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気ままに

大船での気ままな生活日誌

ザグレブ 東欧旅のアルバム#15

2013-07-04 05:00:31 | Weblog
青森からのスマホ投稿第二弾です。

さあ、ぼくらの10日間に渡った東欧旅行も最終盤に。プリトビチェ国立公園を後にして、クロアチアの首都、ザグレブに向かう。

この町が歴史上、顔を現したのは中世、11世紀のこと。丘の上の旧市街には二つの町、グラデッツとカプトルが隣り合ってライバル関係にあった。ハンガリーの支配化にあったが、1526年の戦争で、オスマントルコにハンガリーが破れてから、オーストリア(ハプスプルク家)の庇護下に入る。両都市は1850年に合併。1991年、クロアチア独立により、首都となる。現在、中部ヨーロッパとアドリア海を結ぶ交通の要衝であり、発展著しい都市である。人口は約120万人。

さて、旧市街を歩いてみよう。まず、105メートルの二つの尖塔が目立つ、聖母被昇天教会。ザグレブのシンボル的存在である。元々はロマネスク様式の大聖堂があったが、なんと12世紀に蒙古大襲来があり、破壊されてしまった(こんな方まで攻めてきたのだ)その後、ゴシック様式で再建されたが、1881年の地震で破損、20世紀初頭にネオゴシック様式で再生した。


教会内部


グラゴル文字(古スラヴ文字)?(メモがはっきりしない)


聖母被昇天大聖堂を守る城壁。1512年から1521年にかけて、オスマントルコの侵略を防ぐために作られた。


聖マルコ教会 13世紀にゴシック様式に建てられたが、18世紀に再建された。1880年につくられたモザイク装飾の屋根がうつくしい。


聖カタリナ教会 内部は撮影禁止。


旧総督府。現在は政府官邸


国会議事堂。聖マルコ教会の右側の建物。


石の門入口。奧に奇蹟のイコン(大火事を逃れた)、聖母マリア像が納められた礼拝堂がある。お参りしている人が大勢いた。


1355年開業の薬局。石の門の手前にある。ドブロブニクの薬局に次ぐ歴史。


イェラチッチ広場。クロアチア英雄、イェラチッチの騎馬像が。町並みはオーストリアを思わせる。


ザブレブ駅。オリエント急行が停まった時代もある。ショーンコネリーの”007ロシアより愛をこめて”にも登場した。


宿泊したホテル。オリエント急行の客も泊まったという名門ホテル。エリザベス女王やソフィアローレンも泊まった。




ちょうど、ホテルで結婚式をしていた。

ちょうど、この夜、サッカー、日本対ブラジル戦をテレビで観ることができた。


ザブレブの街角

高台から街をみる




登山列車みたいな乗り物で高台へ来ることもできる。








ナイーブアートが盛ん。原田泰治も影響を受けた。


こうして、クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、東欧3カ国の旅の最後の夜は更けて行った。(完)


コメント
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