去年、山種美術館で竹内栖鳳展を観ているから、今回、お馴染みのものにも再会できた。日本画名作の多い、山種でも人気ベスト3にも入る”班猫”は、ぼくが訪ねた前期展にはいなくて、明日、25日からの後期展にお出ましらしい。
第1章 画家としての出発 (1882-1891)
栖鳳は四条派の幸野楳嶺に弟子入りしたが、その時代、何と、18歳の作品”芙蓉”。墨にわずかな色と老成した雰囲気。
体操選手の月面宙返りのような(笑)鯉にびっくり。実際には、ここまで身体をひねる鯉はいないのでは。班猫だって、あの首のひねり方は普通ではありえないということだから、ただの写実ではなく、それこそひとひねりしている(笑)。
池塘浪静(一部)
若き日に描かれた鳥類、虫類等の写生帳にもびっくり。まるで図鑑のような正確さ。
第2章 京都から世界へ(1892~1908)
ここでは、ぼくの好きな動物がいっぱい。四方の絵が大型動物というコーナーもあり、まるで動物園に迷い込んだよう。栖鳳の動物好き、人間嫌い(ぼくの想像)がよくわかる。ライオンは、まだ日本ではみられず、ヨーロッパ旅行でスケッチしてきたものを元に制作。評判を呼んだようだ。ちらしの表を飾る”金獅”のほか、獅子、虎・獅子図など。象さんも。
象図 (左隻の象、お猿さんが乗っている)
百騒一睡 ぴーちくぱーちく騒ぐ雀の群れと、まどろむ洋犬の親子。栖鳳は雀が大好きだっただろうことがすぐわかる絵。
飼われたる猿と兎
”美術染織の仕事”のコーナーも。染織の図案にも関わっていた時代もある。高島屋の意匠部に務めていたそうだ。出勤簿まで展示してある。
第3章 新たなる試みの時代 1909-1926
数少ない人物画。
アレ夕立に 清元節の”山姥”を舞う、舞妓の姿。うなじの髪の毛が細密に描き込まれている。
絵になる最初 モデルになるために画家の目の前で全裸になろうとする、はじらいの表情を捉える。
羅馬之図 ローマの遺跡。1900年のパリ万博に応用化学者中澤岩太らと共に行った。そのとき、ヨーロッパ一周をしている。ローマも訪ねた。
第4章 新天地をもとめて 1927-1942
昭和に入ると、体調をくづし、湯河原で養生していた。合間に東本願寺の障壁画を取り組んだり、回りの小動物を描いたり、制作意欲は衰えなかった。
爐邊
夏鹿
雄風
驟雨一過、おぼろ月、渋団扇、潮沙去来なども、この章に。
あのにゃんこも来るし、また、栖鳳動物園に遊びにいくべえ。
図録は買わないので、この本を参考にしました。
そうそう、この熊さんも可愛かったなあ。