新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカ合衆国の異文化の一面を語れば

2024-06-13 08:14:55 | コラム
アメリカの企業社会とは実力の世界なのか:

22年余りのアメリカの大手製造会社勤務で私が経験し且つ知り得た「アメリカの企業社会の実態」を語る機会があると、殆どの方が「アメリカとは実力の世界だと思っていたのに」という感想を述べられる。この私でさえ、実際に39歳であの世界に(身の程を知らずに)転進して初めて「こういう世界だったのか」と学習したのだから、普通の方が「実力の世界」だと思っておられても何ら不思議はないと思う。

そこで、今回は「実力がものを言う世界であったかどうか」を示唆するだろうエピソードを、幾つか取り上げてみよう。ここに取り上げるのは「学歴社会」の面である。お読み頂いて「なる程。そういう世界だったのか」と、ご納得願えれば幸甚である。

州立大学にしか進めないと解って:
2005年10月に成田空港行きのスカイライナーの車中で、人品骨柄卑しからぬ中年のアメリカ人夫妻と知り合った。ふと見れば、奥方のスーツケースWeyerhaeuserのname tagが付いていた。という次第で、成田まで親しく語り合った。彼等は「日暮里駅に見送りに来ていた青年が息子さんで、明治大学に留学中」とのこと。奥方からは「未だ日本に慣れていないから、一度会って色々と聞いてやって欲しい」と依頼された。

帰国後に早速連絡して新宿のヒルトンホテルで落ち合って、3時間程ジックリと語り合ってみた。彼は明治大学留学の理由は「オレゴン大学(州立のUniversity of Oregon)にしか進めないと解った時点で『自分の将来が決まってしまった』と悟ったからだった」と言う。「なる程。尤もだ」と同感だった。「意外なことを聞いた」と思われる方はおられるだろうから、その辺りがアメリカなので、その点を掘り下げていこう。

彼は「自分の将来を切り開く為には、何か特技を身につけねばなるまい。そこで両親が勤務しているWeyerhaeuserは日本を始めとするアジア諸国への輸出が重要な事業であるから、日本語を習得すれば対日輸出入の分野に進出する機会があるだろうと考えた。その目標の為に大学で2年間日本語を学び、さらに磨きをかけるべく明治大学を選んで3年に編入した」と意気盛んなところを語ってくれた。この着眼点には興味深いものがあった。

それは、彼が州立大学を卒業後に4年間実務社会で経験を積んで、その経験を基にして一流の私立大学のビジネススクールに進んでMBAを取得して後に大手企業の幹部へのコースを狙っていない点である。彼の狙いは「幹部への道は開けないが、貿易の分野で専門職として確固たる地位を確保出来る」という所を目指そうという事だった。

この裏(表かもしれない)にあるアメリカ独特の事情は「大手企業にある特定の職を得て(就社しようというのではない)幹部か幹部候補生のへの地位を確実にする為には、ハーバードやスタンフォード等々の有名な私立大学のビジネススクールでMBAを取得することが、今や必須とも言える条件になっているのだ。その道に挑んでいく為に、州立大学は不利だという意味なのだ。

今日までに繰り返し述べてきたことで「アメリカの大手企業(金融・証券業界を除く)では4年制の大学の新卒者を定期どころか、採用する仕組みにはなっていない」のである。

故に、州立大学出身者は中小企業に特定の職を得て(会社に入るのではない)腕を磨き、実力を蓄えてから、狙いを定めた大手企業の特定の事業部の、また特定の職、例えば営業職や内勤の管理業務等に履歴書を送って機会が巡ってくるのを待つか、実力を買われて勧誘されるか、公募の発表があった時に応募するというシステムになっているのだ。

資産家の息子たちは先ず有名私立大学で4年間学んで、銀行、証券会社、会計事務所等々でさらに4年間実務社会を経験してから、更にまた有名私立大学のビジネススクールでMBAを取得して、大企業に幹部候補生としての職を得ていくのだ。1980年代ではハーバードのビジネススクールに入学が決まった時点で企業から勧誘があって職が決まっていたそうだ。

州立大学出身者は身を投じた業界で名を挙げれば有名な会社から引き抜きもあるし、ヘッドハンティングの機会も巡ってくるかもしれないのだ。間違いなく言えることは「州立大学出身者は上記の青年が言ったように、容易に良い職を得る機会が訪れることは希なのだ」と言う不利な条件がつきまとうのである。

Waltは「親に能力がなかったので」と言った:
Waltは我が事業部の内勤で事務管理担当の責任者として、1970代の終わりまで活躍していた。彼は州立大学のMBAだった。私も親しくしていた。ところがある日突然、彼の上司に当たる地位にスタンフォード大学のMBAのTomが就任した。Waltは激怒して言った「自分の親に能力も資産もなかったので、州立大学にしか行けなかった。だが、Tomは資産家の息子だからスタンフォードに行けただけで、俺の上司になるとは納得出来ない」と。

Waltの嘆きと怒りの背景にある事は「1970年代でもアメリカ東海岸のIvy Leagueの私立の8大学や西海岸のスタンフォード大学での授業料を含めた学費は円換算で年間1,000万円を超えていた。現在では1,500万円を超えてしまったという。アメリカでこれほどの学費を簡単に負担出来る裕福というか資産家はそれほど多くはないのである。私が感じているところでは、全人口の5%前後かなと言う辺り。

失望したWaltはその後に副社長と些細なことで衝突して、“I quit.“と言って辞めてしまった。その後にトレーダーになって一資産を築いたと風の便りに聞いた。

今に見ていろ:
2010年1月のことだった。Los Angelesの空港(LAXという)の近くに滞在していた時のこと。同宿の息子と「かの有名なる住宅地やサンセットブールバード等の名店街を田舎者的に視察に行こうか」とレンタカー会社に電話した。直ちに、意外なことに、キチンとしたスーツを着用した青年が運転する迎えの車がやってきた。車を受け取るまでの短い時間に語り合った。

彼は州立大学の出身で「何れは大手企業に職を得られるようになるまでの間は、このようにして実務社会での経験を積もうとしている。究極の狙いは「世界の貿易市場の羽ばたいて見たいのである。そこで貴方のように(と言うのは、私は簡単に経験を語ったから)日本向けの輸出を担当された方から話を聞けたのは非常に有益だった。何時かは自分も世界市場に進出したいので、良く見ていて欲しい」と意気盛んだった。

だが、長年経験し、見てきた世界では、この青年が目指していたような世界市場に羽ばたいていける機会は非常に少ないと言わざるを得ない。強調しておきたいことは「アメリカには未だにこのような何時の日か自分の将来を自分の手で切り開いて見せよう」との希望を持っている青年がいるという事。それが実現する確率は低いだろうが、青年が夢と希望を抱いて目標に向かって邁進していくのは良きことではないか。


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