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(アラビア語版)
(目次)
第1章 民族主義と社会主義のうねり(4)
020.戦後ゼロ年:アラブ連盟の結成(1/2)
第二次世界大戦は1939年のドイツのポーランド侵攻から1945年のドイツ・日本降伏まで6年に及んだ。主戦場はヨーロッパ全域、東南アジア、東北アジア及び太平洋であったがユーラシア大陸の中で中東は戦禍を免れている。当時の中東各国は連合軍あるいは枢軸国のどちらにも属さず、イラクとイランが1943年に連合軍として参戦した他は、トルコ、エジプト、サウジアラビアなどいずれも連合軍の勝利が確実になった1945年に入ってから参戦している。第二次大戦で中東が戦場にならなかったのは、ドイツが西ヨーロッパで英米仏、東ヨーロッパでソビエトと言う両面に敵を抱え中東まで手が回らなかったからである。
そのような中東で戦争終結直前の1945年3月、アラブ世界で初めての国際機関「アラブ連盟」が結成された。エジプト、シリア、イラク、ヨルダン、レバノン、イエメン(当時は北イエメン)及びサウジアラビアの7カ国がアレキサンドリア議定書を締結してアラブ連盟は設立された。
ただアラブ連盟はアラブ諸国の自発的な意思で生まれたものではなく、これらの国々に強い影響力を有していた英国の入れ知恵だった。第二次大戦でアラブ諸国が枢軸国側に加担することを避けるため、アンソニー・イーデン外相(当時)が言い出したことがアラブ連盟結成のきっかけである。連盟本部はエジプトのカイロに置かれ、事務局長は代々エジプト人が任命された(エジプトがイスラエルと単独和平に走り、連盟から追放された一時期を除く)。連盟は紆余曲折を経て現在21カ国1機構(パレスチナ)という一大組織に成長している。
(続く)
荒葉 一也
E-mail: Arehakazuya1@gmail.com