気ままに

大船での気ままな生活日誌

北條時頼とその時代 鎌倉国宝館

2013-09-29 10:35:39 | Weblog
北條時頼没後750年特別展として表記の展覧会が開催されている。前後期合わせて、国宝4点、重文約30点を含む約100点の絵画、彫刻、墨跡などが展示されている、見応えのある展覧会であった。

鎌倉をよく散歩するものにとっては、(鎌倉幕府5代執権)北條時頼は馴染みの深い人物である。北條得宗家の住居であった場所は、今、白萩が咲き誇る宝戒寺であるし、墓所は北鎌倉の紫陽花寺、明月院にある。時頼は、南宋の僧侶・蘭渓道隆を鎌倉に招いたが、道隆は、はじめ、寿福寺に寓居、常楽寺で住持となった。そして、時頼により建立された建長寺の開山となる。これらのお寺もよく足を運んでいる。

さて、展覧会の第1章は時頼の肖像。7体の北條時頼坐像が並んでいる。これだけ一堂に揃うのはめったにないことだろう。それだけも価値がある。先頭に馴染みのある建長寺所蔵の時頼が目を輝かせて座している。4体の中では、一番、いい男につくられている(笑)。重文でもあり、代表的な肖像である。もう一つの重文は兵庫県丹波の最明寺からのもの。なお、時頼は、今の明月院の場所に最明寺を建て、仏門に入り、最明寺入道と号し、そこで亡くなった。兵庫の最明寺も時頼の時代に建てられた。明月院の坐像もあり、県重文であった。それぞれ、みた印象が少しずつ違うが、頭がとんがっていること、額に三本、縦皺があることがほぼ共通である。

第二章は時頼の時代の彫刻。ここには、ここの常設でよく見かける仏像、神像などで、さらりと観る。重文が6点もある。円応寺の初江王坐像、建長寺の伽藍神像、鶴岡八幡宮の弁才天坐像、明月院の上杉重房坐像、荏柄天神社の束帯天神坐像と束帯天神立像。

第三章は時頼の信仰と事跡。ここにも吾妻鑑、関東御教書、北条実時書状など、重文が目白押しだが、”蘭渓道隆像 霊石如芝賛”、そして時宗が師事した、兀庵普寧の像の二幅も重文。重文ではないが、時頼が鎌倉に招いた(1248年-1249年)、道元禅師の行状記も。日蓮もこの時代だが、龍の口の法難は、時頼が弘長3年(1263年)、37歳で亡くなったあとの1271年(文永8年)のこと。”日蓮上人法難絵”など日蓮関係もいくつか。後期には、知恩院から国宝”法然上人絵伝”がやってくる。徒然草絵巻や、小林清親の”鉢の木”、国芳の”鉢の木”、月岡芳年の”最明寺入道”の浮世絵もみられるのもうれしい。”鉢の木”は、時頼の諸国巡りの中の逸話で謡曲になっている。関係ないけど、一昨年の高校クラス会は北鎌倉の”鉢の木”でしました。

第四章では、蘭渓道隆と建長寺。建長寺所蔵の”蘭渓道隆像”が二幅並ぶ。自賛の入ったものが国宝で、経行像(座禅のあと歩行する姿)のものが重文と、いずれも価値の高いもの。そして、その近くに蘭渓道隆の賛が入った”達磨像”がある。山梨県・向嶽寺からのもので国宝。展示は今日(29日)まで。この展覧会でも、一、二番のインパクトがあった。蘭渓道隆の墨跡もみることができる。いずれも重文。あとは建長寺の風通しなどで拝観しているものが多数。白衣観音像にも再会でき、うれしかった。

八幡さまにはよく散歩するので、後期展示の頃にまた、寄ってみよう。

ちらし(国宝の時頼坐像)
 

ほかの時頼坐像


ちらし裏面から、いろいろ。




白衣観音像


ぼくの散歩道から

建長寺


明月院の時頼のお墓


道元の碑 ”只管打坐”


常楽寺


鉢の木


・・・・・

思い出したくないけど、14日目、稀勢の里、白鵬に苦杯。


コメント
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