夏の暑さにも少し慣れてきて、日中の散歩もそれほど苦にならなくなりました。今日は、紫陽花の季節以来、久し振りに極楽寺を訪ねました。あの百日紅の大木がそろそろ見事な花を咲かせているだろうと思ったからです。
ワイフも一緒でしたので、真夏の風景をゆっくり観察しながらとゆうテーマで、極楽寺までのコースを考えました。大船からモノレールに乗りました。いつも、冷房もよくきいていて、席もゆったりしているので、気持ちよく外の緑の景色を楽しめます。富士山がみえるときもありますが、今日は夏休みのようでした。
終点の湘南江の島駅で降り、すぐ近くの江ノ電には乗らず、江ノ島の東浜海水浴場に出てみました。先日、ボクが利用した海の家をワイフに教えたり、浜辺に降りて、たくさんの水着姿の人々を観察したりしていました。まだ10時前だとゆうのに、もう浜を埋め尽くほどの人出でした。そして、思ったより大きな波が、たくさんの来客を喜んでいるかのように、寄せては返していました。
江ノ電からも、真夏の風景が続きます。七里ヶ浜の海にはサーファーたちが、波と戯れています。沖には白いヨットが浮かんでいます。・・海よ 俺の海よ 大きなその愛よ 男の想いを その胸に抱きとめて あしたの希望を 俺たちにくれるのだ・・サッファーたちから、ヨットマンたちから、加山雄三さんの名曲”海 その愛”の歌声が流れてくるようでした。
極楽寺。ピンク色のたくさんの芙蓉の花が出迎えてくれました。そして山門をくぐると(本当に脊をかがめてくぐるんですよ)、そこは、”ごくらく路”であった(雪国のまねっこ)。本堂まで続く、桜並木の参道です。
桜樹の緑のトンネル(来春、花の時期にも来ようと思う)でずうっーと先まで日影になっています。かんかん照り焼きになっていた我が身をそこに置くと、まるで清らかな滝に打たれたように、ひんやりとし、正気に戻ったようになります。ごくくらくごくらく。そして目の前に続く、木漏れ日の妙なる模様。変幻自在の模様、お日様のこどもたちが無邪気に遊んでいるようです。そして両脇の、頭上のさくらの緑。さわさわと酸素がいっぱいの微風を送ってくれています。ごくらくごくらく。そして、蝉時雨。蝉って桜が好きなのかしらとワイフの声。そういえば、うちの方の桜並木の蝉時雨もすごい。みーんみーん、ジーンジーン、途切れなく続く、生の謳歌(おうか)。
蝉時雨は、真夏の桜花(おうか)だ、桜(花)も蝉(成虫)も1週間の命、そういえばよく似ている、”死中生あり”、死を意識したときはじめて、生はその輝きを放つ、蝉もそれを知っていて、鳴くのだろう、今鳴けなければ、いつ鳴くとゆうのだ、みーん、みーん、ゆーみん、こいびとよ、恋人よ さようなら 季節はめぐってくるけど あの日の二人 宵の流れ星 光っては消える 無情の夢よ と蝉は鳴いているのかもしれませんね、もしかして。
さるすべり。幹の太さ、木の大きさも、姿の良さ、花のつき、どれをとっても、鎌倉一だと思います。先日観た、本覚寺のもりっぱですが、それ以上だと思います。一番の見頃のときで、来た甲斐がありました。
ボクらは、また、ごくらく路をゆっくりと、何度も振り返りながら、山門に向かって歩いて行ったのでした。蝉時雨が相変わらず、みーん、みーん、じーん、じーん、じーんせーってふしぎなものですね、愛燦々と この身に降って 心秘そかな嬉し涙を 流したりして 人はかわいい かわいいものですね、蝉たちは、今度は美空ひばりさんの歌をうたっていました。
ワイフも一緒でしたので、真夏の風景をゆっくり観察しながらとゆうテーマで、極楽寺までのコースを考えました。大船からモノレールに乗りました。いつも、冷房もよくきいていて、席もゆったりしているので、気持ちよく外の緑の景色を楽しめます。富士山がみえるときもありますが、今日は夏休みのようでした。
終点の湘南江の島駅で降り、すぐ近くの江ノ電には乗らず、江ノ島の東浜海水浴場に出てみました。先日、ボクが利用した海の家をワイフに教えたり、浜辺に降りて、たくさんの水着姿の人々を観察したりしていました。まだ10時前だとゆうのに、もう浜を埋め尽くほどの人出でした。そして、思ったより大きな波が、たくさんの来客を喜んでいるかのように、寄せては返していました。
江ノ電からも、真夏の風景が続きます。七里ヶ浜の海にはサーファーたちが、波と戯れています。沖には白いヨットが浮かんでいます。・・海よ 俺の海よ 大きなその愛よ 男の想いを その胸に抱きとめて あしたの希望を 俺たちにくれるのだ・・サッファーたちから、ヨットマンたちから、加山雄三さんの名曲”海 その愛”の歌声が流れてくるようでした。
極楽寺。ピンク色のたくさんの芙蓉の花が出迎えてくれました。そして山門をくぐると(本当に脊をかがめてくぐるんですよ)、そこは、”ごくらく路”であった(雪国のまねっこ)。本堂まで続く、桜並木の参道です。
桜樹の緑のトンネル(来春、花の時期にも来ようと思う)でずうっーと先まで日影になっています。かんかん照り焼きになっていた我が身をそこに置くと、まるで清らかな滝に打たれたように、ひんやりとし、正気に戻ったようになります。ごくくらくごくらく。そして目の前に続く、木漏れ日の妙なる模様。変幻自在の模様、お日様のこどもたちが無邪気に遊んでいるようです。そして両脇の、頭上のさくらの緑。さわさわと酸素がいっぱいの微風を送ってくれています。ごくらくごくらく。そして、蝉時雨。蝉って桜が好きなのかしらとワイフの声。そういえば、うちの方の桜並木の蝉時雨もすごい。みーんみーん、ジーンジーン、途切れなく続く、生の謳歌(おうか)。
蝉時雨は、真夏の桜花(おうか)だ、桜(花)も蝉(成虫)も1週間の命、そういえばよく似ている、”死中生あり”、死を意識したときはじめて、生はその輝きを放つ、蝉もそれを知っていて、鳴くのだろう、今鳴けなければ、いつ鳴くとゆうのだ、みーん、みーん、ゆーみん、こいびとよ、恋人よ さようなら 季節はめぐってくるけど あの日の二人 宵の流れ星 光っては消える 無情の夢よ と蝉は鳴いているのかもしれませんね、もしかして。
さるすべり。幹の太さ、木の大きさも、姿の良さ、花のつき、どれをとっても、鎌倉一だと思います。先日観た、本覚寺のもりっぱですが、それ以上だと思います。一番の見頃のときで、来た甲斐がありました。
ボクらは、また、ごくらく路をゆっくりと、何度も振り返りながら、山門に向かって歩いて行ったのでした。蝉時雨が相変わらず、みーん、みーん、じーん、じーん、じーんせーってふしぎなものですね、愛燦々と この身に降って 心秘そかな嬉し涙を 流したりして 人はかわいい かわいいものですね、蝉たちは、今度は美空ひばりさんの歌をうたっていました。