Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(13)

2012-08-11 00:15:00 | コラム
とにかく情報がほしい、特典がほしい、、、ということなのだろう、
公式なものだけでなく非公式を含めると、けっこうな数のファンクラブに所属していた。

年会費が多少高くても気にしない―のは、たぶんファンの共通するところで、
前日コラムの流れでいうと、オタクに近づけば近づくほど、金額というのは無関係だったりする。むしろそのために、労働する意欲も生まれるのだよと。労働フォー・ユー、、、だぜと。
その最たるものが、投票券のために沢山のCDを購入するAKBのファンなのだろう。

いいじゃない、面白いじゃない、と思う。
まぁひとり一票でどんな結果になるのかも、知りたいところだけど。(あまり順位の変化はないのかな)

「初めての」は後述するとして、思い出すかぎり「所属していた・している」公式・非公式ファンクラブを挙げてみる。


(順不同)

(1)中森明菜

とくに80年代中盤、『飾りじゃないのよ涙は』から『I MISSED “THE SHOCK”』のころに夢中になった。

(2)グロリア・イップ

こんな子。

香港の女優。
なぜか日本でだけ人気爆発、クリスマスのイベントにも参加した。

(3)斉藤由貴

ずっと好きだったんだぜぇ♪

(4)PRIDE

なんだか遠い目をしてしまうが、日本の総合格闘技MMAが最高峰だったころ・・・会場で良席を確保するために会員登録。
最後のころは「ぼったくり」に近い感じだったが、それさえも「愛ゆえに」許した。

(5)やまぐちりこ

元AV女優。
あぁそうだよ、入ったよ。

(6)Perfume

これは現在も。

(7)ももクロZ

先週、入った。
出来た直後に入ったはずなのに、もう会員番号が1万台だったり。。。

「どこがいいの?」と、未だにいっているひと、ライブ観てちょうだい。

(8)ツイン・ピークス

デヴィッド・リンチ総監修による、米ドラマのファンクラブ。
足繁く通ったレンタルビデオの店長さんが創立、たいした特典があったわけでもないが、毎週、阿呆丸出しの会報が送られてきて楽しかった。

(9)上松美香

アルパ奏者。
そうだよ、気に入ったらすぐに行動を起こすタイプだよ。

(10)小倉優子

グラビアの世界では、いちばん好きになった子だから。

基本、ロリコンなのでね。


アナーキー極まる無秩序さだが、現在どうしようかと思案中なのが、ギタリスト村治佳織のファンクラブ、、、だったりする。


さて。
初めてのファンクラブ会員は、おニャン子クラブのファンクラブ「こニャン子クラブ」である。

とくに秋元康夫人の高井麻巳子が好きで、だから秋元くんには深くて暗い愛憎を抱いていたりもする。
AKBの「いちおうの」ルール、恋愛禁止というのは、いろんな解釈が出来るというかね、
でも恋愛ぐらい好き勝手にやらせてあげなよ、、、とも思うのだが。

現在とちがってたいした特典もなかったと記憶するが、
群馬の片田舎に住んでいたわけで、しかも12~14歳のころだからね、情報量の薄い会報でもちょっとしたグッズでも、えれーうれしかった。


前売り券も購入せず、劇場公開初日に並んでチケットを買う―と決めている、スコセッシや塚本晋也の映画と同じ感覚なんだよね、自分にとってファンクラブとは。
その金がどういう経路を辿って誰に行き着くのかは分からないけれど、一銭でも本人の手に渡るのならば・・・という気持ちで、健気なファンたちは財布を開く、、、というわけだ。





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初体験 リッジモント・ハイ(12)

2012-08-10 00:15:00 | コラム
19日に夏フェス『サマーソニック2012』(幕張周辺)に参戦するので、
きょうは「初めてのコンサート」、あすはその流れを汲み? 「初めてのファンクラブ」について書いてみたい。

今夏の目玉はグリーンデイが出演する初日だろうが、それよか2日目に魅力を感じた。

友人に「ということは、ニュー・オーダーあたりに期待しているの?」と聞かれ、即答で「うんにゃ」と否定する自分。
確かにニュー・オーダーも生で見たいが、自分の期待は、いつでも触れることの出来る日本のアイドル「Perfume」「ももクロ」ときたもんだ。海外アーティストがワンサカやってくる夏フェスというのに。

ロックも好きだが、基本、アイドルオタクなものでね。
目標とする書き手のひとりは、中森明夫なのだから。

ちなみに、この中森がオタクということばを創出した。その点において、もっと評価されていいひとだと思う。

尤も中森は、このことばを用いて批判的に若者論を展開していったわけで・・・
まさかオタクという存在が「肯定的に捉えられるようになる」とは想像していなかっただろう。

いやもちろん、現代でもオタクを「暗い」「キモイ」と毛嫌いする向きも存在するが、
そういうのって、もう古いような気がする。

究極のオタクとは、権威のない学者みたいなもの。
権威がないイコール利害関係がない、そのことから「アイツの意見は信用に値する」と評価をされる世の中になってきている。
そう捉えるひとが少なくないことの証明に、自らオタクを名乗るものが(前世紀よりも遥かに)多くなっていることが挙げられる。

そういう解釈が可能になったのは、もちろんQTことクエンティン・タランティーノの出現のおかげ、、、でもあるのだが。


さて。
映画館での鑑賞は月に最低でも7度、
スポーツ観戦は、まぁ主に格闘技だが、2ヶ月に1度の割合で行っているのに、
これがライブ・コンサートとなると、年に1~2度くらいになる。

同じ頻度のものを挙げるとするならば、演劇鑑賞だろうか。
どの世界でも「生がいい、生こそ最高」といわれているのに、これじゃあいかんのよね。


自分にとっての初めてのコンサートは、90年の1月16日。
場所は、群馬県民会館。

アーティストは、斉藤由貴だった。
タイトルは確か、『全国コンサートツアー YUKI’s TOUR ONE・TWO』だったかと。

無関係だが、「初めての自慰」というテーマでも、たぶん由貴(呼び捨て)が主役となるはずだ。
雑誌ではなく、カレンダーだった。

・・・まぁこれは、本人にとっては不名誉なこと、、、なのだろうけれど。


由貴(呼び捨て)のコンサートには、ひとりで行った。

好意をこめていうが、レコード・CD(ちょうど転換期だったからね、両方で聴いていた)やテレビで触れるよりも下手に感じた。

実際、演技で光っていたひとだから、歌は上手ではなかった。

ただ、ももクロの生みの親でヒャダインこと前山田健一もいっている、
「日本のアイドルは歌が上手ではない」というところにこそ、新しい可能性が宿っている―と。

??? のひとも居るだろうが、自分もそんな風に思っている。

というわけで、由貴を許す。
なんか、とってもエラソーだが。それはまぁ、いつものことか。


ほんとうのことをいえば。

ひとりでのコンサート初体験に舞い上がってしまい、由貴の歌唱力とか、冷静に判断出来なかったのだけれどね!!





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にっかつの、血

2012-08-09 00:15:00 | コラム
フェイスブック経由で、にっかつ芸術学院の「大」同窓会が開催されるという連絡が入った。

無関係な企画でも参加したくなるくらいの同窓会好き? な自分、もちろん、すぐに「参加する」をクリック。

なぜ「大」のつく同窓会かというと、「全」卒業生を対象としているから。
来年、母校は閉校するのである。

予算的なところ「大」なのだろうが、それでも才能の卵をぽんぽん生み出していたら閉校にはならなかったはずで。
そういう意味ではライバル校とされていた日本映画学校(日本映画大学)に完敗、卒業生として面目ない。

はっきりいえば。
同級生や講師には恵まれたものの、18歳からの2年間は、学校よりも新聞奨学生としての日常に重きを置いており、また、その日常にこそ学ぶべきもの・ことが多かった。

喧嘩や、こころ温まるエピソード・・・想い出の8割は、新聞にまつわるもの。
恋心だって同級生ではなく、新聞の購読客に抱いた。
(本間亜希さん、元気ですか。もう結婚したでしょうね)

当時の自分は現在よりもイビツに尖っていて、知識と愛だけを物差しに同級生たちを「けっ、ミーハーが。スコセッシやミロシュ・フォアマンの名も知らないで映画を語るんじゃねーよ」と、馬鹿にしていたところがある。

ヘラヘラ顔だから気づかれなかっただろうが、そんな風に思っていたわけだ。
頭でっかち、、、だったのだろうね。


それはともかく。
自分の関わるところは悉く閉鎖・閉館・消滅してしまう―という「うしろ向きに過ぎる」ジンクスを抱いているのだが、
ふだんはジョークとして発していても、母校消滅はさすがに切ない。


奇しくも今年は、にっかつ(現在は日活)の創立100周年である。

一時期はアジア最大を誇った撮影所も、100年のあいだに様々な危機が訪れた。
スタジオの一部が取り壊されて敷地は徐々に減り、そこにマンションが次々と建てられていく。
自分がにっかつの生徒になったころは、すでに「こじんまり」とした印象を受けたものである。

93年、事実上の倒産。
自分が2年生だったころで、それを一面トップで報じている朝日・日経を自分で配達するという、なんとも自虐的な体験をしている。

日活といえば多くのひとにとっては裕次郎や吉永小百合になるのだろうが、
自分にとっては、やっぱりロマンポルノである。

自分が助平だから、、、という理由だけではない。

下記リンクの予告編でもいっている、ロマンポルノは自慰を発揚するピンク映画ではなかった。(そう書いたからといって、ピンクを下に見たりしているわけでもない―ことは、自分のふだんの文章を読めば分かるっしょ?)

そもそもロマンポルノも、経営不振を打破しようとする「秘策」として誕生したものだった。

エロシーンさえ忘れなければ、好き勝手な表現が許される―米国インディーズを支えたロジャー・コーマンの映画と同様、映画の世界でしか生きられないものによる、まさに「技あり」のジャンルであったのだ。

自分のセンスはいっている、それでこそ映画屋であるし、だからこそ格好いいのだと。

100周年を記念して、にっかつ―自分にとっては、漢字よりも平仮名のほうが馴染み深い―の名作がニュープリントでリバイバル公開されている。
うれしいのは、ロマンポルノ公開の劇場に女子のお客さんが多く見られること。

こういう子たちとは、すぐに友達になれそうだ・・・と思って声をかけてみたいところだが、変質者と間違われるだろうから、それはよしておこうか。






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汗かっきかきで選出してみよう

2012-08-08 00:15:00 | コラム
英国の雑誌『Sight&Sound』による企画、映画監督358人が選出するオールタイムベストテンが発表された。

以下は、その結果。

(1)『東京物語』(53、日)

(2)『2001年宇宙の旅』(68、米・英)

(3)『市民ケーン』(41、米)

(4)『8 1/2』(63、伊)

(5)『タクシードライバー』(76、米)

(6)『地獄の黙示録』(79、米)

(7)『ゴッドファーザー』(72、米)

(8)『めまい』(58、米)

(9)『鏡』(74、ソ連)

(10)『自転車泥棒』(48、伊)


ひゃっほー、スコ爺の『タクドラ』も入っているぜ!

まぁ概ね納得の並び。

技巧/テーマの両面で神の領域に到達する小津の『東京物語』がベストワンに輝くのは、なんとなく分かる。
しかし英国の雑誌なのに、自国(オンリーの)作品がランクインされていないのが厳しい。
『第三の男』(49)あたりが、入ってもよさそうなものだけれど。

批評家が選んでも同じような作品が入るだろうが、タルコフスキーの『鏡』はもう少し下になりそうだし、その代わり、黒澤作品が入りそうな気がする。

この企画に参加した監督の、それぞれの回答の一部は・・・

<マーティン・スコセッシ監督選出>

『8 1/2』
『2001年宇宙の旅』
『灰とダイヤモンド』(57)
『市民ケーン』
『山猫』(63)
『戦火のかなた』(46)
『赤い靴』(48)
『河』(51)
『シシリーの黒い霧』(62)
『捜索者』(56)
『雨月物語』(53)
『めまい』

らしいな!
とくに『雨月物語』の選出がうれしい。

<クエンティン・タランティーノ監督選>

『続 夕陽のガンマン』(66)
『地獄の黙示録』
『がんばれ!ベアーズ』(76)
『キャリー』(76)
『バッド・チューニング』(93)
『大脱走』(63)
『ヒズ・ガール・フライデー』(40)
『JAWS/ジョーズ』(75)
『課外教授』(71)
『ローリング・サンダー』(77)
『恐怖の報酬』(53)
『タクシードライバー』

らしいな、らしいな!!
『課外教授』を挙げるのはQTくらいなものだろう。

<ギレルモ・デル・トロ監督選>

『フランケンシュタイン』(31)
『フリークス』(32)
『疑惑の影』(42)
『グリード』(24)
『モダン・タイムス』(36)
『美女と野獣』(46)
『グッドフェローズ』(90)
『忘れられた人々』(50)
『吸血鬼ノスフェラトゥ』(78)
『8 1/2』

作風と好みが、見事に合致している。
これまた、らしいな!!!


では、自分のセレクトを。

(順不同)

『レイジング・ブル』(80)
『タクシードライバー』
『カッコーの巣の上で』(75)
『アマデウス』(84)
『天国と地獄』(63)
『ゆきゆきて、神軍』(87)
『キャリー』
『カノン』(98)
『東京FIST』(95)
『独裁者』(40)


この10年でひとつも変化がないわけだから、死ぬまでこのままの並びかもしれない。

多感な少年期に触れた映画こそ宝物になる―という定説? を証明していることにはなるが、
新しい作品がひとつも入ってこないというのは、寂しいといえば寂しい。


変化がないのだから、ちょっと考えてパパパッと打ち込んだ?

と解釈されても困る、これはこれで必死に映画史と自分史を回顧し構築し直し、汗かっきかきで選出したものだ。
それでも結局は、いつもと同じ感じになったよと。

常々いっていることだが、好きな映画をみっつ挙げるだけで、そのひとの人生観やら嗜好やら性格やらの7割くらいはいい当てられる(自信がある)。

・・・と、前置きをしてから「好きな映画は?」と聞くと、大抵のひとは身構えてしまう。


「オメーなんかに、見破られてたまるか!」ということだろうか。


そんなこといわずに、ほら、汗かっきかきで選出してみてくださいな。






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怒れる牡牛の物語

2012-08-07 00:15:00 | コラム
第14部「今村昌平の物語」~第2章~

前回までのあらすじ

「日活には束縛がまったくなく、たいへん驚いた。松竹は、束縛だらけだった」(今村昌平)

「地獄も極楽もあるもんけぇ。俺はまだまだ生きるんでぇ」(『幕末太陽伝』の主人公、佐平次の台詞)

…………………………………………

その作風からは意外な感じも受けるが、イマヘイに映画への扉を開かせたのは黒澤だった。
早稲田の学生だったイマヘイは『酔いどれ天使』(48)のエネルギッシュな演出と詩情に感銘を受け、学んでいた演劇を捨て、映画の世界で生きていこうと決意する。

しかし黒澤が籍を置く東宝では当時、助監督を採用していなかった。
大学を卒業したイマヘイが選んだのは、松竹。

すぐに頭角を現したイマヘイ青年は小津組で映画術を学び、名作『東京物語』(53)ではフォースの助監督を担当している。

しかし。
初の助監督公募、しかも「超」難関を突破しての入社であったが、冒頭のことばのとおり、束縛ばかりでひじょうに息苦しい思いをしたという。

せめて初監督作品までは・・・と我慢しなかったところが、イマヘイらしいといえばらしいのか。
54年、日活に移籍。
イマヘイのあとを追う形で(松竹在籍の)川島雄三も日活に移籍、夭折の奇人変人天才? といわれた川島組のもとで、映画の可能性を学び、哲学していくこととなった。

…………………………………………

川島の代表作といえば、『幕末太陽伝』(57)。
落語『居残り佐平次』や『品川心中』から材を取った乾いたコメディで、川島との共同執筆という形でイマヘイも脚本に参加している。

『幕末太陽伝』で最も有名なエピソードは、なんといっても「実現しなかった」ラストシーンだろう。

結核を患っている(と思われる)佐平次(=フランキー堺)が墓場のセットを通り抜け、
さらにセットの扉を開き、現代の品川を走る―つまり時代劇を積極的に否定することによって生まれるダイナミズムを意図したものだったが、現場のスタッフやキャストからの猛反対を受け、結局は実現しなかった。

この作品の撮影を担当していたカメラマン高村倉太郎は、筆者が映画を学んだ「にっかつ芸術学院」で撮影概論を担当していた講師であった。

曰く「過激なことをいう監督だったけど、わたしは撮ってくれと頼まれたら、そのシーンを撮ったと思う」

つまり撮影に臨む前に、この過激なアイデアはNGにされたということ。

イマヘイは、どうだったのか。

ここはイマヘイ組ではなく、あくまでも川島組。だからその決定に従った。
ただ川島の「アナーキーな」野心に共感していたことは、のちの監督作で明らかとなる。

67年、『人間蒸発』の発表。
失踪した婚約者を探す女性のドキュメンタリー「風」映画であり、なぜ「風」かというと、ラストシーンが「セットのなかの撮影」であることを明かす創りだったからである。

ドキュメンタリーと思わせておいて、じつはツクリゴト―いまでいう、手のこんだ擬似ドキュメンタリーということか。

ここにイマヘイのヒネクレ気質というものが集約されていて、だから嫌いなひとは大嫌いであろうし、好きなひとは大好きになるのである。

…………………………………………

川島組で助監督を沢山経験―55年の『愛のお荷物』、56年の『洲崎パラダイス 赤信号』など―したのちの58年、『盗まれた欲情』で監督デビューを飾る。
同年の『果しなき欲望』もそうだが、「欲」というタイトルがこれほどまでに「しっくりくる」監督も居ない。

小津に「うじ虫ばかり、、、」と批判されるのはこのころで、そこで発奮して生まれたのが61年の『豚と軍艦』である。

米軍基地払い下げの残飯で豚を飼うことによって一攫千金を狙う「うじ虫」のようなヤクザたち―しかし男たちは悉く自滅し、ヒロイン吉村実子だけが(男たちに蹂躪されながらも)自立していく・・・。

滑稽で、おぞましく、それでいて笑いが止まらない。

こうして、重喜劇は誕生した。

…………………………………………

※そう、ATGとの共同作品だったのだ




つづく。
次回は、9月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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