おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

傳田光洋著 第三の脳 から

2017-10-21 | 読書感想

 今日は昔読んで面白い本の紹介です。

清水義久さんのセミナ-の主催者さんのニュ-スレタ-にいろいろな

情報がメンバ-に届けられます。

その中で清水さんの推奨される本に、傳田光洋さの「第三の脳」がありました。

3,4年前に読んで大変面白かった記憶があり読み直して見ました。

傳田さんは、

資生堂のライフサイエンス研究センタ-の主任研究員です。(主筆時)

京都大学工学研究科分子工学専攻の修士の方です。

皮膚の研究で米国で研究されたかたです。

本の目次から。

第一章 皮膚は未知の思考回路である

 皮膚とは何か

 防御装置としての皮膚

 防御装置をコントロールするセンサー

 感覚器としての皮膚

 女性の指先はミクロンレベルの不規則を嫌う

 触覚の錯覚

 色を識別する皮膚

第二章 表皮は電気システムである

 脳と表皮は生まれか同じ

 感じ、考える皮膚

 表皮は電気システムである

 表皮細胞は電波を発信している。

 皮膚か老いるということ

 疼い!

第三章 皮膚は第三の脳である

 第三の脳宣言

 背中を掻く無脳カエル

 自我をつくる皮膚

 遍在する脳

第四章 皮膚科学から超能力を考える

 東洋医学再論

 皮膚科学から超能力を考える

眼以外の「視覚」

目利きの本質

 気とは何か

 テレパシ-あるいは以心伝心

第五章 皮膚がつくるヒトのこころ

環境と皮膚

アトピー性皮膚炎私論

こころはどこにあるか

皮膚かっくるヒトのこころ

こころと皮膚

こころを育む皮膚感覚

第六章 皮膚から見る世界

 皮膚の変遷  カエルからヒトへ

 ヒトはなぜ体毛を失ったか

 はだかの意味

 顔の皮膚

 境界としての皮膚

 「非因果律的世界」を護る皮膚

 皮膚が見る世界

 読んでいて興味を次から次と呼び出されます。

その中から一部です。是非2007年出版ですのでアマゾンで中古本でお買いになったらと思います。

写真は、長野県尖考古学博物館の展示品からちょっと面白いものを。

本書では、あくまで科学の枠内で、「神秘的」と考えられている東洋医学や超能力を論

じてみたいと思います。

 私か「超能力」をまじめに考えてみょうと思ったきっかけは「暗黙知」と呼ばれる概念

を知ったことです。下條信輔博士の著書『サブリミナルーマイソド』(中公新書、1996年)か

らその定義を学びました。

 伝統的な技能、スポーツ、武道の熟達者か、一般の人には到底なし難い技能を披露しても、

それを言葉で第三者に通じるように表現できないことがあります。

 皮膚感覚や体性感覚に由来する暗黙知が、とりわけ重要な役割を果たしているように思

われる例に相撲かあります。文字通り肌と肌のぶつかり合いです。柔道やボクシングと違っ

て体重の差も顧慮されない。しかし小柄な力士か大きな力士を豪快に投げ飛ばしたりしま

す(ただ無粋だな、と思うのは勝ち力士へのインタビューですか)。

四つに組んでいるとき、優れた力士はまわしにかかった手から、あるいは接触している

皮膚から、相手の身体の重心の微妙な変化、一瞬の力や注意力の緩みを察知し、瞬時に的

確な攻撃に移る。静から動への劇的変化の結果、大きな力士か宙を飛んで仰向けに土俵に

叩きつけられる。その一連の過程、情報認識から動作までの過程は最短経路を選択してい

るに違いなく、おそらく言語中枢など巡っている暇はないでしょう。かくして勝利者は「思

いっきりいっただけです」「無我夢中でした」ぐらいしか言えない。これは当然で、稽古

によって積み上げた体性感覚中心の暗黙知の成果を言葉にできるわけがなく、聞く方が野

暮なのです。

 歴史に残る名横綱、双葉山関か、実は右目の視力かほとんどなかったことはよく知られ

ています。一瞬の立ち合いの場面、相手との距離を視覚で認識するのか困難だったであろ

うこの横綱は、おそらく視覚以外の感覚を総動員して「情報」を把握していたのでしょう。

あるいは相撲そのものが実は視覚以外の感覚による「技」なのかもしれません。

 言葉にできないことについて、人は沈黙します。語りたからない。言語化できないから

です。しかし言語化できない「認識」「知覚」かあることは、

下條博士の著作の他、ラマチャンドラッ博士の

『脳のなかの幽霊』(山下篤子訳、角川書店、1999年)にも豊富で示唆に富有、

驚くべき事例が挙げられています。それを知るだけで、多くの「超常現象」が科学の対象に

なりうるはずです。先ほど述べたように、脳の研究者に「超常現象を頭からひていしない

人がいるのは、彼らには「暗黙知」の概念が常識としてあるからこそ、ではないでしょうか。

 皮膚感覚は「暗黙知」になる場合か多いのです。

つまり皮膚感覚に由来する「超能力」がいくつか存在することが考えられます。

それでは、私の仮説をいくつかご説明しましょう。(中略)

 

視覚障害者か、進路に立ちふさがる障害物を回避したり、分かれ道で立ち止まったりす

ることはよく知られています。この現象は通常次のように説明されます。視覚に障害かあ

る場合、それを補うために、他の感覚、たとえば聴覚か発達し、自分の足音の反響や、ま

わりでしている様々な音の響き方などで、障害物を認識するのだ、と。

 しかし矢野博士の話は続きます。あるとき、選手たちにハチマキをさせた。その途端、

たちまち選手たちはコースから外れスピードも出ず、競技そのものかできなくなってし

まった。博士が彼らに聞くと、うまく説明できないが、額、つまりおでこでモノを「見て」

いるので、ハチマキされると「見えなくなって」困ると言うのだそうです。

 彼ら視覚障害のプレーヤーは「おでこ」で何かを感じていたらしい。下條信輔博士も、

この現象に触れておられます。そこでは、前述のように、自分の足音の反響音、特に意識

されない高い周波数の音を認識するからこそ可能でであること、さらに選手自身か、

「おでこ」で感じる気がするのは、これら自覚できない知覚を、額の緊張に帰属させているからであ

る、と解釈されています(前掲『サブリミナルーマイソド』)。

 ではハチマキの作用はどう説明できるのでしょうか。

僕が聞いている双葉山関の話ですが、相手の力士が立ち会いで組んだら

双葉山関が自分の視野から消えていて気づいたら投げられたいたそうです。

先日の清水義久さんのセミナ-の報告で、

相手の方のイメ-ジが違っていることを感知する話を書きましたが、

清水さんは、ご自分では超能力はないとおっしゃってはいません。

表情や皮膚から来る情報で理解しているのでしょうね。

僕も数年まえに合気道を少し修行していました。

合気あげという技があります。

正座しているところに相手側が上から膝に置いた手を力一杯押さえます。

それを押さえられた方が持ち上げます。

普通にあげようとしてもなかなか上がりせん。

押さえられた方が手を上にあげようとすると皮膚を通して次の動作を感じて

押さえてしまいます。

押さえられた方の手をほんの少し横に移動させると同時に手を上に上げるとあがります。

頭で考えると上手く行きません。

手の皮膚で相手を騙すのです。

改めて読み直して見ると、人間の豊かさにびっくりします。

清水さんから教わったことですが、「言霊法」は、聴覚を利用して行うことで

超能力を獲得出来るそうです。

最近、不思議なことに巡り会うことが増えています。

願望を叶える方法として①気功術 ②神様頼み ③念力や超能力でしたが、

最近、ESP INKのSNSで清水さんが30年掛けて最近見いだしただい4の方法の

動画がアップされました。

少しずつ試して見ようと思っています。

天地交流・天人合一の4つの基本エクササイズ(清水先生ver.

今日は、朝から上野国立博物館に清水さんの推奨の運慶を見に良きます。

午後から桜井竜生先生の気功と漢方の話を勉強に行きます。

 

 

 

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