気ままに

大船での気ままな生活日誌

フェルメールと微生物学者

2008-10-02 09:12:02 | Weblog
こんな日なら、フェルメール展も空いているだろうと、平日で、うすら寒い昨日(10月1日)ワイフは上野に出掛けました。案の定、待ち時間0分でゆっくり見学できたそうです。ボクは、この展覧会が始まってすぐ、観に行っていて、翌日、その感想文もこのブログで記しています。実はそのとき、ボクが大変驚いた、ある事実には触れないでいました。ちょうど、いい機会ですので、ちょっと紹介しておきたいと思います。

その驚きとは、フェルメールの年表の一番下の欄に書かれていた”フェルメールの遺産管財人は同じデルフト市民のレーウェンフックがなる”という項目でした。まさか、あのレーウェンフックではないだろうな、微生物学に少しでも関心のある人なら必ず知っている、あの科学者の名前を思い浮かべたのでした。

翌日、ボクは図書館で偶然、手にしたフェルメールを特集していた”芸術新潮9月号”で、まさに、彼がその科学者レーウェンフックであることを確認して、驚きを新たにしたのでした。

ボクが学生時代、わくわくして読んだ”微生物の狩人”という名の本のトップを飾っていたのが、レーウェンフックでした。その本は数年ほど前まで所持していたのですが、引っ越しを機会に”断行”した古本整理の中に入っていて、読み返すわけにはいきません。また、どこの図書館でも見つかりませんでした(捨てなければ良かった;苦笑)。で、詳しいことは分らないのですが、とにかく実用的な倍率500倍に達する顕微鏡をつくり、それを使って、はじめて微生物を観た人なのです。17世紀の後半頃です。その100年後にミュラーが細菌を”発見”し、そのまた100年後にパスツールやコッホが現われたのですから、彼の偉大さが分るというものです。確か、”微生物学の父”とか”母”とか称されていたかと思います。

レーウェンフックがオランダのデルフトに住んでいたことも今回、初めて知りましたし、フェルメールと同じ年(1632年)に生まれ、交際があり(これは十分な証拠がありませんが、当然あったでしょう)、そして、彼の遺言執行人まで引き受けたということも、もちろん初耳でした。

しかし、それにしても何という、驚くべき組み合わせでしょう。あの狭いデルフトの街に、同じ年に生まれ、それぞれが微生物学と美術の分野で世界的に最高レベルの業績を残し、加えて、一方の遺言執行人にまでなる、こんな偶然は空前絶後でしょう。

このことを知って、ボクは、フェルメールがより身近になったような気がしました。そして、ボクは図書館で観ることはあっても、買うことのなかった美術雑誌を初めて購入してしまいました。フェルメールの全作品の美しい写真が載っていますし、レーウェンフックとの関係を含めた楽しいコラムも面白く、手元に置いておきたいと思ったからです。

以下、その芸術新潮9月号からの写真を転載しながら、もう少し、紹介したいと思います。
。。。

フェルメール作 ”デルフト眺望”。二人はここで生まれ、生活しました。ボクも昔、デルフトを訪ね、おみやげにデルフト焼を買いました。

フェルメール作 ”地理学者”。このモデルがレーウェンフックという説もあるそうです。もうひとつの”天文学者”も、そうではないかといわれています。ボクもそう思います。こういうつきあいがあったからこそ遺産管財人になったんだと思います。


レーウェンフック肖像画。フェルメール作ではありません。

左端の男が、フェルメール自画像といわれています。フェルメール作”取り持ち女”の一部拡大。


ワイフはもう一度、フェルメール展に行きたいと言っていましたので、今度は一緒に行こうかと思っています。

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