新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

異文化の国、アメリカ合衆国のビジネスの世界では

2024-06-14 08:01:10 | コラム
勧進帳は通用しないのだ:

21世紀の現代で「勧進帳」などと言っても理解して貰えないかもしれない。ここでは弁慶が安宅の関で緊急の事態から脱出しようと「弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。」とWikipediaにあるように、史実ではない事でも歌舞伎で上演されている弁慶が咄嗟に知恵を働かせた筋書きから引用した。そんな事がアメリカのビジネスの世界とどのような関連があるかという辺りを、これから申し述べていこう。

私は記憶力が良いこともあったが、新卒で入社した当時の上司から「取引先との交渉の場で手帳を出して内容を記録するようなことは避けろ。そういう事をすれば先方は何らかの証拠にされてはならないと警戒して情報をくれなくなる。如何なる情報でもその場で記憶するよう努力せよ」と教えられていた。即ち、「情報は正確に記憶して帰ってこい。記憶力を磨け」という事。

その「記憶に頼る」習慣が身についていたので、アメリカの会社に転じた後の上司への報告でも、会議での発表でも、全て当然のように、何らかの書類を持ち出さず、ファイル等は見もせずに、記憶からまくし立てていた。何となく聞いている人たちの様子がおかしいとは感じていたが、気にもかけていなかった。ある時「君は何故ブリーフケースからファイルを持ち出して報告しないのか」とボスに訊かれた。「見なくても覚えているから」と答えた。

ボスは「それは宜しくない。何らかのevidenceがなければ、我々は俄に信じられないから気を付けるように」とやんわりと警告された。陳腐な言い方をお許し願えば「そんなの必要はない」とばかりにシカトすることにして、勧進帳を続けていた。暫くするとボスが如何にも苛立っているかの気配を感じ始めていた。

するとどうだろう。ある朝本部に出てみれば、私の机の上にイニシャル入りの緑色のカンパニーカラーのブリーフケースが置かれていたのだった。ボスは「意味は解るな。これからは精々活用するように」と宣告した。参った。確認しておけば「アメリカのビジネスの世界では明確な証拠または根拠がない情報は通用しない」という事で「裏付けにした資料を開示せよ」という考え方なのである。さらに言えば「記憶からの発言は認めがたい」となる。

記憶からの発言は信用ならない:
重たいブリーフケースに一杯の書類を入れて歩くようになってから何年も後の話。洋紙部が新製品を引っ提げて日本市場に進出したいと、東京事務所の意見を求めてきた。東京駐在の副社長から日本国内の洋紙分野から転進してきた私に意見を求められた。勿論、17年間の記憶を呼び起こして、滔々と語った。副社長は「これほどのin・house informationがあるとは期待していなかった」と賞賛(されたと思った)して終わった。

だが、実際には副社長は付き合いがあるハーバードのPh.D.のアメリカ人が運営しているかなり名が売れていたコンサルタント事務所に、その印刷用紙の市場調査を依頼していた。即ち、私の何も見ずに記憶から語った情報の裏付けを取る必要があると判断されたという事。ここから先は余談になるが、某銀行の調査部から「そのコンサルタント事務所に何か調査を依頼したの、我が方に照会があった」と問い合わせがあった。そんなものなのである。

ブリーフケースは何の為にあるのか:
もう、ここまででお分かり頂けたと思うのだが、アメリカのビジネスの世界(ヨーロッパ人の世界の習慣は知らないが)では、キチンとした証拠物件等々は会談、交渉、折衝等においては必須であり、その材料となる資料(1970年代にはPCは言うまでもない事で、スマホ等は影も形もなかった)となる紙を重い思いをしてブリーフケースを一杯にして持ち歩いていたのだった。その資料の作成は一仕事だったし、時間もかかった。

要するに、必要な関連資料は常に準備して、ケースに入れて持ち歩けという事。例えば、プリゼンテーション(言いたくはないがpresentationの発音は「プリーゼンテーション」で、「プレゼンテーション」はUKでの話)の場合などは、語りの後に予め用意してあった原稿をプリントアウトしたもの(「ハンドアウト」という)が全員に配布されるのが一般的である。その目的は「資料に基づいて語ったこと」を示す為でもある。

我が事業部などでは副社長が会議を招集する場合などには、事前に出席者全員にその会議の目的に沿った発表の原稿の提出が要求され、期限までに副社長秘書に送り付けておくのだ。その資料は会議の席では全員に配布されるので、それを読みながら発表を聞いているという事になる。くどい言い方になるが、全員がその場の思いつきで発言しているのではなく、練り上げた資料に基づいての討議が常識。ケースの中はそういう資料もまた多くなるのだ。

こういう経験から考えれば、アメリカでPCが普及した背景には、このような「証拠となる資料に基づかない発言は信じられない」という考え方の為に、大量で重い紙の書類を持ち歩かないで済ませたいとの願望があったからではないだろうか。残念ながら、私がリタイアした1993年末までには我が社ではPCは普及していなかったので、ブリーフケースの活躍の場が残っていた。

長い間私を支えてくれた2代目のブランドもののブリーフケースはその役目を終えて、今や我が家のクローゼットの何処か片隅で長い眠りについているようで、何処にしまったかの記憶はない。


コメントを投稿