ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその163-テクノポップ

2015年08月31日 | パンク&ニューウエイヴ
テクノポップ今昔。

それは1970年代末突然に起こった。
欧米を中心とした「パンク&ニューウエイヴ」である。
このインベイションは、瞬く間に世界中を席巻した。
当時の音楽ジャンルは「ニューウエイヴ(パンクを含む)」と「オールドウエイヴ」に区別された。
「オールドウエイヴ」とは1970年代の「ヘヴィ・メタル」「プログレッシブ・ロック」「アート・ロック」等を示し、一部の音楽フアンの中には「古い頭の人間が聴く音楽」として、軽蔑すらされていたのである。
この頃、学生だった私は「パンク&ニューウエイヴ」に衝撃を受けた。
まずは「パンク」の代表「セックスピストルズ」に影響を受け、アマチュアバンドを組み、彼らの曲をコピーしたものだった。
それと平行して「ニューウエイヴ」にもかなり凝った。
当時流行のレーベルを雑誌などで探し、レコードを買った。
しかし現在のように、流通の良い時代ではなく、殆どのレコードは輸入盤に頼るしかなかった。
これが結構高額で、学生の身分ではなかなか買えなかったことを覚えている。
日本のポピュラー音楽にも「ニューウエイヴ」は、早くから浸透していた。
その代表格が「イエロー・マジック・オーケストラ(略称YMO)」だ。
彼らの作り出す音楽は「テクノポップ」と呼ばれ、海外でも評価が高かった。
それに続いて「プラスチックス」「ヒカシュー」「P-モデル」等々、多くのテクノポップバンドが現れた。
海外ではドイツの「クラフトワーク」アメリカの「デーヴォ」などがテクノポップの先端を行った。
テクノポップとは、リズムマシンを中心に、キーボードで「ピコピコ」と聴こえる音をふんだんに使った音楽だ。
海外では同時にキーボードを中心に据えた「エレクトリック・ミュージック」も流行った。
この代表格はイギリスの「ゲイリー・ニューマン」だ。

とにかく「ニューウエイヴ」は何でもありの音楽、そこが私の食指をそそった。
1970年代に、特に興味を引く音楽を見つけていなかった私にとって、それは新鮮だった。
ちょうど1990年代初頭に、西洋圏の音楽に飽き「ワールドミュージック」を聴きだした頃と似ている。
「ニューウエイヴ」も1980年代中頃には、ブームも落ち着き、新鮮な音楽も発表されなくなった。
その後、現在に至っては、やたらジャンル分された音楽が並ぶ。
「ニューウエイヴ」の中で、生き残った音楽もある。
前述した「テクノポップ」がそのひとつである。
日本においては「パフューム」「きゃりーぱみゅぱみゅ」が代表であろう。
下に日本の「テクノポップ」黎明期に活躍した「プラスチックス」の代表曲と、現在も活躍中の「パフューム」の初期の楽曲を貼った。
テクノポップの今昔の違いを堪能いただきたい。

The Plastics - Top Secret Man


Perfume「リニアモーターガール」

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