まさおさまの 何でも倫理学

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私語の世界(その4)・私語にどう対処するか?

2010-03-29 16:34:59 | 教育のエチカ
 いよいよ、講義中の私語にどう対処したらいいかという本題に入っていきましょう。最も重要なのは個別に対処するということです。全体に対して注意したり、怒ったりしても意味がありません。私語をしているその本人たちに対して直接働きかけなければなりません。一番基本となるのは、すでにお話ししたように、私語がほんの少しでもあったら、絶対にそれを無視して講義を続行してしまわないということですが、その際に、私語している人たちのほうをジーッと見つめてあげるというのが効果的です。私語している子たちは、自分たちの私語が人に気づかれているということに気づいていません。特に、講義をしている教員に聞こえているとはまったく思っていません。ですので、講義を中断し教室が静かになれば、私語している子は異変に気づき何が起こったんだろうとこちらに注意を向けますし、そうしたら先生と目が合って自分たちがジーッと見つめられていたら、教室が急に静かになってしまったのは自分たちのせいであったということに気づけるのです。
 福島大学のM教室くらいであれば、ほぼすべての私語はこれで根絶することができます。L教室くらいの大きさになると、後ろのほうに座っていると自分たちが見つめられているということに気づかず、講義が再開された瞬間にまた私語を始めるということもありますので、もう一押しが必要になるかもしれません。ただしここで、私語をしてはいけないと決めたのに私語をするとは何事だといきりたつのではなく、落ち着いて大人の対応をしてあげることが大事です。そもそも、なぜ人は私語をしてしまうのでしょうか。それは人間が、ひとと情報を共有したがる動物だからだと思われます。特に、仲のいい相手とは頻繁に濃密に情報を分かち合いたくなるものです。このような情報の共有を、だれか第三者が話をしているときにもやってしまうと、それが私語となるわけです。私見によれば、私語には 「よい私語」 と 「悪い私語」 があります。よい私語とは、その第三者が話している内容に関連する事柄を話している場合です。悪い私語とは、話の内容とはまったく無関係なおしゃべりをしている場合です。人はわからないことがあったら誰かに聞きたくなりますし、今見聞きしているものに関連することを誰かと話してみたくなるものです。それによってよい私語が発生します。また、人は退屈すると有意義に時間を使いたくなるものです。これが悪い私語の原因です。
 私は、よい私語は大切にしたいと思っています。よい私語というのは、講義に対する興味・関心の表れですから、それを注意したり怒ったりしてしまうと、せっかくの学生のやる気を殺いでしまうことになります。そこで、誰かが私語をしているときは、それはきっと 「よい私語」 にちがいない、どうしたんだろう、何かわからないことがあったのだろうかと反省してみるようにしているのです。そして私語していた子たちに直接聞いてみるのです。「なに? どうした?」 こう聞いてみるとたいていの場合、私の板書の字が読めなかったか間違っていたかして 「あの字なあに?」 と困っていたとか、話の内容が難しすぎて理解できず隣の人に聞いていたということが判明します。福大生はまじめですので、私語があったとしてもたいていはこの手のよい私語であることが多いと思います。これは教員に対する学生からのフィードバックですので、怒るよりも活かすようにしたほうがいいと自分は考えています。
 万一それが悪い私語であったとしても、それはそれで学生からのフィードバックだと言えるでしょう。彼らは授業に興味をもてずに退屈しているということを伝えてきてくれているわけです。そんな彼らに対しても、とりあえず私語をやめさせるというだけであれば、「なに? どうした?」 と聞いてあげる方法は功を奏します。私語をしていた人たちに直接個別的に聞くわけですから、君たちは今何かしゃべっていましたね、それは講義に関係あることを話していたのですか、もしも関係ないのだとしたら君たちはみんなが講義を聞く権利を侵害していたことになりますね、というメッセージになるわけです。こう聞かれると、まず十中八九 「いえ、何でもありません」 と言って私語をやめます。ここで 「ではなぜ話していたんだ、私語はいけないと決めてあっただろう」 とダメ押しをして説教を始めるという手もあるかとは思いますが、私はそれはしないようにしています。他の学生が講義を聞く権利を保障するのがそもそもの目的ですが、ここで説教を始めてしまうと権利侵害が拡大してしまうからです。「なに? どうした?」 の一言で悪い私語も封じ込めることができれば、そのほうが他の学生たちに与える印象はよくなるでしょう。
 もしもそれでも私語をやめない学生がいたとしたら、近くまで行って私語をしていた学生をきちんと特定して氏名を聞きそれを書き留め、授業後に自分のところまで出頭するように伝え、説教は授業後に本人たちに対してのみ個別的に行うようにします。福島大学でここまでする必要に迫られたことはありませんが、たとえそのような状況に追い込まれたとしても、他の学生たちの権利保障が目的であるということを見失わないようにしたいと思います。また説教する際も、人間は私語する動物であるということを念頭に置いて、その学生を全否定してしまうのではなく、他の学生たちが講義をちゃんと聞けるような環境を作るのに協力してほしいというスタンスを保っていたいと思っています。根本は、私たちだって教員会議中に私語してるよね、なのです。
 私語する動物である人間に私語をさせないようにするための方策として、最後にもうひとつだけ付け加えておくなら、私語してもいい時間を与えてあげるようにするということが挙げられるでしょう。私語する動物が90分間も黙ったまま人の話を聞き続けるというのは至難の業です。ですから、時々は息抜きも必要です。私の場合は、よい私語の時間と悪い私語の時間を設けるようにしています。講義内容について近くの人と話し合ってもらうようにする時間、それがよい私語の時間です。これはそのつど適切な課題を与えて積極的に話し合ってもらうようにしています。それから、例えばプリントを配布しているあいだとかはザワついていても容認しています。これが悪い私語の時間で、この場合は自由におしゃべりできるような雰囲気を醸し出すようにしています。このように90分間の中でメリハリをつけ、講義に集中する時間と、ブレイクする時間を作ってあげると、私語する動物が私語をしないでも何とか我慢し続けられるようになるようです。
 私語する動物である人間に私語をさせないようにするためには、なぜ人が私語をしてしまうかをよく理解した上で、それを未然に防いだり、やめさせたりするための具体的な手立てを考案していく必要があるでしょう。私たちだって私語をしてしまうのです。そのことを忘れずに、寛大な気持ちでこの問題に取り組んでいきたいと思います。

以上、4回にわたって連載してきた 「私語の世界」 はこれにて完結です。
ちょっと分量が増えすぎてしまったので、FD関係の媒体に投稿する際は、
あちこち手を入れなければならないでしょう。
完成バージョンもそのうちアップすることにしたいと思います。

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