ロダンとゴッホと英泉と。
えっ、それって?
どんな関係があるのと、言われそう。
それはですね、千葉市美の”英泉展”の第八章にあった、ゴッホの”タンギー爺さん”の絵の写真がきっかけ。
その絵の中のタンギー爺さんの背景の壁に、渓斎英泉作の”雲龍打掛の花魁”が飾ってある。
ふーん。そういえば、ゴッホの浮世絵蒐集は有名ですね。それで、ゴッホと英泉の関係はいいとして。なんでロダンが?
実は、その”タンギー爺さん”の絵は、日本びいきで有名なロダンの絵画コレクションのひとつなんでありんす。
プチ自慢でござんすが、この4月に、その絵をパリのロダン美術館でみたばかりなのでありんす。
というわけで、英泉とロダンとゴッホ
さて、参考のため、三巨匠の生きた時代。
英泉:1790年~1848年8月20日 雲龍打掛の花魁/1830前後
ロダン: 1840年11月12日~1917年11月17日
ゴッホ:1853年3月30日~1890年7月29日 タンギー爺さん/1887パリ時代
英泉が死んだとき、ロダンは8歳、その5年後にゴッホが生まれます。ゴッホが死んでからロダンは27年間生きます。
渓斎英泉 ”雲龍打掛の花魁”世界に七点しかない貴重な絵。千葉市美所蔵。いい絵をみせてもらいました。もちろん絵はがき購入。

”タンギー爺さん”に描かれた”雲龍打掛の花魁”逆向きに描かれている。

弟テオの会社が発刊した雑誌”パリ・イリュストレ”の1886年5月号(日本特集号)の表紙にも”雲龍打掛の花魁”。向きからして、どうもこれが基らしい。

この絵はパリ・ロダン美術館にも展示されている。

ついでながら、ロダンの日本人びいきの証拠。太田ひさ(花子)をモデルに、5年間で58点の彫刻を制作した。

また、ついでながら、ロダン美術館の庭園。映画”ミッドナイトパリ”はこの辺りでも撮影された。

この章では藍摺の絵がずらり。化学染料ベロ藍を使った、うつくしい藍色の浮世絵。藍色はああイイ。
(仮宅の遊女)

そして、ひとつ戻って、第七章。ぼくが一番気に入ったコーナー。”契情道中双ろく”55図一挙公開。圧巻でありんす。これだけでも十分、展覧会になると思う。少なくとも、ぼくは行きますので、近くの、茅ヶ崎美術館辺りで企画してもらえればありがたいのですが。ぺこり。
なにせ、吉原細見にも載っている、実在のトップクラスの遊女55名が、それぞれの模様の着物、それぞれの姿態で、艶やかに描かれている。そして東海道五十三次(日本橋と京を加えて55)のこま絵がそれぞれに付いている。
吉原遊郭の宣伝の意味もあったようで、出版費用の負担もしたらしい。だから、紅や紫といった高価な絵具がふんだんに使われてた贅沢なシリーズになった。文政八年(1828)の頃の作だという。ミッドナイトパリじゃないけど、ぼくはタイムスリップして幕末の吉原の遊郭に迷い込んだように思ったほど。
写真は? 残念ながら、ありません。ぺこり。やっぱり、図録を買っておけばよかった。ちらしにも載っていないし、絵ハガキもなかった。
”浮世絵師、溪斎英泉/蘇る、江戸の媚薬”展、とてもよかったですよ。また行きたいけど、もう閉幕。これほど大規模の英泉展は、ぼくの存命中にはないだろう(笑)。生きているうちが花。さあ、今日も遊べや、遊べ。

えっ、それって?
どんな関係があるのと、言われそう。
それはですね、千葉市美の”英泉展”の第八章にあった、ゴッホの”タンギー爺さん”の絵の写真がきっかけ。
その絵の中のタンギー爺さんの背景の壁に、渓斎英泉作の”雲龍打掛の花魁”が飾ってある。
ふーん。そういえば、ゴッホの浮世絵蒐集は有名ですね。それで、ゴッホと英泉の関係はいいとして。なんでロダンが?
実は、その”タンギー爺さん”の絵は、日本びいきで有名なロダンの絵画コレクションのひとつなんでありんす。
プチ自慢でござんすが、この4月に、その絵をパリのロダン美術館でみたばかりなのでありんす。
というわけで、英泉とロダンとゴッホ
さて、参考のため、三巨匠の生きた時代。
英泉:1790年~1848年8月20日 雲龍打掛の花魁/1830前後
ロダン: 1840年11月12日~1917年11月17日
ゴッホ:1853年3月30日~1890年7月29日 タンギー爺さん/1887パリ時代
英泉が死んだとき、ロダンは8歳、その5年後にゴッホが生まれます。ゴッホが死んでからロダンは27年間生きます。
渓斎英泉 ”雲龍打掛の花魁”世界に七点しかない貴重な絵。千葉市美所蔵。いい絵をみせてもらいました。もちろん絵はがき購入。

”タンギー爺さん”に描かれた”雲龍打掛の花魁”逆向きに描かれている。

弟テオの会社が発刊した雑誌”パリ・イリュストレ”の1886年5月号(日本特集号)の表紙にも”雲龍打掛の花魁”。向きからして、どうもこれが基らしい。

この絵はパリ・ロダン美術館にも展示されている。

ついでながら、ロダンの日本人びいきの証拠。太田ひさ(花子)をモデルに、5年間で58点の彫刻を制作した。


また、ついでながら、ロダン美術館の庭園。映画”ミッドナイトパリ”はこの辺りでも撮影された。

この章では藍摺の絵がずらり。化学染料ベロ藍を使った、うつくしい藍色の浮世絵。藍色はああイイ。

(仮宅の遊女)

そして、ひとつ戻って、第七章。ぼくが一番気に入ったコーナー。”契情道中双ろく”55図一挙公開。圧巻でありんす。これだけでも十分、展覧会になると思う。少なくとも、ぼくは行きますので、近くの、茅ヶ崎美術館辺りで企画してもらえればありがたいのですが。ぺこり。
なにせ、吉原細見にも載っている、実在のトップクラスの遊女55名が、それぞれの模様の着物、それぞれの姿態で、艶やかに描かれている。そして東海道五十三次(日本橋と京を加えて55)のこま絵がそれぞれに付いている。
吉原遊郭の宣伝の意味もあったようで、出版費用の負担もしたらしい。だから、紅や紫といった高価な絵具がふんだんに使われてた贅沢なシリーズになった。文政八年(1828)の頃の作だという。ミッドナイトパリじゃないけど、ぼくはタイムスリップして幕末の吉原の遊郭に迷い込んだように思ったほど。
写真は? 残念ながら、ありません。ぺこり。やっぱり、図録を買っておけばよかった。ちらしにも載っていないし、絵ハガキもなかった。
”浮世絵師、溪斎英泉/蘇る、江戸の媚薬”展、とてもよかったですよ。また行きたいけど、もう閉幕。これほど大規模の英泉展は、ぼくの存命中にはないだろう(笑)。生きているうちが花。さあ、今日も遊べや、遊べ。


※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます