さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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膵臓に関する記事は、あくまで素人の作った内容です。
間違いが含まれている可能性はありますので、あくまで自己責任ということで情報を利用してください。

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病院の不思議

2024年02月01日 09時39分00秒 | 慢性膵炎の通院
今日は三ヶ月に一度の膵臓の通院日です。
午前中は大概、血液検査が激混みなのに、
今日はガラガラ。
どうやら、雨が降っているからだと思われます。

病院の不思議なのですが。
大病院で予約制であっても、雨の日は空いてます。
雨で行かないような病院なら、行かなくてもいいんじゃあ?(笑)

最近は病院といえば、母の通院付き添いが圧倒的に多くなってます。
Dr.によって持ってる患者数が異なるのは当然ですが、
患者の呼び出し状況を見ていると、
私の主治医が圧倒的に働いてます。

仕事あるあるではありますが、
仕事は出来る人のところに集中するんですよね。
先生あれだけ働いても給料一緒ですよね、多分。

昨日、ゲッターズ飯田さんのYouTubeを見ていたら
忙しいというと運が落ちるらしいので(笑)
今後は忙しいという言葉は極力封印したいと思います。
忙しいと言ってる人に人は誘いを掛けたり、声を掛けたりしないので、
いろんな出会い運を逃すそうな。(笑)
忙しくても基本、人からの誘いは断らないようにはしてはいますが。

だから、これからはこう言いましょう。
日々が充実していて、幸せですね。(無理矢理(爆))

診察、検査結果待ち中・・・。
眠くなってきた。

1月も終わり・・・

2024年01月30日 23時23分24秒 | たわごと

三が日はのんびり過ごしたものの

その後、キョーレツに忙しい日々が続いております。

そして、気が付けば1月が終わろうとしております。

1月は母の通院付き添いがなんと5日間。

(糖尿病内科3日、血液内科1日、肝臓内科1日)

で、私の観劇お出かけ3日。

用事の合間に仕事をしているのか、仕事の合間に用事をしているのか

どっちがどっちかわからなくなりそうですが、

とにかく忙しい!!

忙しすぎて、病み上がりの母を放置しております。

なんのスパルタ?って感じですが、

幸いにも母は日に日に元気になっており、

少しずつ家のことができるようになってます。

仕事の日は午前中にだけ顔を見た後は、

私が帰った時間には母は寝ている・・・という状態ですが、

帰宅後に大事件が・・・いうことには幸いになっておりません。

介護保険で借りていた手すりも半分は返却しました。

母としては最終的には全部返却したいそうです。

(やる気があるのはいいことだ。)

父の17回忌を迎えることが、まずは目標だそうです。

 

先日、仕事と用事の合間を縫って、清荒神にお詣りしてきました。

去年のおみくじは大吉だったので、

あの怒涛の日々が大吉???と大クエスチョンマークがつきましたが

あの世に行ってても全くおかしくなかった母が復活したので

大吉であっているのかもしれません。

そして、今年もおみくじは大吉でした。





年末からずっと忙しいのですが、

この忙しさを問題なく続けられることが

大吉ということなのかもしれません。

今週来週はさらにまたまた忙しく、母だけではなく

ブログも引き続き放置プレイが続きそうです。💦

 

でも、忙しい日々を過ごせるということは幸せなことですから、

感謝を忘れずにやりたいですね。

今日は母の血液内科の診察日だったのですが

「タチの悪いコロナが流行っているから気を付けて。」

とのことでした。

みなさんも、お気をつけくださいませ。

(ただ、私の感覚的にはインフルのが流行っております。)


本年もどうぞよろしくお願いいたします

2024年01月07日 17時10分27秒 | たわごと

遅くなりましたが。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

元日早々、大地震が発生し、

おめでたい気分ではなくなってしまいました。

一年の計は元旦にあり、というぐらいですから、

今年は災害に注意しなければならないのでしょう。

北陸の温泉街は被害が少ないところでもキャンセルが相次いでいるらしく、

余震が落ち着いたころに北陸に旅行すれば

被災者支援になるかなと考えています。

 

さて、今年は辰年。

辰にてへんをつけると「振」、

あめがんむりをつけると「震」になるので

地震が多くなる年だとかいう説もありますが、

干支は旧暦でいくので、まだ卯年です。

本当の辰年になる節分までに

被災地の状況がある程度落ち着くことを願っています。

 

今年の抱負としては、

忙しいからといってイライラしない、です。

性格的にイライラしないのは難しいのですけれども(笑)

イライラしたところで効率はあがりませんので、

心穏やかに過ごせるよう心掛けたいです。

 

今年はコロナ渦以来4年ぶりぐらい家族がみんな集まって

にぎやかな年末年始となりました。

母も無事に新年を迎えられました。

今年のおせちです。



かまぼこを弟に切らせたら一番うまかった。(爆)
私が切ると等間隔の平行に切れないんですよね。
これからは弟の仕事に決定。(笑)

どうぞ良いお年を

2023年12月28日 23時43分48秒 | たわごと

今年の年末年始は数年ぶりに賑やかになりそうです。

そういうご家族は多いでしょうね。

もう随分前のような気がしていますが

コロナが5類になったのも今年の5月で、

まだ半年ほどしか経ってないのですよね。

我が家では私と母は無事で、

姉は正式?に罹患、弟は疑惑の陰性でした。

姉の場合は、母のあれこれがあってずっと休んでなかったので

疲れがたまったのだろうな・・・って時の罹患でした。

姉は現在、仕事の関係で週末のみ帰省する生活をしております。

姉のコロナ感染がわかる前日、私が駅まで迎えに行ったとき、

「電車の中で風邪をひいたかも。」

とか言ってたんですね。

それでも、一緒にご飯を食べて、母などは一緒にお風呂まで入った!!!

翌日、高熱が出たので家にあった検査キットで調べたらなんとくっきり陽性。

速攻お引き取りいただきましたが、

幸いにも私にも母にもうつりませんでした。

勤務先が病院なので、

厳しいPCR検査で陰性にならない限り出勤できないらしく、

姉の年齢だとだいたい陰性になるのに2週間ぐらいかかるのだそうです。

が、祖父の血を引いている姉は1回目の検査でクリアして

勤務先の人に「この年齢でこんなに回復早いとは。」と、褒められたそうです。

 

弟の場合も仕事が忙しくて休みがなかったときに

出張先で罹患したっぽいのですが、インフルもコロナも陰性。

ところが味覚障害に嗅覚障害とどう考えてもコロナっぽく、

いまだ嗅覚は治りきってないそうです。

我が家で公式25%、推測50%の罹患率なので

世間的にもそれぐらいになっているのでしょうかね。

 

ちなみにワクチン接種は母だけ4回、あとは3回で打ち止めにしました。

私はもう鬱陶しいから基本的にはマスクもしていないのですが、

冬は乾燥すると風邪をひきやすくなるので

人ごみに行くときだけはマスクしておくつもりです。

後、免疫力を落とさないように疲れをためないこと

それと手洗いをしっかりすることも必要ですね。

 

ところで、今年の初めに全般的な星の動きで社会情勢を簡単に予測しましたが

「2023年あけましておめでとうございます」の記事

我ながら、当たりすぎていて、報道にうんざりしている昨今です。

最近のいろんな企業や政治の不祥事を見るたびに思うのが

水瓶座は公平・平等の星で、成果主義・個人主義であり、

権威やお金に守ってもらえる時代は終わりつつあるということです。

といって、実力のある人しか生きていけないという意味ではなく、

実力ないのに権威をかさにきていばっている人が淘汰される。

あるいは。

自分の実力で築き上げた地位であったとしても、

その地位があれば何をしてもいいと勘違いしている人も淘汰されます。

政治家なんて、その最たるものですね。

いわゆる、カネコネは今後どんどん通用しなくなります・・・が

日本は昔からカネコネ文化なので(爆)

しばらくは世界の流れから置いていかれるかもしれません。

また、古い意味のないものは消えていきますが、

芸術や伝統がなくなるという意味ではありません。

血筋がものをいう伝統文化とかも、時代にあわせて変わっていくのでしょうね。

なくなるわけではなく、生き残るための変化が必要になるのです。

 

うさぎ年の今年は人生初っていうぐらい、本当に怒涛の日々でした。

来年は辰年。

亡くなった父の干支でもあります。

十二支のうちで唯一架空の動物なので、

少し現実感に乏しい、現実的な成果が見えづらい年になるのかもしれないです。

 

さて、私は明日が仕事納めです。

仕事が大量にあるので、果たして納めきれるのか。

なんとかフルパワーで仕事をこなして、

30日からのお休みを満喫したいと思います。

 

今年1年、お世話になりました。

どうぞよいお年をお迎えくださいませ。


この半年間の話Part8(番外編)

2023年12月18日 23時47分33秒 | たわごと

今回の母の件で改めて感じたのは、

母の人望の厚さでした。

娘からいうのもなんですが、相当なはねっかえり&ぶっとんだ母なので、

友人は多いものの、友人たちは母のことをどう思って

付き合ってるんだろうと常日頃から謎だったのです。

母の具合が悪くなって以降、

家や母や私の携帯に、

「死なれたら困る。頼りにしてるんやから。元気になって。」

という系統の電話がバンバン掛かってきたんですよ。

姉や私の友達たちも随分心配してくれましたし。

そういう方々の気持ちも、母の回復の力になったのかも。

 

それと、もう一つ忘れていけないのは母の血統。

母の実父はシベリア抑留の生き残りで、享年106で亡くなりましたが、

亡くなる数か月前にも危篤に陥ってました。

過去ブログ「事件勃発」参照。

看取りのためと入院計画書に書かれて、

生きて正面出口から出た人はなかなかいないでしょう。

この時に書いていない裏話がありまして、

母はこの時、友人たちと一緒に秋田の七曲りの花火大会を見に行ってました。

秋田についた瞬間、叔父(母の弟)から

「じいさんが危篤や。」

と携帯に電話が掛かってきたのです。

母は即答で

「帰らへんで。」←きっぱり

ずっと見たくてやっと来たのになんで帰らなあかんねん。

だったらしく、帰る気ゼロ。←おいおい

友人たちはみんな「帰らなくていいの?」と気遣ったそうですが。(笑)

こういうはねっかえり母なんですよね。

祖父も母がいないから死んでる場合じゃないと、

と思ったのかどうかわかりませんが、この時は無事に復活しました。

そんなこともあり。

母は祖父を知っている人に

「やっぱりおじいさんの娘やから強いんやね。」

と感心されたらしい。

生命力は半端ではない血筋なのは間違いないですね。

 

あと、もう一つ。

私は今回の事件で、私の主治医の能力を改めてありがたく思いました。

主治医なら専門外であっても、

判断を誤まるようなことはまずないもんなあ。

主治医にあたったのは偶然でしかないので、

医者のめぐり合わせは運だとも思います。

今のご時世なので主治医も70歳ぐらいまでは今の病院に勤務してくださると思ってますが、

引退されたら、私も大病院は引退しようと思っております。

私は母と違って子供いませんから、

65歳以降は病院とは距離を取って過ごそうと考えております。

そうすればピンピンコロリできるはずだ!!と思ってるのですが、

甘い・・・?(笑)