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'24-4-23 “April is coming and going” 

2024-04-22 22:31:11 | Megu's Sports
★Megu's Sports
今年の4月は、師走のようである。一週目に、シーズンオープナーのIronman 70.3 Oceansideがあり、その4日後に東京へ。で、カリフォルニアに帰ると、4月の半ばを過ぎている。

・Ironman 70.3 Oceanside (AG 10th out of 39):このレースは、8回目?何回もやっているレース。今年が、一番寒かった。そして、一番遅かった。地球温暖化と言っても、この2-3年、カリフォルニアの冬・雨季は寒い。というか、暖かくなるのが遅い。レース当日の朝、外気10度程;水温15度程。スイムのスタートを待っている間、カイロを持って、使い捨てのスリッパを履いていたけど、寒い。で、スタート。水温15度って言っていたけど、水は15度よりも冷たく感じた。最後の5-10分ぐらい、手が冷たくなって、指が攣っている。トランジヨンでは、時間を掛けてベストとジャケットを着たんだけど、手が悴んで、チャックがなかなか閉められない。バイクに乗ると、もう体が冷えていて、その上、はじめの8キロぐらいは、風がある上に日陰が多く、歯がガチガチしてきた。冷えて、体が動かず、スピードも上がらない。16キロあたりでTech Supportの車がいたから、“寒くて続けられないんだけど、どうしたらいい?”って言ったら、“あと8キロぐらいのところにエイドステーションがあるから、そこまで行って”って言われた。”ok… I think I can do that”。しばらく乗っていると、日があったて来て、エイドステーションに着いた時には、まだ寒かったけど、歯のガチガチが止まっていたので、“遅くても、バイク終わらすか”と残りの74キロを乗ることにした。スピードが出せないまま、いつもより、30分ほど遅く、バイク終了。この時点では、もうタイムも順位も、気にしてない。せっかく来たんだし、良いトレーニングだと思って、とりあえず完走するぞと、ランにでる。ランは、結構調子良い。オーバーペースにならないように、押さえ気味で走り続ける。バイクで、寒くて、いつもよりエネルギーを消費してたので、エナジージェルを6個も食べた。足は、疲れて来たけど、ペースを最後まで保って、フィニッシュ。こういうレースも良い経験。若い時だったら、もうレースになってないからって、バイクの途中でエイドステーションで止まってたかもしれない。それか、ランに出なかったかもしれない。タイムは遅いけど、良いレースって言える。違ったレースの仕方・見方が経験できた。

・Spring Tokyo Visit: 東京に行く3週間ほど前に、母ちゃんが、ようやくリハビリ病院から帰って来たので、様子を見に行った。退院した時に帰ろうと思ったんだけど、両親が、自分たちの生活が落ち着いてからと言っていたので、この時期に帰ることにした。目的は、実際に母ちゃんの状態がどうかを見ること。退院してから、家での生活に適応するのが難しいと言っていた。3食出て、1日3-4回のリハビリのスケジュールのある病院生活とは違う。リハビリ以外は、座って、または、ベッドで休んでいると言う生活とは違う。家では、12時間以上起きて、ちょこちょこ歩き回って用を足さなければならない。リハビリも、プランがないとやらない。オンラインのリハビリセッションで、ちょっと様子を見たけど、リハビリの病院では、体全体的なコンディショニングはしてくれてないようだ。それには、がっかりさせられる。6日の滞在中、毎日、リハビリのセッションをした。左肩が動かないと言うので、肩のモビリティーのエクササイズから始める。親父の理学療法士が、週一で、母ちゃんとのセッションができると言うので、オンラインではできない歩行の補助や筋肉をほぐすことなどを、彼に助けてもらおうと思っている。無理はしているようだけど、食事の支度は、何とかできていたので、それもリハビリの一つとしてやっていけば、怪我以前の状態には、戻るかな。いつも言っているが、高齢の両親とテクノロジーは、チャレンジだ。昨年、レースの数日後に東京に行って、レースから回復と睡眠不足でタイミングが悪いなと思っていつつ、また、同じようなプランで東京に行った。今回は、時差ボケながらも、よく寝むれたので、適度にレースからの回復できたかな。

今年は、東京の気温が低く、桜の季節が例年より遅かったので、20何年ぶりかに、“お花見”ができた。カリフォルニアに、桜の木はあっても、日本のような“桜並木”がない。日本の桜は、特別。毎年、この時期になると日本の桜が恋しくなっていたので、今年、満喫できてラッキーだった。


‛24-4-16”読後感「私という男の生涯」“

2024-04-15 23:30:35 | Massy's Opinion
  • Massy’s  Opinion 
最近は、単行本を読まない。雑誌ばかりである。久しぶりで単行本を読む気に成った。年代も僕と同じ位、「石原慎太郎」の本である。僕は、石原裕次郎と同級生である。然し、学校時代には、話をしたこともない。唯、「バスケット部に大きくて凄い奴がいる」と言う話は当時から、話が流れていた。さて、石原兄弟は、当時の我々から見れば全く天井のラッキー・ボーイ  素晴らしい兄弟と見えた。お父上が若くして亡くなって居るのは、今度本書を読んで知ったが、僕とは同じ位だ。慎太郎さんは僕より年上だがほぼ同じ年代。そういう意味では、同世代で特に「太陽の季節」は猛烈にインパクトが在った。特に慶応では、逗子、葉山の連中は、丁度、高校3年~大学1~2年の青春マッタダ中の時代で、「太陽の季節」は指をくわえて、何回も読み直したものだ。僕は成蹊から慶応に高校で入ったが、成蹊の時は、坊主頭、小学校の時は坊ちゃん刈りだったが、今で言えば、「いじめ」1年上級生の水泳部の人の屋上へ呼び出され「坊主にして来い」と言われて、坊主刈りにした。慶応へ入ったら長髪O,Kと言うより坊主頭は居ない。渋谷道玄坂の上の方に「坂本」と言う半分女性、半分男性用の理髪店があり、野球部の仲間とそこに行き、上だけ長くして脇は刈り上げる、当時は「スポーツ刈り」と言う髪型にした。そこの理髪店には、プロ野球の国鉄の連中も来ていたが、当時は、「スポーツ刈り」と言っていた。「太陽の季節」が出てからはその髪型は、「慎太郎刈り」に成ってしまった。僕は、’57年に就職したが,40位までは「慎太郎刈り」要するに「スポーツ刈り」だった。よく銀座のバーでは、日産の慎太郎と言われたものである。矢張り、慎太郎の作品の中では、「太陽の季節」が一番インパクトが在ったのだろう。あの物語は、裕次郎の影響が強かったと思う。「玉突き」の賭けで死んでしまう男とか逗子の家の話とか随分と当時の慶応高校の中では、羨望の中で話題になって居た。慎太郎はその後、国会議員に成り、東京知事に成り派手めな活動をしたが、まあ好感は持てたと思う。それにしても、今度の出版の意図や気持ちは本当によく解る。今、僕も慎太郎と近い年回り、勿論,文筆を業とするものではない。でも慎太郎が「自分や、奥さんが死んだら発行して欲しい」と言ってその時期が来て出版されたものだ。僕も、全く同じ心境でブログを書いて居る。特に、女の事、かなり控えめに書いて居るなと感じた。家庭と外の人の出会いこれは凄く考えさせられる問題だ。凄い分量の彼の作品、矢張り同世代か「太陽の季節」が一番共感を呼ぶし、女の話が意外に数が少ないと感じた。人は、性よりも人間の本質で惹かれる人が出来るのではないか?そう言う意味では慎太郎もアイデアマン 時代に適合したハッピーな男、裕次郎との兄弟仲は良かったんだな…と感じる。懐かしい一冊だった。


’24-4-9 瞬く間​​に4月

2024-04-08 21:45:14 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*先週は、若い子の訪、サンノゼ訪問記を記事にした。長い間ペースを守って書いて居たブログのぺースを変えてしまったで、頭がスッキリしない。
先週megu に「お前のblog使うよ...」「あの子たちはレベルが高いな。関西の学校なので余りレベルは解らないが中学生だろう...」「そこいらの子と同じだよ」言う返事。視点が違うか?ジェネレーション・ギャップなのか解らないが、あまり感心していない様子。
でもアクセスはかなり頂いた。
*ワイフ3月21日に退院。12月31-7日=24日 1月31日 2月29日 3月21日合計105日入院まあ、大腿骨骨折としては標準的な日数と言う事か? 多分骨折前の暮らし状態の80%位の状態と思うが本人はもっと歩けると期待している様だ。一番怖いのは無理、リハビリ病院では、完璧な状態で、大勢の人が見守って居て呉れたので、今度は、その役割を僕がしなくてはいけないと思っている。「老老介護の見本」を作ろう...まあ、思い返せば高校2年の秋、トスバッティングの返球に乗って捻挫、大学1年の時、スライデイングで足を骨折、2ヶ月の入院、骨折の模範的例題として1ヶ月間モデルとして使われて、医学生と一緒に勉強させられて、マッサージも上手くなり、特に1年上の藤田さんには、ブルペンキャッチャーが終わるとマッサージをさせられた。そんな事でこの種の知識は、持っている方だと思って居る。
*話は全然変わるが、自民党の維持資金問題はこれまた酷い問題だ。岸田総理も如何いう神経を持って居るのだろう...自民党総裁と総理大臣を遣い分けて居る積りけど可笑しい。突き崩せない野党もだらしない。結局は国民の問題だが...大谷君の問題も残念で仕様がない。兎に角、野球一筋全力で向かえるように願っている。
*3月は、半分人生の回顧録みたいなのだが、「自動車販売の流れに乗って90年」と言うレポートを書き挙げた。昔の話である。A410枚位になる。その内にブログを通じて、お目に掛けよう思っている。









’24-4-2 Diary207

2024-04-01 21:17:22 | Massy's Opinion
★Megu’s Sports 今月のDiaryは初めてスタイルを変えて見た。折角先月のセッションの感想を神戸から送っていただいたので、有意義なサンノゼ訪問に成ったのだろう。関西の学校なので余りよく解らないが、レベルは高い学校だと思う。皆、文章も巧く、とらえ方も素直で良い旅に成ったろう。
*3名の女性マネージャー、経営者との懇談会 感想
*生徒1
 今回のパネルディスカッションでお話を伺った3名の方々は、1人1人かっこよく、憧れをもつような人生を歩まれていました。3人の方々のお話のなかで共通して大切だと思ったことは「自分自身のやりたいことを見つける」ということです。自分は何をしたいのか、それがわからなければ目的の無い、ただ生きているだけの人生になってしまいます。また、人生の岐路に立ち、判断を迫られた場合、後悔することになるとも思いました。
 3人の方々のお話のなかで印象に残ったことのなかから1つずつ述べたいと思います。失礼ながら、お名前の漢字がわからず、平仮名で記述しています。
 めぐみさんのお話を伺ったなかで印象に残っていることは、「自分自身の理解度をあげる」ということです。めぐみさんご自身が、就職活動をするなかで違和感を感じ、もう一度考え直してトレーナーの道を進むことをお決めになったというのに驚きました。そのときに、自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、つまり自分自身を理解することが大切なのだと思いました。私はまだ自分がどういう人間なのかよくわかっていないので、これから知っていきたいと思いました。
 ゆりさんのお話のなかで印象に残っていることは、「待ちの姿勢をやめる」ということです。この言葉は、普段あまり自分で考えて行動出来ていない私に響きました。私には憧れている友達が沢山いるのですが、どの子も待ちの姿勢ではなく、自分自身で歩んでいると気づきました。私も、自分に自信を持って、自発的に動けるようになりたいと思います。
 かおりさんのお話で印象に残っていることは、「自分の考えていることを周りの人に話す」ということです。私はかおりさんご自身が大学の時のご友人と事業を立ち上げられたということに憧れました。私自身企業するかどうか考えていないのですが、自分の道をどんどん周りの方々と切り開かれているのがとてもかっこいいと思いました。その方法の1つとして、周りの友人に話したり、相談することが大切なのだと知りました。まだまだ私に足りないものは沢山ありますが、1つ1つ手に入れていきたいと思います。
 3人の世界規模で活躍されている方々のお話を伺えたことは、私の人生の幅を広げてくれました。貴重なお時間を割いていただき本当にありがとうございました。
*生徒2
一番興味深かった話は空き家の改修の仕事についてです。最近空き家が日本で問題になっていてそれを解決するために新たにリノベーションするお仕事です。話を詳しく聞いてみるとまず空き家を壊して新しい部屋の配置にするそうです。その際に壁をぶちぬくこともあるそうです。壁をぶち抜くと言われなんのことだと思いました。実際の方法を聞いてみるとハンマーで壊すとのことでした。完全に物理で驚きました。また、壊れなかった時は、すこし崩れたところを埋めるそうです。もっと効率的にできるのではと思いながら聞いていました。その話がとても印象に残っています。他にも、仕事に就くにあたって、好奇心の大切さ、好きなものを貫くことなど今後の人生において役立つ話をたくさんしていただきました。また、英語の勉強法について英和や和英の辞書を使うのではなく完全に英語の辞書で調べものをして学ぶというアドバイスをいただきました。自分で実践してみようと思います。
*生徒3
まず最初に、トライアスロンをしている女性の話を聞きました。学んだことは、自分の好きなものから視野たくさん広げていくことが大切だということです。私も将来、人生を楽しむためには好きなことをするのが1番必要だと思います。その他には健康的な食事についても知りました。
次にMBAについて別の女性の方から話を聞きました。その人の話の中では、給料が高いという話が印象に残っています。しかし、物価が日本とアメリカでは差があり、給料の数字だけでは比較できないため色々な視点から考えられると仰っていました。
他にも日本の経済がもう危ないという話も面白かったです。
最後に、空き家をリフォームして売る仕事をしている女性の話を聞きました。リフォームをするときに壁をぶち抜く話が面白かったです。途中で改造できない家だとわかったらぶち抜いたところを少し直すと言っていたのでもう少し計画的に改造できないものなのかなと思いました。
*生徒4
3人の日本人女性のお話を聞いて、みなさん自分に自信を持っていてかっこいいなと思った。めぐみさんは自分の好きなことをして人生を楽しんだらいいとお話してくれた。まためぐみさん自身もあまり先を考えずにその時の自分がほんとにしたいことを見つけていたのでそうするべきだと教えてくださった。ゆりさんはアメリカでの生活の楽しさを教えてくださった。私たちは日本人だからアメリカに慣れるのには時間がかかるけど、慣れたらほんとうに楽しいし、アメリカは色んな方たちがいるから個性が生かせるとおっしゃっていた。かおりさんはアメリカでは相手に気付いてもらうというより自分で表現することが大事だとお話してくれた。また、日本は受け身の授業が多く、アメリカで自分たちで考える授業が多いと教えてくださった。だから思考力を養うことが大事だなと思った。3人の方々の話を聞いて、自分をたくさんアピールをして自分がしたいと思ったことやしてほしいことはしっかり言うべきだと思った。
*生徒5
三人の方から共通して学んだことは、チャンスを自ら掴みに行くこと、学んだことを使って社会に貢献することの大切さだ。
めぐみさんは学生時代に興味を持ったことについて自分で調べたり、友達に聞いたりしたことが当時日本になかった仕事に出会うきっかけになったとおっしゃっていた。また、ゆりさんは自ら留学のプログラムを見つけて参加したり、他のアクティビティに参加したりしたとおっしゃっていた。与えられたものだけで満足して終わりではなく、もっと他のものはないか、どうしたらそれをより良くできるのか、と考え行動してみるべきだと気づいた。
かおりさんは、得た知識をそのまま自分の中にしまっておかず、それを使って社会をより良くする方法を考えることが大事だとおっしゃっていた。確かに、せっかく得たものを使わずにずーっと貯めたままにするのはもったいないことだと思った。自分の持てる知識、技術を活かして自分や、人々の生活を楽しく、いいものにできるような努力をできる人になりたいと思った。
*生徒6
私は3人の女性からやりたいことを見つけ、チャレンジする大切さを学びました。
まず、かおりさんに仕事で楽しいことを質問しました。外国人との仕事はチームメンバーのモチベーションが上がらないと上手く進んでいかないそうです。かおりさんが彼らを促すことで、周りの人のモチベーションを上げられたり、自分自身のモチベーションも上げて仕事をすることができたりして、協力して良いものを作り出せたときはとても達成感があり、嬉しく感じると仰っていました。
また、めぐみさんには日本に今まで無かった資格にどのようにして出会ったのか聞いてみました。めぐみさんはスポーツ選手がケガをしていた時に、十分な手当がされていなかったのをみて、彼らを助けられる人になりたいと思ったそうです。他にも私たちにやりたいことを見つけるのは大変で難しいけれど、やりたいことをするのが自分にとって1番良くて、諦めてはいけないとアドバイスしてくださいました。めぐみさん自身も初めは上手くいかないこともたくさんあったけど、やっていくうちにできるようになったそうで、まずは将来を見据え、チャレンジすることが大事だと教えてくださいました。
また、ゆりさんにはアメリカに来て良かったことを聞きました。小さい頃からビジョンがあり、行きたかったアメリカはいろいろな人がいて、オープンマインドで、初めて来た時は戸惑ったけどその環境がすごく良い経験になったと仰っていました。
3人の方のお話に共通するのは、やりたいことをするからこそモチベーションが上がるのでまず自分の好きなことややりたいことを探すべきだということだと思います。また、失敗を恐れず、チャレンジ精神を鍛えることが大切だと感じました。
*生徒7
シリコンバレーで働く3人の日本人女性との懇談会を通して、3人とも自分興味があることに進んで挑戦していて、自分が就きたい仕事をしていることが印象的でした。仕事では、日本とアメリカの違いなどで苦労することもあるけれど、楽しいことも多くやりがいを感じるということを学びました。留学した理由や留学しようと思ったきっかけも知ることができたので良かったです。めぐみさんにどうやって日本にはない資格と出会ったのかを質問すると、スポーツ選手がけがをしていて手当が十分にされていないところを見て、そのような人たちを助けられるようになりたいと思ったからだそうです。将来自分がやりたいことを探すのは大変なことだけど、失敗することを恐れずに、自分が興味を持ったことにまずは挑戦していくことが大切だと教えて下さいました。ゆりさんとかおりさんに学生時代に頑張っていたことを質問すると、英語に毎日触れることを意識していたと教えてくださいました。自分のやりたいことを見つけるための参考にもなったと思うので良かったです。
*生徒8
This time, I listened to three women working in Silicon Valley.
I learned from them that if you do what you like to do, your motivation for work will increase.
When I become a member of society, I try not to forget it so that I can remember it when I find a job or when I am tired from work.
*生徒9
 私はシリコンバレーで働く3人の日本人女性との懇談会を通して積極性の大切さを学んだ。最も強く心を打たれたのは、ますだめぐみさんのお話だ。ますださんのお話で心に残った言葉が2つある。 1つ目は「大変なことがあってもうまく消化していく」だ。ますださんはアメリカに渡ってきた当時英語がうまく話せず、仕事をする中でも大変なことが多く辛い思いをしたこともあったそうだ。適宜対処するなかで自然と自分も成長していったという。
 2つ目は「自分の意思を伝えないと自分の行きたい方向に行かない」だ。これは私もアメリカに来てホストファミリーと過ごす中で実感していたことだったため、強く共感した。目標は勝手に近づいてきてはくれず、自分で掴み取るしかないのだと改めて考えさせられた。
 私が将来世界に出て働くかどうかは不確かだが、どこで何をして働くとしても、今回学ばせていただいた2つのマインドを大切にしていきたいと思う。
*生徒10
みなさんの話がとても面白くて、聞きたいことまだまだあったのに聞けなかったのが残念なくらいです。その中で1番印象に残ったのは、めぐみさんの英語の勉強方法です。分からないことを調べるときに英語の辞典を使い、その中でまた分からない単語があったら、それも英語の辞典を使って調べるという勉強法です。考えたこともなかった勉強法で、すごく面白く感じました。この方法だとたくさんの英単語に触れることが出来るので、短期間でたくさんの英語が覚えれるのではないかと思います。ぜひ今度試してみようと思いました。
また、ゆりさんの行動力がすごいなと思いました。自分からどんどん行動するそうです。アメリカではそういう人が多いと仰られていましたが、だとしてもそういう力があるのはとてもすごいと思います。かおりさんのどういう経緯で今の仕事に就いたかというお話も面白かったです。確かにと共感できることが沢山あって、内容は難しかったですが私でも調べてみたいと思いました。
*生徒11
めぐみさんはとてもパワフルでした。私がトライアスロンで辛いことはありますかと聞くと『辛いのが好き、楽しいから辛くない」と答えていたのが印象的でした。またバーンアウトしないよう自分自身でそこはバランスをとるのが大事だとおっしゃっていました。かおりさんはタフな方だと思いました。ドキュメンタリーや人種差別に関心を持っておられて私もこんなふうに人権や人の行動に興味を持つ大人になりたいと強く思いました。ゆりさんはとてもインターナショナルな方だと思いました。今の時代変化を敏感に感じとっていて興味関心への積極性を見習いたいと思いました。私はシリコンバレーに硬いイメージがあったけど全然そんなことはなく自由が尊重されていてユニークなところだと知った。とても嬉しく思いました。3人とも自信がたくさんあって素晴らしい価値観を持っていました。私も今回3人のお話を聞いて自分への自信や価値観が形成されって言ったと感じた。
*生徒12
感じたことはめぐみさんはまだ日本になかったものを追うために若くしてアメリカに渡られて本当に勇気があるなと感じました。まだ英語も話せない中、夢を叶えるために未知の世界に飛び込む姿は本当にかっこいいと思いました。かおりさんは地元が同じということもあり親しみを持って聞くことができました。元々少し英語を喋れたこともありそれは有利だなと思いました。海外に飛び出すには英語の猛勉強と信念が必要なのだと感じました。最後のゆりさんは世界での経験が豊富でこれからの私たちと一番違い存在だなと思いました。みんなさんに共通しているのは自信と海外に行きたいと思う気持ちが他の人より強かったということです。ホームステイを通して海外に行きたいと思う気持ちが強くなって将来海外で働く将来図も見えて来たのでこのプログラムは本当に楽しかったです。シリコンバレーを身近に感じられて英語力も話す力はともかく聞く力は確実に伸びたと思います。



‘24-3-26“今の中学生にした話“ 

2024-03-25 20:52:37 | Megu's Sports
*Santa Claraマスターズスイミングで知り合った、日本人の知人から、Santa Claraにあるコミュニティーカレッジ、Mission College、のインターナショナルプログラムのディレクターを紹介された。神戸の親和中学校から14-15人ほどの学生が短期留学するとのこと。その間に、“シリコンバレーで働く日本人女性”を招いて、リーダーシップ、シリコンバレーのカルチャー、”English as a second language’についてのディスカッションをするという機会に招待された。

*親和中学校は、どんな学校か知らないので、調べてみた (https://www.kobe-shinwa.ed.jp/curriculum/feature/)。中高とある女子校のようだ。サイエンスと国際化にフォーカスし、“たくましく生き抜く女性”を育成するというのが、モットーだ。Interesting! 人前で質問をしない、アメリカ人に比べるとシャイな日本人学生。このような教育環境からくる学生は、どんな子供たちなのかなって思いながら、このイベントに行ってきた。

*ゲストスピーカーは、私を含め3人。他の二人は、友達同士;日本で一流大学卒業していて、その後、MBAを取った20代後半-30代前半ぐらいのシリコンバーレーのハイテク企業で働くエリート。野球で例えると、彼女たちは、リトルリーグのエリートで、私は、草野球上がりというようだ。職種も、バックグラウンドも違うので、私は、逆に話に“色”を付け加えることができたかな。頑張ってるな、若者って感じで、彼女たちには、これからも活躍して欲しい。

学生達。中学卒業したての新女子高生。3つのグループに分かれて、スピーカーが、各グループのテーブルを回って、10分ずつの質疑応答。3グループのうちの2グループで、“睡眠時間は、どれぐらいですか?”って質問を受けた。なんでだろう?他のスピーカーに聞いたら、彼女達も聞かれたって。1/3ぐらいの生徒は、興味を持って質問して、答えも聞いていた。1/3は、あまり興味なし。彼女達が、生まれたのは2005年ぐらい。スマホも、コンピュターも持っているのが当たり前。私が、アメリカに来たのは、1996年。スマホのない生活の話をしてみた。どこへいくのでも、実際に、地図を片手に持ってとか。“英語の上達に、一番役に立ったアドバイスは?“ 1ヶ月通っていた語学学校の先生が、”日本語・英語の辞書じゃなくって、英英辞典を使え“って、言っていたこと。日本語から訳して、英語を話すのではなく、英語でものを考えるのに役に立った。”アメリカで楽しいことは、何ですか?” 毎日が楽しいよって。好きな分野の仕事をして、良いクライアントに恵まれて、天気の良い中、毎日外でトレーニングできて、海も近いし。というようなことでした。彼女達も、“大人になったら、こうするものなんだ”じゃなくて、”何がしたいかな”って考えてほしい。そのためには、いろいろな人と出会って、機会を作って、自分にどんな選択肢があるのか散策して欲しいものです。



‘24-3-19 “杉並から日本改革”

2024-03-18 22:17:37 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*3月16日 「衆・参憲法審査会の現場から」と言うタイトルで、立憲民主党の集会があった。主役は、吉田はるみ衆議院議員と辻元晴美参議院議員で、二人とも憲法審査会のメンバーである。会場は、荻窪タウンセブン8階の大ホール、定員150名(申し込み多数の場合は、杉並区の方を優先させていただきます)そろそろ選挙も近いのかな...と言う最近の政治情勢の早くも第1弾のイベントかと思ったが、久しぶりに荻窪も見てこようかな...と言う事で当日電話申し込みをして出掛けてみた。最近は、ワイフの病院の関係もあり、阿佐ヶ谷には週1回は行って居るが、中央線の沿線も本当に賑やかになり、特に休日でもあり家族ずれが目立った。荻窪にはいい音楽会場もあり、昔の荻窪文化の匂いもところどころ感じられる処もある。
*会場の8階には大ホールと小ホールが隣り合わせであるが、もう大ホールの方は満員で小ホールの方へ入った。こちらは隣会場からwebでの見学である。聴衆は年齢層が高くザット見たところ男性35%年齢55歳位、女性65%年齢45歳位か...60人位の満席である。民主党の区議会議員も参加している。兎に角、盛会であった。辻元議員の知名度の高さもあるのだろう。この処、吉田はるみ議員の集会には4回目の参加であるが、人気は上り調子だ。話も巧いし、声量も丁度いい。辻元議員は、演説は手慣れた物コチラもテレビで見ている通り。話の内容はこの処、テレビ、新聞でよく出て居るので余り新味は感じなかった。この処、退職議員の補充選挙が地方で行われるが、島根がポイントだと言っていた。総選挙の時期にも影響が大きいと言っていた。
兎に角、自民党ではもう日本は駄目になる。本当に野党が結集できないのか?僕は矢張り日本の将来はどんな国にしたいのか?と言う大きな目標があって、その為に人材を育てよう...教育無償化だ...と言う各論に入るべきだと思う。そう言う意味では、田中角栄の「列島改造論」は解かりやすくあの時代にはヒットしたのだと思う。最近、元総理の民主党、元総理野田さんの話が一皮むけた様な感じがする。僕が大谷翔平君の野球人生が終わった後本当に政界に入って新党を作って欲しいと思って居る。今の日本の政治体制が変わるのに15年は掛かるだろう。教育無償化にすれば、国公立の大学の偏差値は入試希望者が増えて上がって行くに違いない。若い子が勉強するようになるだろう。今日は気温が低く病院へワイフの見舞いに行き、担当医師から退院の許可を頂いた。政倫審の下村議員の話を聞きたくてyoutubeを見たり、ブログの原稿書き、選抜を気にしたり、気が散りすぎて、しようが無い。

‘24-3-12 “’政倫審等見て、感じる事...“

2024-03-11 21:01:27 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
何だかんだの末、政倫審が開かれた。岸田総理、自民党総裁が出るので、どんな結末になるか?期待して居たが、全然、期待外れ...辞書に載って居る抽象語を並べた揃えた様な感じ...まあ、上手く結論を逃して、お茶を濁したと言う事か?予算成立の前に格好を付けたと言う事か。しかし、よくああいう無責任な態度を他の事務総長経験者も取れるものだ。「秘書が遣った...」だの「私は見て居なかった」だの。日本の国民は殆どが零細企業や農業、漁業等体を張って働いているのに...人に対する愛情のかけらもないのか?岸田さん、もう少し好感を抱いていたが、今回で本当に嫌になった。日本中が同じ様な感じを持ったと思う。さりとて、次に推す人も居ない。最近、小沢一郎さんがユウチュウブ等に良く出て居るが、まあ、彼も色々ありある意味では、改心した部分もあるのだろう、視点の大きさは感じる。残念ながら、年を取り過ぎた。こんな事僕自身が言うのもおかしいが...中小企業で、社長が金の動きを知らないなんて言う事は絶対にない。「事務総長」なんて肩書が欲しいだけなんだろう。昔、僕の中学時代からの親友が、僕のワイフの会社の専務の肩書を欲しいから、使わせて呉れ...と言って居たが、結局、定年後3年位で病没してしまった。同じ会社の同期生の奧さんが、何処でもいいから「取締役」と言う肩書が欲しいは...と言っていた。僕も、日産特販の社長命じられた時、東京日産の社長から「君、今度の話は俺と同格の待遇だぞ」と言われた。僕は、肩書より良い仕事がしたかった。確かに、年功序列型の日本の風土ではそうなるのかも知れない。人の立場と言うのは、その人の行いや取り巻く人々に作られて行くものだろう。よくあんな人々が大臣をしているね?と思う。然し、選ぶのは我々国民だから「よく人を診て選挙に備えよう」
*最近、女性の活躍が目立っている。中にはこの人は良い事を言っているな...勉強しているな...と言う人がいる。だが、この女好きの僕がXなのは、林真理子さんと小池百合子さんだ。林さん、誰が推して、日大の理事長に成ったのだろう?まず、あの問題が出てからも、週刊誌の連載を止めない。何とか名前を世の中に出しておきたいのか?あのマンモス日大の理事長をやるならば、週刊誌の連載を書く時間も学校の風土の立て直しに尽くすべきだ。学生に愛情があるならば、全精力を理事長の仕事に集中すべきだ。如何も今の政界の人と同じ様な感じがする。小池百合子さん先ず国会議員の時から、キャッチ・フレーズ造りは上手い、頭もいい、しかし、先ず学歴詐称問題が引っかかる。それから、東京都知事に成って、都民ファーストの会を立ち上げた。何か、半端、今度、知事を退任して,如何するんだろう?築地の問題、神宮の問題、積み残した事が多い。特に、神宮の問題は森前総理のオリンピック問題と絶対に関りがあると思う。神宮は、もともと早稲田閥が強いのだ。昔、僕らの野球チームは練習にあすこを使ったが、その時、外苑長は早稲田の野球部の監督も務められた伊丹さんだった。僕は、早稲田の応援団出身者を使って、練習の枠取りをお願いしたのである。六大学野球連盟も実際の切り盛りは早稲田出の方が同じ人が2度も務めている。小池さん若し近々に選挙が在れば、何処に応援して貰うのだろう?
コロナの時も東京は騒ぎ過ぎたのでは無いかと思って居た。二人とも頭は良いが、忖度も激しいだろう。




’24-3-5 Diary 206

2024-03-04 22:06:57 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*2-17パンダ会
先週も書いたが、成蹊中学野球部から、慶応高校野球部。又は成蹊高校野球部から慶大野球部に進んだメンバーの集まり、時代の変化で女子マネに成った子もいる。僕の時代は、学生改革があり、所謂、6・3・3制に成り。まあ、解り難い時代だ。その時代、成蹊の様に旧制高校時代から野球部の在った、旧制7年生高校では、成蹊は東大へ進む人が多く、確かあの時代には3人位東大にレギュラーの選手が居たとおもう。僕らの時代は、高校生の野球の練習を硬球で手伝わされ、高校生の練習が終わると軟球で中学生の練習と言う様な時代だった。その後、成蹊高校は一度都大会の決勝に行った事があったが、弱いチームだった。20年位前、慶応高校の野球部に成蹊中学から一人入り、大学には高校から一人入った。どんな子だろう?と思い会ったら、成蹊から六大学の野球部に入った人は居ないので入りましたと言う。「4年間絶対にやめるなよ」「止めません」と言うのが初めて会った時だ。新人戦だのH君が出そうな試合だの、練習を見に行ったものだ。今や超1流企業の働き頭だろう。子供も生まれてお父さん業に専年している様。もう一人のS君は高校から入って来た。この子は大学では倶楽部チームに入って今は矢張り子育だて中。もう一人高校から慶応へ来た子がいるが、高校野球部、大学は、アメリカンフットボールに入った。そこに今年は、成蹊高校出で大学野球部の女子マネをしていた女子がもう卒業。これがパンダ会のメンバーだ。大体、成蹊高校の卒業生は、東大、慶応、成蹊の進路を辿る。旧制7年生の学校同じ経路を辿る様だ。兎に角、女子マネが入って来たのには驚いた。今年、慶応の野球部に立教女学院の女子が入って来たのにはこれまた驚いた。若い人たちの「価値観」の替わり方、面白い。

*2-22河北 担当医面談
河北リハビリセンター病院は専門病院としては古いし、いろんな新しい取り組みをしている様だ。リハビリは、どうしても時間が掛かる。そこで、月一度、患者の進行状態を担当医、理学療法士、ケースワーカーから患者を含めて、進捗の報告がある。とてもいいやり方だと思う。お陰様でスケジュールどうりの進捗。ワイフが30年位前に股関節を人工関節にした時のリハビリテーションとは、随分と進歩して来た。これから来月は自宅訪問して、患者の普段の生活状態を見て、日常生活に耐えうるか、如何か判断をして退院の運びになる様だ。高齢化に比例して、リハビリも進化して来ている。時間が掛かるのは致し方無いだろう。

*2-29 Stic(スポーツテック・イノベーターズ・コンソシアム)Zoom セミナー1時間のZoomによるセミナー。大分参加者も増えて来たが、企業名を出した参加者もいた。高齢化社会の中で、大企業は社員の健康維持を社内の命題の一つに組み込んでいる企業も出て来ている。企業名を名乗った参加者もいた。議題は専門的過ぎて、少し、硬すぎるかな?まあ、継続が大事…


‘24-2-24“高齢化社会とテクノロジー” 

2024-02-26 21:15:44 | Massy's Opinion
★Megu‘s Sports
私が、初めてコンピューターを触ったのは、アメリカに来てから。学校の授業で、レポートをタイプして出す。日本の大学の授業、ゼミに入ってない限り、レポートなんてなかった。タイプライターすら経験なし。コンピューターを使ったことがないので、“私、手書き上手いから、手書きでもいい?”なんて、先生に聞いたことを覚えている。もちろん、ダメだよね。ということで、英語だけでなく、コンピューターの使い方を同時に学ぶことになった。

今日、車の中で、Rich Rollのポッドキャストを聴いていた。ゲストは、”The comfort crisis”の著者、Michael Easter。正直言って、誰だか知らなかった。耳に止まったのが、この人は、”自分たちを孤立させる、鬱にさせる傾向がある”というようなこと。現在、ほとんどの人が、1日の大半、携帯から目と頭を離さない。思ったのが、今の子供達、スマホ、タブレットが生まれた時からあって、あるのが当然の暮らしをしている。ゲーム、SNSとヴァーチャルで人と繋がっていても、ライブでは、私たちが子供の頃に比べると、人と繋がっていない。実際に、社交性を学ぶ機会があるのかと心配になることもある。これが、 “孤立と鬱”につながるのではないか。逆に、現在のテクノロジーに慣れていない70歳以上の人々。スマホやタブレットなど、ベーシックなテクノロジーを使えれば、“孤立と鬱”が、避けられるのではないか?。

先月もブログに書いたけど、うちの母ちゃんが、骨折・手術で入院中。初めにいた病院も、現在いるリハビリ施設も、Wifiがない!病院も、Wifiなんて、そんなにお金かからないんだから、入れたらどうかと思う。Well, それは置いておいて。Wifiがないので、私が昨年、母ちゃんに買ったiPadを実家に持って帰ってきた。親父は、デスクトップのコンピューターは使うが、スマホは電話をかける以外、使わない (母ちゃんは、スマホ、タブレットで基本的な操作はできるけど、コンピュターを怖がって触らない)。なので、書斎に行かなくてもSKYPEで、母ちゃんと話せるようにiPadを設定した。親父は、頑なに使い方を覚えようとしない。画面をタッチ、スワイプするとこの容量が把握できない(のか、する気がない)。電話の電波が悪くて、よく聞こえないと文句をいっている中で、せっかく、より良くコミュニケーションを取る“道具”があるのに。このような両親を持つ人多いのではないか。

まずは、1)シンプルなテクノロジーの開発:両親の使っている高齢者用のアンドロイド。アイコンが大きいだけで、仕様が難しい。2)興味を持たせる:例えば、離れている子供・孫とビデオチャットができる、ボケ防止のゲームができる、写真のコレクションが容易に出来るなど。3)直接の家族ではなく、第三者から使い方を学ぶ。チューターのサービスを使ってみたり。直接の家族だと、話を聞かなかったり、言い争いになったりするので。また、インターネット、Wifi、データの違いなど、基本的なとことを高齢者に教えてくれるサービスがあると助かる(個人的に)。

また、さまざまなウエアラブルが出てきて、健康のデータが摂取しやすくなっている。データの収得は簡単。それをどのように応用して、生活・健康の向上へつなげるかが、Consumerには浸透していない。これからは、テクノロジーの利用だけでなく、応用を教えてくれるリソースが必要になってくる。


’24-2-20 ”パンダ会“

2024-02-19 20:17:57 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
・不穏な世界情勢...馬鹿みたいな国内政治...世界の中でどんどん落ち込んでいく日本の業績。
気候だけは、変化は不安定だが着実に変動して春に近ずいている。我が家にある2本の沈丁花も紅白2本とも蕾を持ち、いい香りを期待できそうだ。沈丁花がなぜこんなに好きなのかと言うと昔、慶応高校の時専有のグラウンドが出来、日吉のマムシ谷を下り通称嵐が丘球場に行く道に在った家の庭に沈丁花の花がありいつも良い匂いを発していた。これが、印象的であり我が家でも必ず植えている。大きな沈丁花があったのだが,家を改築する時に抜かざるを得ず始末をしてしまった。それ以降、紅白二本の沈丁花が欲しくて随分手塩に掛けるが、どうも紅の方が育てにくい様だ。それが、今年は紅白2本バランスよく育っている。

・僕が、入社した東京日産は高度成長時代のトップ・ランナー硬式野球部を作ろうと言う動きがあり、早稲田出の遠間君と六大学2軍の選手を集めた。その内に硬式野球部はメーカー、ディーラーは準硬式と言う様な事に成ってしまった。応援団も幹部が随分、入社して来た。

・皆、定年に成り、閑になり自然と神宮球場に集まる様になり「東京日産神宮ネット裏懇談会」と言う会を立ち上げた。その会場が、渋谷の中華レストラン「パンダ」なのである。個室があり値段もマアマア、コロナ前までは毎年やって居た。その案内文に「沈丁花の蕾が膨らんで...」とか書いたので、この時期になると「マッサン、沈丁花如何したのよ...」と電話が掛かって来る。色んな会合に使って居る店である。皆、「パンダ会」と言っている。今年の「パンダ会」又一味違う「パンダ会」だ。

・僕は、中学成蹊中学、高校で慶応に替わった。成蹊は小中一貫校旧制の高校時代は野球部も強かった。東大には、一時期成蹊出身者のレギュラーが3人位いた時期がある。今から20年位前に成蹊高校の野球部から慶応の野球部に入って来た子H君が居て、驚いた。「どうせ直ぐやめてしまうんだろうな。一度、会ってみよう...」と思い、連絡をどうせすぐ辞取って見た。「どうして慶応野球部に入ったの...」と聞いたら目を光らせて「成蹊の野球部から六大学お野球部に進んだ人は居ないので入ろうと思いました。」「そうか、それは立派だな...4年間頑張れよ...」ずっと新人戦から卒業まで見守って居たが立派に4年間勤めて、AJCに入り中国駐留を4年間勤めて今度帰国した訳だ。それで「パンダ会」をやりましょうと言う事に成った。「おい、君が中国へ行っている間に 成蹊出の女子マネ居たんだよ...」「ええ知っていますよ」「呼んで来いよ」「ハイ解りました」この子は入った時に一度、神宮で会った事がある。勤め先は、「三井物産」

・もう一人はS君、高校野球部中学を出た時に高校受験で7校受かったと言う子。大学では高校のコーチを暫くやって居たが、今はコンサルティングの会社に勤めているとの事。H君とS君も子供がいる。「何にするの?野球は遣りそうもないですね...」「元気なの?...」「うん、それじやいいじゃない...子供は親の思う様にはならないよ...自分たちを見て見ろ...」O嬢 「野球部面白かった?」「ええ、凄く視野が広がりました...」昔、僕らの時代は、女学生が日吉グランドに練習を見に来ると「当時のS監督は途端に機嫌が悪くなりノックがきつく成った。一体、女子が10人も部に居る時代、S監督だったら、どんな対応をするんだろうな?」

P、S
増田さん

夜分に失礼致します。
大学時代、慶應野球部マネージャーをしておりましたO,Sです。

改めまして昨日は素敵な会にご招待いただきありがとうございました。
初めて伺うお話に楽しませていただき、かつ美味しい中華までご馳走になり、大変充実した土曜日を過ごすことができました。
多少の違いはあれど、同じ環境下で学生時代を送った皆様とご一緒できとても光栄でした。
また成蹊-慶應会でお会いできますと幸いです。

もうすぐ春がやってまいりますが、まだまだ寒い日々が続きますので、どうかご自愛下さい。
お元気な姿でお会いできる日を心より楽しみにしております。
今後ともよろしくお願い致します。

From O

‘24-2-13 “確定申告の時期”

2024-02-12 21:45:07 | Massy's Opinion
  • Massy’s Opinion
さて、立春も過ぎ、何か不順な天候と自然災害に襲われて、政界は相も変らぬ下らない議論が続いている。経済情勢も全くバブルが弾けているのだろう、株式の色んな動きが話題をまき散らせている。その中で。沈丁花の蕾が日に日に大きくなって行く。例年なら「沈丁花の会をやろうよ...」と言う声が掛かって来る時期だが、未だにコロナの弊害が残っているのか?声は掛かって来ない。それでも、世の中は矛盾含みの儘動いて行き、今は「確定申告の時期」で日頃の勉強不足に悩まれている人も多いだろう。今週は我が家でも壊れるものが多く何かと大変である。日頃貯金をして置けばいいものを...6~70年前と金融、信用等の見方は色々変わって来ている。然し、「使えば減る...」と言う減価償却の事は言葉が、専門的で取りつきにくいので、理解が進んで居ない。そこで、古い原稿の中から、解りやすく書いたつもりだけど、解説をアップしよう。

*<耐久消費財を買う時の知識>          ‘01、9、3
 
  • -1 減価償却の知識
    耐用年数の長い消費財、住居、自動車、店舗内の設備、冷蔵庫等
    家庭用、業務用を問わず長期間使用する物は、1日、1月、1年単位で、その物のコストを把握しておくことが大事である。
    一般的に購入価格を使用予定年数(日数、月数)で割れば良い。
  • -2 償却の期間
    この償却費は企業でも家庭でも「費用」である。従って、法人の場合、公平な課税を行なう為、「法定耐用年数」を税法上定めている。一般的に耐用年数が過ぎた時に新品時の取得価格の10%が残存価格(=帳簿上の残価)と決められている。
(例) 自家用乗用車6年、業務用乗用車3年等、此れを法定耐用年数と云う。  
    自家用乗用車の場合  新車取得価格2,400千円 の車を6年使うと
    6年目末の価格=7年目初めの価格は
2,400千円-(2,400千円x90%)=240千円(残存価格) 
     2,160千円を6年間で使った事になる。
        1年間 2,160千円÷6年  =360千円 
        1ヶ月  360千円÷12ヶ月 =30千円
        1日    30千円÷30日 =1千円
  • -3 償却の方法 (価値の値べりの見做し計算)
    ・法定定率償却 1年目 2,400千円x31、9%=752千円(償却額) 
     年率31,9%  2年目 2,400千円-752千円=1,648千円 
                  1,648千円x31,9%=526千円(償却額)
             3年目 1,648千円-526千円=1,122千円
                  1,122千円x31,9%= 358千円(償却額)
             4年目 1,122千円-358千円=764千円
                  764千円x31,9%= 244千円(償却額)
             5年目 764千円-244千円=520千円
                  520千円x31,9%= 165千円(償却額)
             6年目 520千円-165千円=355千円
                  355千円x31,9%= 113千円(償却額)
             6年目末 355千円-113千円=242千円  
    ・法定定額償却  前記 例題と同じ
    ・リース期間対応償却 リース会社等で使われる特殊な方法
  • -4 金利の知識
金利、地代は経済の中で、不労所得と呼ばれる物である。最近の様に金融のスキムが発達している時代には耐久消費財を購入する場合、絶対に必要な知識である。
 ・金利の特性 長期(一般的に期限が1年以上にわたるもの)が利率は高い
          短期(一般的に期限が1年未満のもの)長期に比べて利率は低い.  長期が高い理由は、経済成長、貸し出し側のコストアップ、借り手側の変化に対する危険負担等がある。金利の高低の基準は公定歩合(日銀が都市銀行に貸し出すレート)である。
  • -5 信用供与
一般的に金、土地、家、部屋、自動車等は売り手、貸し手側が買い手、借り手側の信用を調査し、契約に進む。これはその契約が長期に渡る為である。現在では,]消費者の信用調査機構は何処の国でも先進諸国では発達をしているが、一番大事な事は取引実績(history)である。特に外国人の場合、相当長期に亙る実績が要求される。日本の場合、自動車には法律で所有者、使用者が分けられて登録出来、然も土地、建物同様に登記して権利の保全が出来るので、信用供与は比較的ゆるくなっている。然し、50年位前は、自動車価格も相対的に高価であり、月賦販売の場合月賦が終わるまで、車の所有権は売主に成って居た。他に個人でも手形を切り、不動産をもつて居る人の保証が必要だった。現在は自動車販売会社が債権をクレジット会社へ売り渡す方式、(購入者はクレジット会社と借り入れ契約)等が多く取り入れられている。
・ -6 リースとレンタル、バンク(銀行)とノン・バンク(銀行以外の金融機関)
・リースとレンタル 区別は明確ではない。日本では’63年自動車リースが始められた。特に最近、日本ではリースと云う言葉が氾濫しているが、現状は売り手側も買い手側も良く解っている人は少ない。解りやすくする為に次のような整理が必要である。アメリカでは“For Leasing“と云う看板が土地、部屋、家等の場合には多いようだ。辞書を引いても明確ではないが、
・「リースは1年以上の期間に亙り、特定の対象者」                 
・「レンタルは1年未満、不特定多数」  と考えると解り易いだろう。
・「バンク」 預金を預かり、そのお金に利息を載せて貸し出す金融機関
・「ノン・バンク」 貸し出しだけする金融機関(消費者金融)資金は銀行、生保等からが多い。 耐久財を長期に亙り貸し付けるリース、 短期少額を数多く貸し付ける等である。 従って、高金利(担保が無い為)である。ノン・バンクの乱立やリースの氾乱は銀行業界の貸し出し競争の一つの手段である。
  • -7 まとめ
いずれの方法もその本質を知って利用する事が大切である。現金で買うのが一番間違いが無い。リースを使う場合はリース料総額と現金価格の比較をする事が大事である。その差額が金利である。


‘24-2-6 Diary 205

2024-02-05 22:26:14 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
1-3 Megu 帰米。
今年のお正月は、生まれて初めて、お屠蘇も無し、お雑煮も無し、お餅も無し、全く普段の日と同じペースで済ませた。Meguの帰米は仕事の都合もあるのだろう、予定通りの3日、今年は成田発で12時に家を出た。例年は空港まで行って、お寿司を食べて時間を待ち別れるのだが、今年は浜田山駅頭での別れ...本当に区切りの無い正月に成った。玄関のドア―に松飾のリース一つ、門松も一切なしの正月だった。Meguは帰京後、殆ど毎日阿佐ヶ谷の河北総合病院へママの見舞いに自転車で行って居た。いいトレイニング成っただろう。それでも、家の掃除は殆ど例年通り...静かな、気掛かりの多い正月お三が日。

1-5 New Heart 定期健診
今日から一般的に通常業務に入った。ペース・メーカーの検診。医師の指示通りにやったが心電図は取らなかった。総合診断は「順調です。10年持ちますよ...」去年も言われたから去年は1年目の検診だったので、1+10年=11年機械は持つことになる。何かおかしいよね。それでも、「問題なし」なので先ずは安心。それにしても正月早々病院は混んでいた。

1-11 淑 転院 リハビリへ
12月7日事故、12日手術、その後。1ケ月で先ずはここまで順調な回復。これからのリハビリが、幾日掛かるか?河北リハビリステイション病院への転院。早朝8時半の総合病院から出発。車はどんな車だろう?営業車かな?救急車と同じ様な車椅子が載せられる車だろうな...と特定なタクシー会社との契約車かな?とか考えて居たが、白ナンバーの救急車仕様だった。今、ライド・シェアーの問題が出て居るが病院からは「車代5500円別途です」と言われた。「自家用自動車の有償貸渡の禁止」に触れる問題。患者の方は、安心だよね。難しい問題を考えながら無事リハ病院に着き一安心。リハ専門の病院は総合病院とは雰囲気が独特。リハ室が広い患者は生死不明と言う人は居ない。従って、明るい。
 
1-13 新派 「東京物語」三越劇場
前回、ブログに感想を書いてある。寒い、雪、そば、酒何か新派の舞台が揃っている様な1日だった。改めて、日本橋三越本店の重厚な建物やライオン、再開発ブームの中でどうなるのだろう。

1-26 いい人会 於 新橋亭
昔、大学を卒業した頃(1957年)、日本橋界隈に務めていた同級生が結構いた。そんな連中が日本橋のうなぎ屋で始め会合が「いい人会」である。言い出した人物は、とっくの昔に亡くなって居る。そんな昔日の事を思い出して有志から声が出て馴染みの新橋亭でこの日に昼食会が開かれた。参加者は15名女性が5名4人は同伴の奥様方。僕は殆どの参加者は顔馴染みだけど、ステッキが6本、補聴器が3個、ペース・メーカーの先輩が二人いた、一人は10年で交換済み、一人は経過年数7年色々暮らしぶりを聞いたが、奥様が良く知っていて、非常に参考に成った。

‘24-1-30 “Annual Tokyo Visit

2024-01-29 22:13:12 | Megu's Sports
★Megu’s Sports
*今回の、東京訪問。うちの母ちゃんが、12月6日あたりに洗面所で転んで、大腿骨骨折をした。大腿骨骨折は、2回目。3年ほど前に、大腿骨の首を折っている。高齢者で大腿骨や骨盤の骨折をすると、寝たきりになってしまう人が多い。歳も歳なので、“これは、やばい”と思った。前回の骨折をしてから、リカルボンという骨粗鬆症の薬を飲んでいた。担当医によると、この薬は、骨がチョークのようになり、折れやすくなるということだ。そもそも、骨を強くするはずの薬が、何で骨を折れやすくするのか、何でそのような副作用が知られていながら、市場に出ているのかと思わざるを得ない。母ちゃんは、大腿の痛みを骨折の3週間ほど前から感じていた。亀裂骨折していて、それが折れて転んだのか、滑って、折れてしまったのかは、わからないが、骨粗鬆症の薬を飲んでいる人の中では、記事になる程、頻繁に大腿骨骨折があるようだ。

*日本の病院:そういうわけで、私が帰国したのは、母ちゃんの手術後12日目。救急病院なので、リハビリといっても一日20−40分程度。この時点では、まだ手術をした方の足は、動かせないけど、反対の足とか、上半身とか動かせる部分のリハビリの指導はしてくれない。以前から言っているけど、高齢者が長期入院していて問題になるのは、寝たきり・運動不足で日常生活に戻れるスタミナを失ってしまうこと。また、それによって肺炎などの病気になってしまうことも少なくはない。いくら忙しい病院だからって、高齢化社会を考えて、リハビリのアプローチを大きい視野で見て、見直してもらいたい。

*家の中のこと:こんな状態で、お茶のひとつも入れられない親父は、どうしているかというと。超幸いにも、家の向かい側にいる幼馴染が、前回母ちゃんが骨折した時から、週3回ほど、洗濯と買い物をしてくれている。その彼女が、親父の朝・晩御飯を作りにきてくれている。感謝としか言いようがない。

改めて感じたことは、うちの母ちゃんと親父、お互いの役割があって、自分の“仕事”以外のことは、よく理解していないというか、できないようだ。あれだけキャリアのある親父、銀行でATMの使い方がわからない;どこに自分のパジャマがあるのか知らない。母ちゃん、仕事の書類がまとめられない;保険の内容を把握していないなど。文句を言いながらでも、二人だから物事が成り立っていっているのだろう。

*理学療法士:実家にいる間、親父の理学療法士に会う機会があった。彼とは、親父のリハビリのことで、一度、オンラインではあっている。辛抱強く、性格の良い若者。私が、オンラインのリハビリで、できないとこをやってくれている。親父は、3ヶ月ほど前に痛風で歩けなかったのを機会に理学療法士に来てもらうことにした。その時に比べると、かなり動けるようになっている。90歳になっても、動けば、良くなるといういい例だ。運動を続ける鍵は、楽しいこと・好きなことである。親父と、久しぶりキャッチボールをした。親父は、野球がやっぱり好きで、キャッチボールは、Hand-Eye cordination、体の回転、スクワットと色々な要素が含まれている。なので、理学療法士さんに、親父を外に出す良い口実になるから、キャッチボールを取り入れてって、頼んできた。

*新年:Bumpyなスタートだけど、今年はどんな歳になるのでしょうか。健康第一で、良い年になることを、願うしかありませんね。


‘24-1-23 ”世情雑感“

2024-01-22 22:48:09 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
先々週、大谷君の事を書いた、将来、日本の政治家に成れと言う事だ。朝日新聞の「声」欄に投稿したけれど未だに掲載されない。沢山投稿がある中で新聞としても色んな配慮があるのだろう。今、ドジャースで今年どんな活躍をするだろう?と言う期待が多いのだろう。揉めに揉めている自民党に対する配慮もあるだろう。勿論、大谷君本人の意向が大事な事は解って居る。先ずお金の心配いらない。選挙活動をしなくても票は集まるだろう。しかも、国際的に知名度があるのだから外交も心配ない。40歳までは精一杯野球を遣ればいい。5年間、勉強して政治家に成れ。普通なら何処かのチームの監督かオーナーだろう。勿体ない...何故、僕がこういう意見を言うかと言うとこれまでの君の「努力」を知っているからだ。人に忖度をせずに野球の為に遣ってきているからだ。人間は誰でも「もっといい地位に着きたい…」「お金が欲しい」と考える者。
今の日本は政治家に本当に人物が居ない。その結果自民党見たいに成ってしまう。酷い物だね。僕も人並みにサラリーマン生活を送りかなり近い所で色んな人間模様を見て来た。幸いに良い先生と良い上司に恵まれて社会の勉強をさせて貰った。今の自民党、岸田さん
本当に何を考えて居るんだろう?野党も不信任案の連発をしたらどうだ。安倍さんキックバックを止めろと言ったらしいが結局長いもの巻かれてしまったのだろう。安倍暗殺の犯人の裁判、判決、世論がどうなるのだろう?日本は本当に駄目な国に成ってしまうかも知れない。
さて、話は変わるが、世界の戦争は、これまた酷いものだ。これでトランプが大統領成ったらどうなるのだろう?屹度ウクライナの援助を止めて、プーチンと手を握るかも知れない。僕は、中国の「一帯一路」に期待をしていた。地球温暖化のまず一歩は「通行区分
の世界統一」だと思っているからだ。自動車は電気自動車が自動化より先に広がっている様だ。しかし、相変わらず発展途上国には、ハンドルの左右関係なしに中古車の輸出はされている様だ。やがてこれらは有毒排気ガスの発生源なるだろう。昔の侍の中には左効きも居た筈だ。それなのに刀を右側に差している武士は見たことが無い。世の中のテンポと言うのは予想外にユックリとしたものなのかもしれない。コロナ騒ぎが世の中を変えたとは間違いないだろう。もう高層ビルはいらない。これから60年後、大規模修繕どうなるんだろう?今でもマンションの管理組合は大変だ。兎に角、最近の世の中、おかしな事ばかり…早く野球の季節に成らないかな。待ち遠しい…。







‘24-1-18 ”久々の新派 観劇“

2024-01-15 22:19:17 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
1月13日三越劇場 にて  「東京物語」初春新派公演 劇団新派
*最近では、水谷八重子と言っても余り知っている人は居ないだろう。此のコロナ流行以来世の中がスッカリ変わってしまった。僕自身、5年前は85歳、今は90歳を迎える。
世の中の一番の変化は平和ボケしていた世界の人に与えたウクライナ戦争とコロナの流行、それにスマート・ホーンだろう。

「東京物語」は、小津安二郎と言う映画監督で脚本も書いた人で、1953年にこの映画を作ったとされている。名監督の代表作と言われている作品である。内容は子供を東京に出して独立した子供たちを老夫婦が東京見物をしに上京し、その帰りぎはに老お母さんが病名(心不全、脳梗塞等)は解らないが倒れて亡くなってしまう物語である。主役は新派座長の水谷八重子、田口守の老夫婦と言う事になる。昔はこう言う話は結構多かったと思う。今の時代では兎に角、コロナで人の集まる事も禁止されるような時代で、葬式も家族葬が普通に成ってしまい、今の若い人には、解りにくい話かもしれない。役者は新派劇団総出である。舞台は医者をしている長男の家が中心で、味付けに長男の子供が二人出てくるが、「可愛いし演技を如何やって覚えさせるのだろう?」「いずれ役者の子供で、将来は役者になるんだろうな...」と思った。

役者は、八重子は昔アイドルの良重、八重子の名跡を波乃久里子と争ったとか?言う話もあったが。今の序列は良重、久里子と言う事で、それぞれに持ち味を出して居る。然し、八重子は肥ってしまって、昔を知っている僕には、「もう役も限られるな...」と感じさせられた。然し、未だジャズ・コンサートをたまにはやっているとの事。僕は一度聞きに行きたいと思って居る。田口守さんも老父役が合うように「年を取ったな」と感じた。
僕の御贔屓の瀬戸摩純さんは、死んだ次男の嫁と言う役、「少し痩せたかな...」と言う感じがした。出番は少なめだったが、奇麗なのは光っていた。此のコロナの間、5年位は朗読劇しか見ていないので、久しぶりの舞台、昔を想いださせてくれ、面白かった。

今回は殆ど同年代の同窓生(男2、女2三味線を弾く人)だったので、帰りには「砂場」で軽く飲んでお蕎麦を食べて慶応高校の優勝の話から、観劇の感想等、色んな話をして、帰りの雪の中へ出た。

僕が新派の話をすると、聞いている人は「嘘だろう」と言うが、実は僕は大学4年の12月、もう野球が優勝で終わって遊びまくって居た時、明治座で先代八重子と大矢市次郎の「鶴八、鶴次郎」と言う恋愛物を見て、凄く刺激を受けたのである。歌舞伎はどうもセリフが解りにくい。その点、新派はセリフが解りやすい。それに、父方のお祖母さんの妹が赤坂で料亭をしていてよく遊びに行った。お祖父さんの妹は踊りの師匠をしていたので,三味線の音には凄い近親感がある。昔は親戚縁者の関係もゆったりして居ながら親密だった。この移り変わりの激しい世界の中で、新派も目標を模索中だと思う。観客は9割位の入りで客が女性客75%位、若い女性客(30代未満)が10%位だったかな...