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団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

女性は「経験したことがありますから・・・」と笑顔を浮かべていた。

2019-07-26 02:47:22 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「スマホ借りて助かった」というタイトルで67歳の女性が投稿されていました。




 携帯電話を家に置き忘れたまま私は名古屋から新幹線に乗って大阪に向かった。
娘と出口がいくつもある大きな駅で待ち合わせていた。

 まずは携帯電話を忘れてきたことを娘に知らさなければと思い、
新幹線内の公衆電話を探した。
ようやく見つけたが、テレホンカードでしか電話をかけることができず、
私はうろたえてしまった。

 そんな私を見かねた若い女性が「私のスマートフォンを使って」と言ってくれた。
幸い娘の電話番号は手帳に書き留めて合った。

 娘は身に覚えのない番号に出てくれるのだろうか?
出なかったため諦めてスマホを女性に返したら「2〜3回かければ出ますよ」と
自らリダイヤルし続けてくれた。
何度目かにつながり私が電話口に出たら「あ〜ら!お母さんなの!?」と娘の驚く声が聞こえた。

 女性は「経験したことがありますから・・・」と笑顔を浮かべていた。


 以上です。


>娘は身に覚えのない番号に出てくれるのだろうか?
出なかったため諦めてスマホを女性に返したら「2〜3回かければ出ますよ」と
自らリダイヤルし続けてくれた。

今はオレオレ詐欺などの電話がかかってきますから、登録された名前以外の番号は
出ない方が多いですよね。

 私も極登録されていない電話番号は、ほとんど出ません。
至急の電話は、留守録に吹き込んでくれるはずですし。

 でも困ることもあります。
コメダ珈琲へシロノワールを食べさせようと孫3人を連れて行った時です。
かみさんの運転でコメダ珈琲に行ったのですが、てっきりかみさんも一緒に食べるかなと
思いましたら、車から降りずそのまま帰ってしまったのです。
孫たちが食べ終わった頃の時間に迎えにきてくれるかなと思いましたが、
1時間過ぎても迎えにきません。
携帯電話を持参していなかったので、コメダ珈琲の電話をお借りして自宅にかけても
電話に出ません。
10分後に再度電話をかけても出ません。
留守録にもなりません。

 やむなくこの投稿者さんのように、2〜3度電話をしたら、やっとかみさんがでてくれました。
「知らない電話番号だったので出なかった」と言いました。(苦笑)
登録していない電話番号に出ないということは、身を守るのには大切ですが、
このような弊害も起こりますね。(苦笑)







悲しき片想い/ヘレン・シャピロ
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クジラといえば、中学校の弁当のおかずにクジラの肉一枚だけが入っていたのを思い出します。

2019-07-25 03:53:12 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「商業捕鯨再開 誰のため」というタイトルで80歳の男性が投稿されていました。




 日本が31年ぶりに商業捕鯨を再開した。
捕獲対象はミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラに限定され、
年間の捕獲頭数の上限は調査捕鯨だった昨年の6割という。
操業は日本領海と排他的経済水域に限られるそうだ。
それにしてもなぜ今、商業捕鯨再開なのだろう?
近い将来、南極海での操業を目指しているのではないかといぶかりたくなる。

 確かに日本ではかってクジラを食べる文化があった。
私も学校給食で食べたあの味をかすかに覚えている。
でもそれ以外で、クジラを食べたという記憶は正直ない。

 果たして現代の日本人の多くはクジラが食卓に並ぶことを
本当に臨んでいるのだろうか。
希望したとしても、昨今の飽食の時代の末としての
いまだ口にしたことがないという興味本意ではないのか。
とすると商業捕鯨を再開したいと思っているのは一体誰なのだろう?


以上です。


 私も投稿者さんのご意見に賛成です。
今更商業捕鯨を開始するなんて、何の意味があるのかな?と思います。

 クジラといえば、中学校の弁当のおかずにクジラの肉一枚だけが入っていたのを思い出します。
今と違って牛肉なんて高くて手が出ませんでした。
クジラの肉は硬かったです。
先日 いきなりステーキのランチの肉が硬かったと言いましたが、クジラの肉も
そのくらい硬かったです。(苦笑)
お袋の味付けで美味しく食べれましたが。

 私が子供の頃はクジラの肉が安かったので需要がありましたが、
今は牛肉、豚肉、鶏肉が安く手に入ります。
世界中から非難される商業捕鯨を無理して行う必要はないと思います。

 そういえば息子が静岡に転勤していた時、
静岡のスーパーでは、イルカの肉を売っていたそうです。
私はそれを聞いてびっくりしました。
息子に「味はどうだった?」と訊きましたら、
「まずかった」と言っていました。

 どうもイルカの肉は不味いようです。
それなのに、あのかわいいイルカを肉にするんですね。
イルカ漁も世界中から非難されているのに。









Paul McCartney - "Abbey Road" Medley ft. Eric Clapton, Phil Collins & Mark Knopfler (Live)
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割に合わないと思うことはいろいろとありますが、今は我慢、我慢です。

2019-07-24 02:14:32 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「時短勤務 今は我慢我慢」というタイトルで35歳の女性が投稿されていました。




いずれも就学前のわが子二人を抱かえながら損害保険会社の内勤をしています。
通常よりも就業時間が1時間少ない「時短」の勤務を続けています。

 この会社には大学卒業後に入社し、産休、育休も経験しただけに、
会社はいわば私のもう一つの家のような存在となっています。

 会社のおかげで私はわが子のお母さんでありながら、
自己実現を果たせる仕事が続けられることにとても感謝しています。
ただ周囲が仕事をしているのに「お先に」と言って慌ただしく席を立たねばならず、
そのことにいつも後ろめたさを覚えます。

 今は残業ができないため、その分、
昼休みの時間を削るようにして周囲と同じ仕事量をしなければなりません。

 「時短」の勤務だと当然給与や賞与はそれぞれ減額されます。
割に合わないと思うことはいろいろとありますが、今は我慢、我慢です。


 以上です。



>ただ周囲が仕事をしているのに「お先に」と言って慌ただしく席を立たねばならず、
そのことにいつも後ろめたさを覚えます。

 投稿者さんのお気持ちはよくわかります。
仮に私が投稿者さんの同僚だったら、訳はわかっていても時々は「早く帰れていいな」と思うでしょうね。(苦笑)


>「時短」の勤務だと当然給与や賞与はそれぞれ減額されます。
割に合わないと思うことはいろいろとありますが、今は我慢、我慢です。

 これは日本の企業は時間で仕事を計るからだと思います。
難しい問題はあるでしょうが、仕事量で計れば問題が解決するのでは?

 残業が多い人は仕事ができないからではと思つている上司も多いです。
働いた時間ではなく、仕事量で計り評価すれば、時短という問題の解決につながるのでは。

 では仕事量を計るのは誰がするかというとAIに依頼する以外ないでしょうね。(苦笑)
そのような判定ができるAIができたら、評価の問題も解決するように思うのですが。

 勤務時間が1時間少ない投稿者さんは、仕事量をこなす為昼休み時間も削らなければいけないようですが、
その見返りが給与・賞与に反映されていないようです。
勤務時間でなく、仕事量で評価するように変われば、たとえ勤務時間が1時間少なくとも給与・賞与が減額されることはなくなると思うのですが。









Eric Clapton - Over the Rainbow (with lyrics)
コメント (4)
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あの温かく柔らかな触感を思い起こすだけでとても幸せな気分になることができた。

2019-07-23 02:28:32 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「手術の日『天使』に感謝」というタイトルで80歳の男性が投稿されていました。



 前立腺肥大のため愛知県新城市の市民病院で4年前に手術を受けたときのことだ。

 2〜3時間の手術後に意識が戻ったら「皆さんは白衣の天使です」との言葉が自然と口に出た。

 近隣のいくつかの病院をたらい回しになった上、
この市民病院でようやく手術を受けることができたからかもしれない。

 私の目は涙であふれていたらしく、看護師がガーゼのような布でそっとぬぐってくれた。

 手術を受けたその夜、
病室で横たわっていたら右手の甲を2〜3回さすられた気がして目が覚めた。
巡回中の看護師が私の手を取ってくれたのだろう。
廊下を歩く彼女のシルエットが見えた。

 あの温かく柔らかな触感を思い起こすだけでとても幸せな気分になることができた。
退院するまでの間、白衣の天使たちには何かにつけてよくしてもらった。

 あの日のことは今も忘れられず、お世話になった病院関係者には本当に感謝している。


 以上です。


 私は30代と40代に椎間板ヘルニアで長期の入院をしましたが、
看護師さんが「天使」には見えなかったです。(笑)
そんなに親切にされた記憶がないです。
親切にされたのかな?

 一昨年の3月に白内障の手術をしましたが、手術後 控え室に戻る時
看護師さんが手を取って控え室に連れて行ってくれました。
その時は、少し天使に見えたかな。(笑)

 自分が弱っているときに優しくされると天使に見えますね。






Otis Redding-Sitting on the dock of the bay
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今もオシロイバナの咲くころ思い出す。

2019-07-22 02:59:52 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「淡い青春」というタイトルで、89歳のご婦人が投稿されていました。



 1944年、14歳で名古屋の軍需工場に入社した。
職場の前には、研究室があった。
よほど大切なのか、窓は閉ざされたまま。
かっぷくの良いおじさまが窓越しに横切るのが見えるばかりだった。

 6月終わりの朝、珍しく窓が開き、若い男性が爽やかな笑顔をくれた。
とっさのことに驚いた私は、何も返すことができなかった。

 同期の仲間に話すと、
「私らも見たい、どんな人?」とたちまち話題になった。

 まもなく、その男性と昼休みに時々会えるようになり、私たちのざれ言も笑顔で聞いてくれ、
みんな元気になった。

 空襲の恐怖と空腹に耐える私たちには天使のような人だった。

 8月の暑い日、職場を出ると、その人がいて突然「第二研究室まで一緒に行こう」と言われた。
しばらく歩くと「少しだけ時間大丈夫?」と聞くのでうなずくと、
細い路地の小さな空き地に行った。

 「きれいね」と言うと、「これはオシロイバナって言うんだよ」と、
黒い実をつぶし私の頬につけた。
みんなに話したかったが、胸に大切に秘めた。

 45年春、その人は突然消えてしまった。
召集なのか、天に召されたのか、知るすべもなく、戦争を恨んだ。

 今もオシロイバナの咲くころ思い出す。
幸せと、悲しみを。


 以上です。






 オシロイバナは秋に咲くそうですが、この投稿文では夏に咲いていたんですね。
この投稿者さんが
「今もオシロイバナの咲くころ思い出す。
幸せと、悲しみを。」と、書かれています。

 青春時代の淡い恋の幸せと突然の別れの悲しみ。
戦争がなければ。

 非常事態の世の中に、ひとつの淡い青春があったんですね。













Mariya Takeuchi & Tatsuro Yamashita - Summer Vacation
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