ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその192-カラオケ

2016年01月01日 | 音楽
カラオケマシンとは。

あけましておめでとうございます。
本年もこのブログをご愛読、よろしくお願いします。

正月、昼間から酒をあおって、ほろ酔い気分ですごしている方も多いと思う。
近年、お酒につき物は何か、私はカラオケではないかと思う。
一次会でしたたか酔い、気分の良さもあいまって、一曲歌いたいを思う人達が多いと思う。
私ごとではあるが、二ヶ月に一回程度、気のおけない会社の先輩と酒をともにする。
彼は、すでにリタイアして長いが、いまだに連絡を取り合い、酒の席を設けている。
昔は一次会の後に、スナックへ行って、カラオケを歌うというのがパターンであった。
しかし、スナックは他人同士、あいまみれて歌うことになる。そうすると、その場の雰囲気に合った歌を選曲せざるを得ない。
私も彼も、演歌は得意としていないので、スナックで歌うときなど、ちょっと空気が違っていた。
そこで最近は「カラオケボックス」へ行くことにしている。他人やその場の雰囲気に、気を使わなくてすむからだ。
私達は一次会でほろ酔い気分になった後、カラオケボックスへ向かう。
そしておもむろにリモコンを手に取り、選曲を始める。そしてよせばよいのに「全国カラオケランキングバトル」に参加する。
これはチェーン店であるカラオケボックス各店で、誰が何点の評価をうけ、全国で何位であるかを競うものだ。
私達は様々な曲を、精一杯歌うのだが、なかなか高得点は出ない。
しかし全国で一位を獲得している人などは、99.何がしの高得点を出している。いったいどうやって歌っているのか、本人に会って聞いてみたいものである。
これは負け惜しみでもなく言うのだが、歌の本当の上手さとは、カラオケマシンに決められるものではないと言うことだ。
他人が聞いて「上手い」と思った歌唱でも、カラオケマシンのアルゴリズムに合わなければ得点は低い。
カラオケマシンは、譜面どおりに歌ったものに良い得点を出す。
しかし本来の歌の上手さとは、譜面どおりに歌うだけではいけないのだ。
バンドでヴォーカルを担当していた私は、その日の気分によって歌唱法を変えて歌っていた。譜面とは音程等ずれているのは承知のうえだ。
今日も昼間のテレビ番組で、カラオケバトルと称して、カラオケマシンの得点を基に勝敗を決める番組を放送していた。
やはり皆声は綺麗だが、譜面どおりに歌っていて面白さに欠ける。
カラオケマシンの判断とは「画竜点睛を欠く」といえないだろうか。
話はかわるが、今から三十年程前は、バンドで演奏する時、楽器のチューニングは合っていて当たり前、合ってなければ演奏以前の問題、とよく言われた。
いかしそれから何年かすると、楽器のチューニングが合って、譜面どおり演奏するのは面白みがない、むしろチューニングに拘ることはない、との音楽評論家の発言もあったと記憶している。
歌も演奏も、グルーヴ感、スピード感が大事で、音楽とは耳から入り「心」や「体」で聴くものだと私は思っている。

カラオケボックスで良い得点を出しても、それが本当の歌の上手さには繋がらないと、私は思っている。
さあ、今月あたり、先輩との酒席をもうけ、二次会でカラオケボックスにでも行こう。
勿論「全国カラオケランキングバトル」に参戦して。

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