらすらん (新古今 旅 938)
①には、「京に思ふ人を置きてはるかなる所にまかりける道に、月の明かかりける夜」という詞書きが添えられています。都で見たのと同じ月を慰めにして、夜を明かすこの頃であることよ、という意味です。どこにも共に見たとは詠まれていませんが、かつては共に見た月だからこそ慰められるのです。②は「月前旅宿」という題で詠まれています。松の根元に衣を敷いて夜通し眺めている月を、妻も見ているだろうか、という意味です。これも現在共に見ているわけではないのですが、そのような経験があるからこそ、このような歌になるわけです。あるいは旅の別れに際して、互いに月を見ようという約束があったのかもしれません。③は詞書きによれば、一緒に修行してきた友人の僧侶が臨終となったために詠んだとのことです。一緒に眺め続けてきた秋の月を、今後は一人で見ることになるのが何とも哀しいことです、という意味です。僧侶にとって月とは単なる天体ではなく、風情の対象でもなく、西へ、つまり西方極楽浄土へ行く憧れの存在でした。おそらく二人は阿弥陀如来を憧れる心を以て、ともに月を眺めたのでしょう。私事で恐縮ですが、故郷の山である山形県の月山に、弥陀が原という高原植物が生育している場所があります。月の山だからこそ阿弥陀を冠した名前が付けられたわけです。④は、月を見たらお互いを思い出そうと約束した古里のあの人も、今宵の月に私を偲んで袖を濡らしているだろうか、という意味です。
ここに4首並べてみましたが、期せずして一緒に月を見ているという歌はありません。みなかつて共に眺めたことを偲びつつ詠まれています。月は懐旧の心をいたく刺激するのでしょう。まあ恋人と共に見ている時に詠んだ歌など、甘ったるくて良い歌にはならないのかもしれませんし、照れくさくて詠めないのかもしれません。しかし恋人の逢瀬は夜と決まっていた昔には、現代人より共に月を眺めることが多かったことは確かです。
私の主宰する市民講座の受講者のTさんの御子息が亡くなり、大変哀しんでいらっしゃいました。何とかお慰めすることはできないかと、いろいろ思い出話を伺っているとき、よく一緒に月を眺めたとのことでしたので、次のように詠んでお贈りいたしました。
子に後(おく)れたる母を励まして詠める
窓辺にて共に眺めし月はいま欠くることなく心にぞすむ
月を詠んだ古歌の中には、それ程数が多いわけではありませんが、大切な人と共に月を見たことをうかがわせる歌があります。
①都にて見しに変らぬ月影を慰めにても明かす頃かな (拾遺集 恋 790)
②松が根に衣かたしき夜もすがらながむる月を妹見るらむか (金葉集 秋 211)
③諸共にながめながめて秋の月ひとりにならむことぞかなしき (千載集 哀 603)
④月見ばと契りおきてしふるさとの人もや今宵袖ぬらすらん (新古今 旅 938)
①には、「京に思ふ人を置きてはるかなる所にまかりける道に、月の明かかりける夜」という詞書きが添えられています。都で見たのと同じ月を慰めにして、夜を明かすこの頃であることよ、という意味です。どこにも共に見たとは詠まれていませんが、かつては共に見た月だからこそ慰められるのです。②は「月前旅宿」という題で詠まれています。松の根元に衣を敷いて夜通し眺めている月を、妻も見ているだろうか、という意味です。これも現在共に見ているわけではないのですが、そのような経験があるからこそ、このような歌になるわけです。あるいは旅の別れに際して、互いに月を見ようという約束があったのかもしれません。③は詞書きによれば、一緒に修行してきた友人の僧侶が臨終となったために詠んだとのことです。一緒に眺め続けてきた秋の月を、今後は一人で見ることになるのが何とも哀しいことです、という意味です。僧侶にとって月とは単なる天体ではなく、風情の対象でもなく、西へ、つまり西方極楽浄土へ行く憧れの存在でした。おそらく二人は阿弥陀如来を憧れる心を以て、ともに月を眺めたのでしょう。私事で恐縮ですが、故郷の山である山形県の月山に、弥陀が原という高原植物が生育している場所があります。月の山だからこそ阿弥陀を冠した名前が付けられたわけです。④は、月を見たらお互いを思い出そうと約束した古里のあの人も、今宵の月に私を偲んで袖を濡らしているだろうか、という意味です。
ここに4首並べてみましたが、期せずして一緒に月を見ているという歌はありません。みなかつて共に眺めたことを偲びつつ詠まれています。月は懐旧の心をいたく刺激するのでしょう。まあ恋人と共に見ている時に詠んだ歌など、甘ったるくて良い歌にはならないのかもしれませんし、照れくさくて詠めないのかもしれません。しかし恋人の逢瀬は夜と決まっていた昔には、現代人より共に月を眺めることが多かったことは確かです。
私の主宰する市民講座の受講者のTさんの御子息が亡くなり、大変哀しんでいらっしゃいました。何とかお慰めすることはできないかと、いろいろ思い出話を伺っているとき、よく一緒に月を眺めたとのことでしたので、次のように詠んでお贈りいたしました。
子に後(おく)れたる母を励まして詠める
窓辺にて共に眺めし月はいま欠くることなく心にぞすむ