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第3章 アラーの恵みー石油ブームの到来(21)
084 第一次オイルショック ー 石油を武器に! (1/3)
10月6日の開戦を控えた8月23日、エジプトのサダト大統領は極秘裏にサウジアラビアのリヤドを訪問、ファイサル国王にイスラエル攻撃に参加するよう要請した。このとき単なる派兵だけではない、戦局を左右する重要な戦略が編み出された。それが石油戦略であった。当時既に石油は「産業の米」として世界経済に欠かせないエネルギー資源となっていた。世界の石油は未だセブン・シスターズを筆頭とする欧米の石油企業に牛耳られていたが、OPEC(石油輸出国機構)を結成した産油国は侮りがたい力を発揮し始めていた。
イスラームの守護者を自認するサウジアラビアにとって、パレスチナ難民を再び祖国に帰還させ、さらにマッカ、マディナに次ぐ第三の聖地であるエルサレムをイスラエルから取り戻すことはサウド家に課せられた使命である。それは第二次大戦直後の1945年、ファイサルの父アブドルアジズ初代国王が米国大統領ルーズベルトに語った言葉を守ることでもあった。スエズ運河のビター湖上で会談したルーズベルトはアブドルアジズにユダヤ人とアラブ人の紛争の仲介を求めた。この時アブドルアジズはユダヤ人のパレスチナへの移住を止める以外に解決の方法はないとはっきり断言したのである。しかしその後の三度にわたる中東戦争の結果、パレスチナ難民の帰還という希望は遠のく一方であった。
ファイサルはサウジアラビアが手にした石油という武器で永年の悲願を実現するチャンスがめぐってきたと確信した。ファイサルは腹心のヤマニ石油大臣を周辺の産油国に派遣して同調を求めた。クウェイト、UAEなど湾岸諸国は言うに及ばず、リビア、アルジェリアなどの北アフリカ諸国およびイラク、さらにはイランも石油戦略に参加することを約束した。第四次中東戦争が勃発し石油戦略が発動されると、この武器が想像をはるかに超える威力を発揮することが証明されるのである。
(続く)
荒葉 一也
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