日本橋三越本店で開催されている(25日で閉幕)、2011年報道写真展をみてきた。予想通り、大震災の写真が会場を埋め尽くしていた。テレビなどでその惨状は知っているが、改めて、大きなサイズの報道写真を目の前にすると、胸がつまる。ハンカチで目を押さえながら、見ておられる御婦人を何人もみかけた。”ままへ、いきているといいね”と画用紙に描きながら疲れて、寝入ってしまっている幼児の写真には、おもわず目頭が熱くなってしまった。
原発事故の惨状は、もともと目にみえないものなので、なかなか写真では表現できないせいか、数は少なかった。その中の一枚の写真の前で立ちつくしてしまった。それは、屋内につくられた砂場で遊んでいる子供たちの姿をとらえた写真だった。子供たちの笑顔がかえって痛ましい。ごめんね、みんな、ぼくらの世代がこんな汚れた日本にしてしまった。いくら、あやまってもあやまりきれない、ぼくらの世代の大犯罪だ。ぼくは、怒りとか、悲しみとか、むなしさとか、いろいろな感情が胸に込み上げてきて茫然としてしまった。
そのあと、スポーツや文化関係などの写真を眺めたが、例年のようには穏やかな気持ちでみられなかった。でも、金色の紙吹雪の舞う中でWP優勝を喜ぶ女子サッカーの選手たちの写真の前で、ようやく笑みがこぼれた。ぼくらに随分勇気を与えてくれたっけ。ありがとう。
その2011年も、もうすぐ、過ぎ去っていく。

原発事故の惨状は、もともと目にみえないものなので、なかなか写真では表現できないせいか、数は少なかった。その中の一枚の写真の前で立ちつくしてしまった。それは、屋内につくられた砂場で遊んでいる子供たちの姿をとらえた写真だった。子供たちの笑顔がかえって痛ましい。ごめんね、みんな、ぼくらの世代がこんな汚れた日本にしてしまった。いくら、あやまってもあやまりきれない、ぼくらの世代の大犯罪だ。ぼくは、怒りとか、悲しみとか、むなしさとか、いろいろな感情が胸に込み上げてきて茫然としてしまった。
そのあと、スポーツや文化関係などの写真を眺めたが、例年のようには穏やかな気持ちでみられなかった。でも、金色の紙吹雪の舞う中でWP優勝を喜ぶ女子サッカーの選手たちの写真の前で、ようやく笑みがこぼれた。ぼくらに随分勇気を与えてくれたっけ。ありがとう。
その2011年も、もうすぐ、過ぎ去っていく。

